ケンのブログ

日々の雑感や日記

電気がなかったらおしまい

2021年06月12日 | 日記
タブレットの調子がおかしくなって、修理に行った記事を昨日書いた。

本当に、タブレットの反応が遅いので、じっと待っている時間もあった。

そんなときに、ショップの担当の方がポツッと
「デジタルって、結局、電気がなかったらおしまいですからね」とつぶやかれた。

デジタルって電気がなかったらおしまい、、、誰でも、思っていることかもしれないけれど、普段、ショップでいろんなデジタル機器を扱って経験を積んでおられる方のつぶやきだったので、なんとも言えず印象に残った。

僕もデジタルのことなど全くの素人だけれど、CDなどにデータを保存していても電気がなかったらそれを見たり聞いたりすることはできない。

言われてみれば、そのとおりだなと。

ファーストフードの店の店内飲食のコーナー、マンガ喫茶などで、スマホの充電を売りにしたりするのも、結局、みんな、デジタル機器の電気を求めているからに他ならないと今さらのように思う。

そして、そんなことを考えていたら、井上陽水さんのことを思い出した。

何年か前、陽水さんの歌の歌詞(確か「夏祭り」という歌だったと思う)が陽水さんの故郷、九州で石碑に刻まれることになった。

そのときの、陽水さんのコンサートの映像か、音声を聴いていたら(映像か音声か記憶が不確かだけれど)そこで陽水さんはおよそ、こんなことをかたっておられた。

「みなさん、このたび、私の歌の歌詞が、私の故郷、九州で石に刻まれることになりまして。

すごいでしょ 石ですよ なにしろ 石ですから 石に刻まれているんですから

雨が降っても消えません 風が吹いても消えません 大丈夫です

すごいでしょ みなさん おめでとうございます」

と、そんな感じで、歌の合間に、陽水さんは、あの独特の ぽつ ぽつ とした語り口でコンサート会場のみんなに語りかけ軽い笑いを取っておられた。

いやあ、アーチストは笑いを取るときも、深いことを言うんだなとあのとき思った。

確かに、風化、ということを考慮に入れなければ、石に刻んであれば、電気がなくでも見ることができる、容易には、データが消えたりしない。

仮に消えるとしても。デジタルデータのように、瞬時に消えてしまう可能性は低く、徐々に消えていくから、ある程度、文字が見にくくなったところで修復も可能だ。

うーん、石に刻まれた陽水さんの歌詞の話、これは深いなと改めて思う。

同時にデジタルデータの脆弱性ということにも僕の足りない頭で思いが至る。

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あるとき、〇〇百貨店を立て直した男、とか呼ばれているような人が司会をしているラジオ番組を聴いていたことがある。

そのときのゲストは医師だった。

司会者の元百貨店社長が「これだけデジタル化がすすんだ時代だから、いろんな医療情報も中央で一元化して、デジタルで、すべての病院で閲覧可能なようにしてしまえば、医師同士の連携も図れるし、効率がいいじゃないですか」というようなことを話した。

するとゲストの医師が
「デジタルデータの共有と言っても、技術面一つとっても、デジタル端末の規格の統一もしなければなりませんし。端末の規格が違っていれば、いろいろそこから生じるエラーもありますし、、、技術面以外でも、個人の権利の問題、倫理の問題など様々なことがあります」というようなことを本当に一生懸命話していた。

それを聞きながら、僕は、ああ、司会者よりも、医師の方がはるかに頭がいいな、とぼんやり思っていた。(まあ、ある意味当たり前のことかもしれないけれど、、、。)

そして、どうせ医師にかかるならこんな真面目な医師にかかりたいものだなと思った。

本当に、そう思わせるほど医師の方は真面目に答えておられた。

そして、僕は、頭の中で、ぼんやりと、百貨店を立て直した男 といっても、その人ひとりで立て直したわけではなく、その人が語ったアイデアなどをもとに、色んな人が、そのアイデアの問題点を洗い出したり、いろいろ工夫して、具体的な形にしたんだろうなとも思った。

