恋の罪
2011年/日本
‘性癖’で分かれる評価
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
本作はフランツ・カフカの長編小説『城』や田村隆一の詩「帰途」が‘通奏低音’として流れているのではあるが、衒学趣味のように見えなくもない。例えば、登場人物の誰もが『城』の主人公のKのような立場に置かれておらず、まるで「城」が「~しろ!」という動詞の命令形として何かの行動を促すように響く。同様に田村隆一の「帰途」の「言葉なんか覚えるんじゃなかった/日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで/ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる」という執拗なリフレインは登場人物の誰もが他の人物の‘涙のなかに立ちどまる’ことが無いために、その矛先は本作を観ている観客に向けられ、主婦のいずみの涙に立ちどまることを強いることになる。
このような園子温監督の‘命令口調’に嫌悪感を抱く観客は多いと思うが、刑事の和子のように命令されることに快楽を覚える観客も少なからず存在する。
猟奇殺人事件のシーンは、大学のエリート助教授である美津子が彼女の実の母親の主導のもとで殺されるのであるが、美津子を殺すことに怯んでいた男の、美津子の身体をバラバラにしてマネキンの身体と組み合わせた後に首を吊って自殺するという動機が決定的に弱く、殺人事件の描写が丁寧に描かれていれば傑作になっていたと思う。
個人的にそれほど詳しくはないのであるが、にっかつが制作に加わっているということで、例えば『暗室』(浦山桐郎監督 1983年)や、東映作品であるが『卍』(横山博人監督 1983年)などの過去の作品の名シーンの‘引用’により洗練されたロマンポルノとして佳作になっている。そしてラストシーンの‘引用’は本作が『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督 2010年)の‘女性版’であることを示している。
ハリウッドと違い、日本においては一度名前が売れてしまうとほとんど女優は脱がなくなる。つまり日本では脱ぐということは名前を売るためだけの行為でしかなく、その結果、例えば、何度も名前を出して申し訳ないのであるが、『セカンドバージン』(黒崎博監督 2011年)のような珍作が出来上がってしまうのである。そういう意味で今回の水野美紀の演技を私は高く評価するのであるが、大手芸能事務所を離れた水野が‘堕ちた’のかどうかは今後の彼女の活躍次第であることは言うまでもない。
渡辺巨人会長、清武氏に徹底抗戦だ!(サンケイスポーツ) - goo ニュース
「名誉毀損で訴える? こっちが法廷(に)持っていくよ。こっちはもう10人ね、最高級弁護士
を用意している。俺は法廷闘争で負けたことないから」という巨人の渡辺恒雄球団会長の
発言は不思議なもので、本当に自分が正しいと思っており、証拠もあるというのならば
弁護士など必要はないはずだし、麻原彰晃ではないのだから、最高級の弁護士を10人も
集める必要などないのである。東大の文学部を卒業しているのであるならば、それくらいの
パラドックスを理解出来てもいいのであるが、さすがのナベツネも強弁で逆に気弱さを露呈
させてしまっている。老いたということである。長生きし過ぎて晩節を汚すパターンである。