ミケランジェロの暗号
2010年/オーストリア
‘父親’の肖像画
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
ニセモノとホンモノに拘るところは『ヒトラーの贋札』(シュテファン・ルツォヴィツキー監督 2007年)と通じるものがある。それはもちろんウィーンのユダヤ人画商で有力者でもあるヤコプ・カウフマンが所有しているミケランジェロのモーゼのデッサンの真偽のみならず、その息子のヴィクトルと、ヤコブの店の使用人の息子であるルディの、レナを交えてのアイデンティティーの混乱(割礼と包茎の手術の違いの混乱)などユーモアを交えて上手く描かれている。
しかしウォルフガング・ムルンベルガー監督の関心は真偽を超えたところに向かっているように感じた。密かに使用人の息子であるというコンプレックスを抱いていたルディは、ヴィクトルから教えてもらったミケランジェロのデッサンの在処をナチス親衛隊の上官に密告することで、カウフマン一家を裏切り、ヒトラーを新たな‘父親’とすることで立場を逆転させるのであるが、デッサンが偽物であったことから、ドタバタ劇が始まる。観客には早々に本物のデッサンの在処は分かってしまい、明らかにサスペンスとして観るならば失敗しているのではあるが、監督の興味はそこにはないように思う。
不思議なことはラストシーンでルディがヤコプ・カウフマンの肖像画の在処が分かっていなかったことである。ルディはカウフマンが所有していた家を乗っ取った時にヤコプ・カウフマンの肖像画が掛かっていることが気になって、壁から取り払わせたほどなのだから、どの絵画作品よりもヤコプ・カウフマンの肖像画が気になっていたはずなのである。だからヴィクトルに尋ねられた時は在処を知らなかったのではなくて、知らない振りをしたのであり、ヴィクトルにただで進呈した理由は嫌な物を持って行って欲しかったからであろう。
その時のヴィクトルたちの、ヤコプ・カウフマンの肖像画の扱い方も気になる。肖像画の背後に本物のミケランジェロのデッサンがあることを確認したヴィクトルは、何故かデッサンを何かに包むこともなく無造作に裸のままで持ち帰る。
ここまで説明すれば既にお分かりの方も多いと思うが、この作品は、絶えずナチスの部屋に飾られているヒトラーの肖像画とユダヤ人のヤコプ・カウフマンの肖像画の‘代理戦争’なのであり、だから最後にヴィクトルは肖像画のヤコプ・カウフマンの‘勝利の微笑み’をこれ見よがしにガラス越しからルディに示すのである。
ポニーキャニオン時代の岩崎良美が大好きで、何故かカラオケのDAMにはアルバムに
収録されている曲まで入っていて、時々私は「愛してモナムール」「マルガリータガール」
などのシングル曲の他に「私の恋は印象派」「想い出Rainbow」「カメリアの花咲く丘」
「レイン」などを歌ったりするのであるが、一番好きな曲は何かと問われるならば間違いなく
「くちびるからサスペンス」であって、YouTubeにアップされている夜のヒットスタジオの
ヴァージョンなどは完璧なのである。だからたまにテレビに出演しても、いつもの「タッチ」を
歌われると、もっと良い曲がたくさんあるのにと思って、がっかりしてしまうのであるが、
「タッチ」があるからこそ今日まで辛うじて忘れられずにいられるのだから悩ましい。