何事も一人でできることはない。

おかげさまという気持ちをたいせつにしたいなと思う。

それはともかく、一日いちにち無事にすごせることを第一に願っていきたい。

機種変更 

2021年06月11日 | 日記
二ヶ月くらい前に、ドアの下にタブレットを置いておいた。

ドアの下にタブレットを置いていることを忘れて、勢いよくドアをあけたら、ドアの下部と床の間にタブレットがはさまる形になって、タブレットの画面にヒビがはいってしまった。

修理に行こうと思ったけれど、いろいろコロナでお店も不規則営業だし、と思って我慢していた。

ヒビが入った画面にはセロテープを貼ってなんとかしのいでいたのだけれど、だんだんタブレットの反応する速度が遅くなってきた。

コロナで在宅ワークとかでみんなネットを使うので、そのせいで反応が遅いのかもしれないなどど、専門家の方から見たらアホらしいような、推測をしながらも、でも、やっぱり、反応が遅いのはヒビが入ったせいだろうと思った。

反応も。ヒビが入った直後から急に遅くなったというよりも、少しずつ遅くなってくるという感じだった。

でも僕が電車の中などで、タブレットの反応が遅いなあと思って、指で画面をツンツンしていたりすると、隣の若い男の子の顔が少しにやけていたりとか、タブレットでの作業の効率がどんどん悪くなっていくのでこれは、と思った。

緊急事態明けとか言っているといつのことになるかもわからないし、とりあえず、今は、タブレットの直営店も平日20時まではやっているということを確認したので、思い切って行ってきた。

かかりの方は、代替機があれば、修理をお受け付けできますと言って、代替機があるか確認してくださったらあった。

よかった。

前回、調子が悪くなったときは、代替機が戻ってくるまで何日か待ったので。


さすがにコロナの影響か、お店に電話しても出ないので (会社の先輩が「嫁に電話しても出んわ」というオヤジギャグを得意にしていたことを思い出す)アントニオ猪木ではないけれど「行けばわかるさ」と思って行ったら修理はとりあえず受け付けてくださって代替機もいただけた。

パスワードなどを書いたノートを持っていったので、かかりの方と確認しながら、よく使うアプリを選んで代替機にインストールした。

メモを持っていってよかった。

ただ、一部、自分で書いた字が自分で読めないなどの、ハプニングもあり、ちょっとてこずったこともあったけれど、おかげでアプリの移行はなんとか大丈夫だった。

ただ、こういう、代替機とか、そういうスマホで言うと機種変更に当たるような場面に遭遇すると、本当に、あまりにもアプリに頼りすぎた生活になってしまうと機種変更のときに、緊張するなと思うし、これから老眼など進んでいくことを考えると、やはり、アプリに頼りすぎということに気をつけなければと個人的にはそう思った。

ショップのかかりの方も、紙に書いておくことの大切さというような感じのことを少しだけ話しておられた。
(立場上、たくさん話すことはできないのだと思う)

新聞には、日本はデジタル化の勢いということでは、新興国にも負ける様相で、欧米に追いつけ追い越せの時代の気概がないのではないかというようなことが書いてあった。

それを読みながら、でも、新興国と、日本と、人口構成もきっと違うだろうし(日本の高齢人口比の高さを見るとそう思う)、新興国にも負けるとか嘆いたり、欧米に追いつけ追い越せということを目指す時代でもないのではないかとぼんやり考えていた。

しかし、一方で困ったことがあって、ネットで調べてもわからない、あるいはもう目がぼやけて、ネットで調べるのが面倒というときにコールセンターに電話をしても、案外頼りにならないということも多いし、、、。

本当に、こんな書き方して申し訳ないけれど、ちょっとコールセンターのお姉さんに、的外れの質問をすると、迷惑電話撃退のときのような勢いの口調で、そういうことはこちらでは存じ上げません と言ってくる方もいる。

