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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『キネマの天地』

2013-05-14 22:40:46 | goo映画レビュー

原題:『キネマの天地』 英題:『Final Take』
監督:山田洋次
脚本:山田洋次/井上ひさし/山田太一/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
出演:渥美清/中井貴一/有森也実/すまけい
1986年/日本

カットを3つに割る是非について 

 浅草の帝国館という活動小屋で売り子をしているところを、松竹キネマの小倉金之助監督に見出された主人公の田中小春が、トップスターの川島澄江の代役として大抜擢されて『浮草』の主役を務めていた際に、クライマックスのシーンにおいて演技の壁にぶつかりワンカットも撮れないまま父の喜八が待つ長屋に帰る。旅芝居の座長の娘で、旅先で金持ちの息子と恋仲になり、2人で東京に逃げようと口説かれるものの、本当は好きなのだが、金持ちの息子と一緒になっても末永く暮らせるわけがないと悟って心ならずも嫌と答える娘の心理を表現しあぐねていた小春に向かって、喜八は旅役者の娘であった小春の母親の話を始める。一座の看板娘であった母親は、付き合っていた男に、旅先で出会った女と一緒に逃げられてしまい、そんな母親に喜八はプロポーズしたのであるが、母親は自分には既にお腹に子供がいると告白して一度は喜八のプロポーズを断ったことを小春に教え、その時初めて自分は喜八の本当の娘ではないことを小春は知る。翌日の撮影は一発で撮り終え、そこまでの一連のシーンは悪くはないのであるが、小倉監督がワンカットで撮ることに意味を見出していた肝心のシーンが3つにカットされて映し出されてしまうのはどうしたことなのか。田中小春を演じた有森也実の演技に限界があったことは十分考えられるし、そもそもシーンそのものは悪くはないのだから構わないとしても、『キネマの天地』と謳っている以上は、映画の演出に対する拘りは必要だと思う次第で、結局、‘おいしい’ところは全て渥美清に持って行かれていると思う。


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96条改憲を唱える資格

2013-05-14 00:40:04 | Weblog

(憲法はいま)改憲、手続き論先行 与党内から異論も(朝日新聞) - goo ニュース

 東大法学部教授の石川健治の5月3日付けの朝日新聞朝刊における96条改憲の批判を

引用する。「過半数ではなく、3分の2以上を議決の要件とする憲法の規定は改憲発議だけ

に限らない。国会議員の資格争い、除名、会議の非公開、再議決もそうだ。ただし、他は

『出席議員の3分の2以上』であるのに対し、改憲発議だけは『総議員の3分の2以上』で

最もハードルが高い」「他は放置したままで最も重みのある改憲発議だけを過半数にして

しまえという提案はチグハグではないか。そもそも改正条項の改正は、憲法に拠ってたつ

立憲国家への反逆だが、その自覚があるのか」。この批判に対して、橋下徹大阪市長が

ツイッターで「小難しい」「論理が破綻」と批判したようだが、小難しいことと批判の正誤は

関係ないし、よく読めば論理は破綻していない。会議の非公開が改憲発議よりもハードルが

高くなってしまう96条改憲は正しいはずがないということであり、96条の改憲をするならば

その前にやるべきことはたくさんあるのに、いきなり掟破りともいえる、改正条項を改正する

ということに無理があるのではないかというシンプルな問いかけが破綻しているように

見えてしまう人に、96条改憲を唱える資格はないということである。


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