原題:『キネマの天地』 英題:『Final Take』
監督:山田洋次
脚本:山田洋次/井上ひさし/山田太一/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
出演:渥美清/中井貴一/有森也実/すまけい
1986年/日本
カットを3つに割る是非について
浅草の帝国館という活動小屋で売り子をしているところを、松竹キネマの小倉金之助監督に見出された主人公の田中小春が、トップスターの川島澄江の代役として大抜擢されて『浮草』の主役を務めていた際に、クライマックスのシーンにおいて演技の壁にぶつかりワンカットも撮れないまま父の喜八が待つ長屋に帰る。旅芝居の座長の娘で、旅先で金持ちの息子と恋仲になり、2人で東京に逃げようと口説かれるものの、本当は好きなのだが、金持ちの息子と一緒になっても末永く暮らせるわけがないと悟って心ならずも嫌と答える娘の心理を表現しあぐねていた小春に向かって、喜八は旅役者の娘であった小春の母親の話を始める。一座の看板娘であった母親は、付き合っていた男に、旅先で出会った女と一緒に逃げられてしまい、そんな母親に喜八はプロポーズしたのであるが、母親は自分には既にお腹に子供がいると告白して一度は喜八のプロポーズを断ったことを小春に教え、その時初めて自分は喜八の本当の娘ではないことを小春は知る。翌日の撮影は一発で撮り終え、そこまでの一連のシーンは悪くはないのであるが、小倉監督がワンカットで撮ることに意味を見出していた肝心のシーンが3つにカットされて映し出されてしまうのはどうしたことなのか。田中小春を演じた有森也実の演技に限界があったことは十分考えられるし、そもそもシーンそのものは悪くはないのだから構わないとしても、『キネマの天地』と謳っている以上は、映画の演出に対する拘りは必要だと思う次第で、結局、‘おいしい’ところは全て渥美清に持って行かれていると思う。