そういうときはガクッと来てしまう。

もう日本中がコロナでカリカリきているのかもしれない。

本当に、無口で余計なおべんちゃらなど言わなくても、ありがとう、申し訳ありません、だけでも言う習慣にしたら、随分、人間関係が、やわらかくなるように思うのだけれど、、、。


いつか、自分の知りたい電話番号が、ネットに出ていなくて、それで、会社名を検索して、会社のサイトの会社概要の欄を見たら電話番号が見つかったということがあった。

それで、電話してたすかったということもあった。

あのときは、会社概要を見るということを思いついて本当にラッキーと思った。

でも、いつも会社概要に書いてあるとは限らないし、本当に、最後はなるようにしかならない。

それでも、その場で工夫してなんとか助けを求めるという気持ちだけは大切にしたいと思う。

今日、ハンカチを忘れて、100円ショップで買って、すぐに使いたかったので
レジのお姉さんにそのハンカチを見せながら「これシールですか。ここのシール剥がしたら、すぐに使えるんかな? 僕、老眼やから」と言ったら、お姉さん ニーっと笑ってうなずいてくれた。

やっぱりニーっと笑ってもらえるとちょっとうれしい。

それはともかく、一日いちにち無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。








ハロー グッドバイ

2021年06月09日 | 日記
ビートルズの中期の頃のヒットナンバーにHello Goodbyeという曲がある。


歌詞を日本語に訳すとおよそこんな歌詞だ。


“”

君はイエスという 僕はノーという。

君は止まれという 僕は行け 行け 行けという。

何てことだ。


君はさよならという 僕はハローという。

なぜ君はさよならと言い僕はハローと言うんだろう。

わからない。


僕は高いという 君は低いという。

君はなぜという。僕はわからならないという。

何てことだ。


なぜ君はさよならと言い 僕はハローと言うんだろう。

わからない。“”


高校生の頃 友達にビートルズのLPを友達に貸してもらってこの歌を聴いたとき
彼女と全然、気が合わないことをコミカルに歌った楽しい歌だと思っていた。

実際、この歌はそういう歌だとは思う。

メロディも楽しく弾むようなメロディだし、、、。

しかし、僕くらいの年齢になるとこういう歌も、若い頃よりはもっと範囲を広げて聴くことができる。

彼女であるかどうかにかかわらず、同性でも異性でも、本当に気の合わない人とは徹底的に合わない。

それは、誰しも経験することだと思う。

こちらが、右と言っているのに相手は左という。

キャッチャーが外角に構えているのにピッチャーのたまが内角に行ってしまったりすることを逆球(ぎゃくだま)とうことがある。

ほんとうにことごとくぎゃくだまを返してくる人って誰にでもいると思う。

こちらがこのくらいのズルは大目に見てくれよ という気持ちで頼んでいるのに
そんなズルは許せないと言ってきたり、そういう態度をとってくる人。

逆に、こういう種類のズルだけは許せない とこちらが思っている、まさにその点でズルい人。

こちらがアドバイスなど求めていない、ただ、ちょっと愚痴を聞いてほしくて話しただけなのに、その話の内容に、おせっかい以外の何ものでもないようなアドバイスをしてくる人。

逆に、こちらがその人の個人の経験に基づくアドバイスを求めて相談しているのに
「そういうことは、やっぱり専門の人に相談するのがいいんじゃないの」と言ってくる人。


こちらが単に金額の高い低いよりも、まずは品質、そして価格は、品質に応じた適正価格を求めているのに
「こちらのほうが安いですよ」と金額の高しか考慮に入れていないようなリアクションをしてくる人。

