自宅最寄り駅前の桜の葉も見ると、もう新緑というところを通り越して濃い緑になっている。
葉も随分大きくなったなと思う。
本当に気づけばどんどん季節が進んでいくなと思う。
今日は、薄曇りだったせいか自宅近所のあちらこちらにある あじさい が大きくきれいに見えた。
そういう時期なんだなと思う。
こんなとき近くのお宮にいけばあじさいがきれいだろうなと思うのだけれど、なぜか今年はそのお宮にあまり足が向かいない。
コロナでいろいろと行動パターンが変わってしまったなと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
読売新聞に、大阪教育大学付属池田小学校は通り魔のような人にかつて襲われたこともあり防犯意識が高いはずなのに、数年間、校舎の写真がグーグルマップで360度見渡せる状態になっていたと出ている。
本当に、グーグルマップもまだまだ、いろいろ開発途上だなと思う。
いつか、大阪の確か金蘭短大の敷地内にあるコンサートホールに音楽を聴きに行ったことがある。
チラシに、最寄りの駅から、コンサートホールまでのかんたんな地図が出ていた。
しかし、僕はグーグルマップの徒歩ナビを利用して、そのホールに行った。何しろ短大の敷地内にホールはあるのだから、短大の敷地に入れば必ずホールにたどり着く。
グーグルの徒歩ナビをonにして、それに従っていくと、グーグルマップが「目的地に到着しました。お疲れ様でした」と自動音声で喋った。
ええ、どこが目的地やの?と思ってあたりを見ると、短大のグラウンドの裏側に僕はいて、そこでグーグルマップが「目的地に到着しました」と言っていることに気づいた。
やられた、と僕は思った。
結局、そのグラウンドから短大の敷地に入る入り口はなく、(それは、女の子ばかりの短大の敷地のグラウンドの裏から敷地に入ることができたら、それこそ防犯上まずいだろう)僕は、グラウンドのフェンスにそって短大の敷地を一周して、短大の正門にやっとたどり着いた。
素直に、チラシに印刷された略地図を見ていけばよかったものを、グーグルマップの徒歩ナビを使ったばかりに駅から、倍以上時間がかかってしまった。
時間に余裕を持って行ったからよかったものの、あやうくコンサートに遅刻するところだった。
あのときは、ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーで構成されたカルテットがベートーヴェンの弦楽カルテットを演奏したんだっけ、、、。
個人の感想としては、そこそこいい演奏だったと記憶しているけれど。
それ以来、グーグルマップの徒歩ナビを使うときは、マップが表示する地図の全体像にも気を配り、おかしなところ(建物の裏手)などに行きそうになったら、自分の頭で考えて、進む道に修正をかけるように気をつけている。
ほんとに、あのときはグーグルマップにやられたと思った。
何日か前にも、その人のネットへの投稿履歴などのデータを集めれば、その人のおよその性格の傾向を割り出してしまうような人工知能のアプリもすでにあるとかいうことが出ていた。
人工知能のそういう評価は主観が入らないので信用できそうだけれど、人工知能に人間が学習させるときに、人間の性向にしたがって偏った学習をさせると、人工知能が割り出してくる、人間の性向にも、バイアスが生まれるというようなことが書いてあった。
しかも、人工知能は、どういうデータに基づいて、判断を下したのかというところまでは言ってこないので、人工知能の判断を鵜呑みにすると、とんでもない誤解が生まれる可能性も指摘されていたと記憶している。
本当に、科学の領域では、どういう基準でデータをとったのかということを明らかにすることもモラルのひとつと思う。
こういう時代だからこそ、データの出典を明らかにするという姿勢がよりいっそう求められると思う。
科学的にも実証済み、と書いてある新聞広告に、どういう実験をしたのかということは虫眼鏡でみないとわからないくらい小さい字で書いてあることも多いけれど、自分が購入しようか迷っている商品については、そういう虫眼鏡の字も読まなければ、とは思うのだけれど、だんだん老眼も進んでくるし、、、、、。
ということで、気をつけながらも最後はなるようにしかならないということになってしまう。
ということで、一日いちにち無事に通れますようにということを第一に願っていきたい。