タブレットの調子がおかしくなって、修理に行った記事を昨日書いた。
本当に、タブレットの反応が遅いので、じっと待っている時間もあった。
そんなときに、ショップの担当の方がポツッと
「デジタルって、結局、電気がなかったらおしまいですからね」とつぶやかれた。
デジタルって電気がなかったらおしまい、、、誰でも、思っていることかもしれないけれど、普段、ショップでいろんなデジタル機器を扱って経験を積んでおられる方のつぶやきだったので、なんとも言えず印象に残った。
僕もデジタルのことなど全くの素人だけれど、CDなどにデータを保存していても電気がなかったらそれを見たり聞いたりすることはできない。
言われてみれば、そのとおりだなと。
ファーストフードの店の店内飲食のコーナー、マンガ喫茶などで、スマホの充電を売りにしたりするのも、結局、みんな、デジタル機器の電気を求めているからに他ならないと今さらのように思う。
そして、そんなことを考えていたら、井上陽水さんのことを思い出した。
何年か前、陽水さんの歌の歌詞(確か「夏祭り」という歌だったと思う)が陽水さんの故郷、九州で石碑に刻まれることになった。
そのときの、陽水さんのコンサートの映像か、音声を聴いていたら(映像か音声か記憶が不確かだけれど)そこで陽水さんはおよそ、こんなことをかたっておられた。
「みなさん、このたび、私の歌の歌詞が、私の故郷、九州で石に刻まれることになりまして。
すごいでしょ 石ですよ なにしろ 石ですから 石に刻まれているんですから
雨が降っても消えません 風が吹いても消えません 大丈夫です
すごいでしょ みなさん おめでとうございます」
と、そんな感じで、歌の合間に、陽水さんは、あの独特の ぽつ ぽつ とした語り口でコンサート会場のみんなに語りかけ軽い笑いを取っておられた。
いやあ、アーチストは笑いを取るときも、深いことを言うんだなとあのとき思った。
確かに、風化、ということを考慮に入れなければ、石に刻んであれば、電気がなくでも見ることができる、容易には、データが消えたりしない。
仮に消えるとしても。デジタルデータのように、瞬時に消えてしまう可能性は低く、徐々に消えていくから、ある程度、文字が見にくくなったところで修復も可能だ。
うーん、石に刻まれた陽水さんの歌詞の話、これは深いなと改めて思う。
同時にデジタルデータの脆弱性ということにも僕の足りない頭で思いが至る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あるとき、〇〇百貨店を立て直した男、とか呼ばれているような人が司会をしているラジオ番組を聴いていたことがある。
そのときのゲストは医師だった。
司会者の元百貨店社長が「これだけデジタル化がすすんだ時代だから、いろんな医療情報も中央で一元化して、デジタルで、すべての病院で閲覧可能なようにしてしまえば、医師同士の連携も図れるし、効率がいいじゃないですか」というようなことを話した。
するとゲストの医師が
「デジタルデータの共有と言っても、技術面一つとっても、デジタル端末の規格の統一もしなければなりませんし。端末の規格が違っていれば、いろいろそこから生じるエラーもありますし、、、技術面以外でも、個人の権利の問題、倫理の問題など様々なことがあります」というようなことを本当に一生懸命話していた。
それを聞きながら、僕は、ああ、司会者よりも、医師の方がはるかに頭がいいな、とぼんやり思っていた。(まあ、ある意味当たり前のことかもしれないけれど、、、。)
そして、どうせ医師にかかるならこんな真面目な医師にかかりたいものだなと思った。
本当に、そう思わせるほど医師の方は真面目に答えておられた。
そして、僕は、頭の中で、ぼんやりと、百貨店を立て直した男 といっても、その人ひとりで立て直したわけではなく、その人が語ったアイデアなどをもとに、色んな人が、そのアイデアの問題点を洗い出したり、いろいろ工夫して、具体的な形にしたんだろうなとも思った。
何事も一人でできることはない。
おかげさまという気持ちをたいせつにしたいなと思う。
それはともかく、一日いちにち無事にすごせることを第一に願っていきたい。