逆にこちらが金額が低いことを第一に考えているのに、「そんな安物は結局すぐこわれて、高くつきますよ」と言ってる人。


もう一事が万事こちらが求めているのとはことごとく逆のリアクションをしてくる人。

そういう相手って本当に、異性、同性に関わらず誰にでもいると思う。

そんなとき、ビートルズのハロー グッドバイを聴いたり歌ったりすると幾分気が晴れるといういことがある。

“”君はイエスという 僕はノーという。

君は止まれという 僕は行け 行け 行けという。

何てことだ。“” と歌ってみると幾分気が晴れる。

その幾分というのが結構大きかったりする。

お釈迦様の 一切皆苦 すべては苦しみ という考えに基づけば、幾分でも気が晴れれば、その幾分が結構大きいように思う。

なにしろ、苦しいのがむしろあたりまえとお釈迦様は言っているのだから、、、。

イエスといえばノー
高いといえば低い
止まれといえば行け

ハローグッドバイではこういう対概念が並べられている。

対概念、大切なことだと思う。

音楽でもフォルテばかりだと、うるさくて嫌になってしまう。
フォルテとピアノがあるからいい。

アレグロばかりでは気分がハイになりすぎてしまうこともある。
スローな部分もあったほうがいい。

さて、いろんな対概念がある中で、僕が思い出すのは

新約聖書の最後の巻
ヨハネの黙示録に書いてある
こんな言葉

“”全能者である神、主がこう言われる「私はアルファでありオメガである」“”と。

ヨハネの黙示録は、僕にとってはとても難解な巻で、何が書いてあるのかほとんどわからなかったけれど、この「私はアルファでありオメガである」という言葉だけはなぜかとても心にとまった。

アルファはギリシャアルファベットの最初の文字。
オメガは同じく最後の文字。

なので「私はアルファでありオメガである」というのは実質的には
「私は初めであり終わりである」ということになる。

初め と 終わり という対概念。

イエスといえばノーと言ってくる人
高いといえば低いと言ってくる人
止まれといえば行けと言ってくる人

ことごとくこちらの期待とは逆の反応をしてくる人。
また、逆の反応をされるような体験。

そういうものすべてはアルファとオメガの間の出来事

初めと終わりの間の出来事

と考えると、全ては初めと終わりという全体の部分である、というふうに捉えることができると思う。

そのように捉えることで、物事や出来事からからしかるべき距離を置くことができて、幾分でも気が楽になるのではないだろうか。

そして、その幾分 というのが結構大きいことなのだと僕は思う。

それはともかく一日いちにち無事でありますように、それを第一に願っていきたい。








ドンピシャのがありましたねえ

2021年06月06日 | 日記
僕、腕時計をしたまま、顔を洗ったり、雑巾がけしたり、要するに、水を使うので時計より先にベルトが傷んでしまう。

時計はまだ、正確に動いているのに時計のベルトがだめになってしまったので、先日、ロフトでベルトだけ交換してもらった。

時計売り場の男性職員の方に、事情を話すと、職員の方は、ちょっと時計を見せてくださいと言って、スケールで時計の幅を測って、ああ16ミリのベルトですねと言って、女性の店員さんに、ちょっとこの方(僕)に16ミリのベルト、案内してあげてと言った。

女性の店員さんがいくつか候補を絞ってくださった。

「これは、ちょっとね、時計そのものが高級品じゃないので、このベルトだと、時計を新たに買ったほうが安いということに、、、ね」と僕が言うと店員さんは「そうですね」と言った。

