原題:『タンポポ』
監督:伊丹十三
脚本:伊丹十三
撮影:田村正毅
出演:山崎努/宮本信子/渡辺謙/役所広司
1985年/日本
活かされない映画的記憶について
「ラーメンウエスタン」と謳われる本作は、「来々軒」というさびれたラーメン屋を「タンポポ」という人気店にするまでの物語である。作品冒頭で役所広司が演じる白ずくめの衣装の男が女を連れて映画館内に入って一番前の席に腰掛け、目の前に豪華な食事が用意された時、男は何かに気がついたかのように席を立って画面に身を乗り出すと、「そっちも映画館なのね」と観客に問いかけ、観客のマナーをたしなめるところなど、アジテーションとしては本作より断然上だが、『書を捨てよ町へ出よう』(寺山修司監督 1971年)の冒頭と同じようなメタフィクションの体裁をとっている。白ずくめの衣装の男は典型的なヨーロッパ出身の貴族を体現し、対する、山崎努が演じるテンガロンハットをかぶっているゴローはカウボーイの『シェーン』(ジョージ・スティーヴンス監督 1953年)を装う。
左の写真は『8 1/2』(フェデリコ・フェリーニ監督 1963年)からの意外と有名なワンカットであるが、右の写真はそのパロディと言える。
あるいは左の写真は『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』(小津安二郎監督 1932年)からのワンカットであるが、そのパロディが右の写真のワンカットである。
このように本作は監督の映画的記憶がふんだんに注ぎ込まれているのではあるが、残念なことにいかにもインテリが知識だけをフルに活用して撮っただけという感じで、目を見張るようなショットが全くと言っていいほど無い。例えば、白服の男とその情婦が口移しで卵の黄身をリレーさせる有名なシーンには肝心なエロチックの要素が全く感じられず、ただ不潔な印象しか残らないし、その後の白服の男と牡蠣を獲っている少女のシーンにおいても、獲りたての牡蠣の中身を食べようとして唇を切り、少女に中身を取り出してもらった後に、直接少女の手から中身を食べようとした際に、中身と唇からの血が交じることで男による少女の破瓜を暗示させているのであるが、いかにもオヤジ好みの下ネタで、とてもセンスが良いとは言えない。今から見ればかなり豪勢な俳優陣を揃えながら、これほど頻繁に目を背けたくなるような作品も珍しいと思う。