本当に、タブレットの反応が遅いので、じっと待っている時間もあった。
そんなときに、ショップの担当の方がポツッと
「デジタルって、結局、電気がなかったらおしまいですからね」とつぶやかれた。
デジタルって電気がなかったらおしまい、、、誰でも、思っていることかもしれないけれど、普段、ショップでいろんなデジタル機器を扱って経験を積んでおられる方のつぶやきだったので、なんとも言えず印象に残った。
僕もデジタルのことなど全くの素人だけれど、CDなどにデータを保存していても電気がなかったらそれを見たり聞いたりすることはできない。
言われてみれば、そのとおりだなと。
ファーストフードの店の店内飲食のコーナー、マンガ喫茶などで、スマホの充電を売りにしたりするのも、結局、みんな、デジタル機器の電気を求めているからに他ならないと今さらのように思う。
そして、そんなことを考えていたら、井上陽水さんのことを思い出した。
何年か前、陽水さんの歌の歌詞(確か「夏祭り」という歌だったと思う)が陽水さんの故郷、九州で石碑に刻まれることになった。
そのときの、陽水さんのコンサートの映像か、音声を聴いていたら(映像か音声か記憶が不確かだけれど)そこで陽水さんはおよそ、こんなことをかたっておられた。
「みなさん、このたび、私の歌の歌詞が、私の故郷、九州で石に刻まれることになりまして。
すごいでしょ 石ですよ なにしろ 石ですから 石に刻まれているんですから
雨が降っても消えません 風が吹いても消えません 大丈夫です
すごいでしょ みなさん おめでとうございます」
と、そんな感じで、歌の合間に、陽水さんは、あの独特の ぽつ ぽつ とした語り口でコンサート会場のみんなに語りかけ軽い笑いを取っておられた。
いやあ、アーチストは笑いを取るときも、深いことを言うんだなとあのとき思った。
確かに、風化、ということを考慮に入れなければ、石に刻んであれば、電気がなくでも見ることができる、容易には、データが消えたりしない。
仮に消えるとしても。デジタルデータのように、瞬時に消えてしまう可能性は低く、徐々に消えていくから、ある程度、文字が見にくくなったところで修復も可能だ。
うーん、石に刻まれた陽水さんの歌詞の話、これは深いなと改めて思う。
同時にデジタルデータの脆弱性ということにも僕の足りない頭で思いが至る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あるとき、〇〇百貨店を立て直した男、とか呼ばれているような人が司会をしているラジオ番組を聴いていたことがある。
そのときのゲストは医師だった。
司会者の元百貨店社長が「これだけデジタル化がすすんだ時代だから、いろんな医療情報も中央で一元化して、デジタルで、すべての病院で閲覧可能なようにしてしまえば、医師同士の連携も図れるし、効率がいいじゃないですか」というようなことを話した。
するとゲストの医師が
「デジタルデータの共有と言っても、技術面一つとっても、デジタル端末の規格の統一もしなければなりませんし。端末の規格が違っていれば、いろいろそこから生じるエラーもありますし、、、技術面以外でも、個人の権利の問題、倫理の問題など様々なことがあります」というようなことを本当に一生懸命話していた。
それを聞きながら、僕は、ああ、司会者よりも、医師の方がはるかに頭がいいな、とぼんやり思っていた。(まあ、ある意味当たり前のことかもしれないけれど、、、。)
そして、どうせ医師にかかるならこんな真面目な医師にかかりたいものだなと思った。
本当に、そう思わせるほど医師の方は真面目に答えておられた。
そして、僕は、頭の中で、ぼんやりと、百貨店を立て直した男 といっても、その人ひとりで立て直したわけではなく、その人が語ったアイデアなどをもとに、色んな人が、そのアイデアの問題点を洗い出したり、いろいろ工夫して、具体的な形にしたんだろうなとも思った。
何事も一人でできることはない。
おかげさまという気持ちをたいせつにしたいなと思う。
それはともかく、一日いちにち無事にすごせることを第一に願っていきたい。