楢山節考('58)
1958年/日本
物語られない殺人事件
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
本作が制作された1958年当時とすれば、その余りにも残酷な物語性故に敢えてリアリズムを避けて歌舞伎の様式を取り入れたのであろうという山田洋次監督の意見はもっともで、それ故にラストで唐突に現れる蒸気機関車と「おばすて」という駅名が効果的に観客をショックと共に現実に引き戻すのであるが、木下恵介監督の制作意図は、父親の又やんをロープで縛って楢山に捨てに行く途中で、断固拒否する父親を又やんの息子が崖から突き落として殺したり、母親のおりんを楢山に置き去りにしてきたばかりの息子の辰平がその様子を見て、又やんの息子と取っ組み合いになった弾みで又やんの息子を崖から突き落として殺すという、「楢山節考」というインパクトの強い物語の中で霞んで隠れてしまう殺人事件を明るみにすることだと思う。
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先日、上野の国立西洋美術館で催されている「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」を見に
行った。もちろん目的は「着衣のマハ」を見ることだった。意外と接近して見ることが出来る
展示方法が良かった。ゴヤが「着衣のマハ」の前に「裸のマハ」を描いている理由は
「裸のマハ」があたかも“ヴィーナス”のように見倣されており、それは後のゴヤの素描画
から判断するならば恐らくゴヤの本意ではなく、「裸のマハ」は“崇拝”ではなく“欲情”の
対象として描いた物だとはっきりさせたかったからだろう。ゴヤはギュスターヴ・クールベや
エドゥアール・マネの流れを汲む“反体制派”だと思う。ところでNHKの「日曜美術館」で
「永遠のマハ ~ゴヤが見つめた女性たち~」の回に山本寛斎がゲストとして出演して
いた。いつものことながら山本の意見は相変わらずの精神論で全く面白くなかった。