もっとも廉価なものを僕が選んでこれはどうでしょう というと、ちょっと色が濃いようにも思える。「これ、黒色(のベルト)なんですよ」と店員さんが言った。

「そうですか、僕、ちょっと色弱のけがあるので、濃い青に見えました、黒なんですね」と言った。

それで、値段は、もっとも廉価なものよりもすこし上だったけれど、明るいブルーの色を時計に合わせてみて「色はこれのほうが時計にマッチするかも」と言った。

店員さんも「そうですね」と言った。

それで、そのベルトをつけてもらうことになった。

店員の方は預り証の紙に10分後の時刻を書いてくださって、10分後にこの紙を持ってまたこの売り場に来てくださいと言った。

それで、僕は10分くらい、いろんな売り場をうろうろして また時計売り場に行って、先程の男性の店員さんに預り証を提出した。

すると男性の店員さんは「いや、もう、ピッタリの色がありましたねえ」と言った。

ベルトをつけ終わった時計を、明るいライトのもとで見ると、確かに時計の色とベルトの色が寸分違わないほど同じいろになっている。本当にドンピシャと僕も思った。

「ほんま ぴったりですねえ、ありがとうございます」と僕は言った。

本当に、目が弱くなったせいかもしれないけれど、明るいライトで照らしてみて、初めて気づくということが多い。

でも、店員の方も、実際にベルトをつけ終えてみて、ドンピシャと気づいたという感じだった。

いやあ、よかった。

なんだか気のせいか、僕だけでなく、店員の方も満足という雰囲気だった。

アルバの時計、女性の店員さんが、改めて僕に時計を渡してくれて、お勘定をすませた。

「これ、アルバの時計。昔、松田聖子が、 “”ウォッチミー ウォッチミー 見つめてほしい私だけを よそ見しないで アルバに決めて♪“” って、時計と 見るの掛詞のコマーシャルソング歌ってたんだよ」とその若い女性の店員さんに言おうと思ってやめた。

年寄りの昔話は嫌われるだけと思って、、、。

というか、僕と同年代の人でも松田聖子が、そんなコマーシャルソング歌っていたこと、100%忘れている人がほとんどと思う。

なぜ、僕、そんなこと覚えてるんだろう。

つくづく変な記憶力 と思う。

でも、僕がそのコマーシャルソングを覚えているのは、聖子さんが、自分の持ち歌を歌うときと同じテンション、パワーでそのコマーシャルソングを歌っておられたから印象に残ったのだと思う。

聖子さんっていろんなこと言われている方だけれど、歌にかんしてはひたむきな方だなと僕は個人的にそう思っている。

それはともかく、一日いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。



夕刻に

2021年06月06日 | 日記
夕刻に関西のそこそこ規模の大きい私立大学の近くの駅前のコンビニの路傍の縁石に女学生が腰をおろしていた。

その女学生の太もものあたりを枕にして、もう一人の女学生が、寝転ぶようなポーズをとっていた。

女の子なので、友達の太ももを枕に寝転ぶようなポーズでも可愛いと思ってみると可愛いけれど、少しお酒が入っているのかもしれないと思った。

お行儀が悪いといえば悪いけれど、大学生というのはそういうことしたい年頃だし。

ただ、いつの時代でも、そういうポーズを取りがちな子と、そうでない子に学生は二分される。

どちらがよくて、どちらがあかんというわけではないけれど、、、。

考えてみれば、大学生活って、たった4年、そのうちの、1年余の時間、コロナで、遠隔授業とか、どういう気持ちなんだろうと、こういうの見ると考えてしまう。

その駅のホームへ。

僕の前には男の子と女の子の大学生が並んでいた。

電車が来ると、女の子だけ乗車して、男の子はホームで彼女を見送っていた。

電車が、発車するとき女の子が、男の子に手を振っていた。

男の子は、定期券でホームに入場だけして彼女を見送ったのだろうか。

“”また会う 約束など することもなく
それじゃあ“”またね“”と別れる時の お前がいい“”

という小椋佳さんが書いた、「ただ、お前がいい」
という歌の歌詞の一節を思い出す。

ただ、車内で、大きな声で話したり、進行方向に垂直な二人がけの椅子の向かい側の椅子の背もたれも自分たちの方に倒して4人がけ向かい合わせの状態にして、そこを二人で占拠するとか、一般にマナーの悪いと思われることをしているのもまた学生だった。

まあ、はめを外しすぎないように、楽しく、学生生活を送ってほしいものだとは思う。

どうぞ一日いちにち無事に通れますように、それを一番に願っていきたい。