今日の読売新聞の一面に、政府が18日の臨時閣議で、「経済財政運営と改革の基本方針」や「成長戦略実行計画」など、今後の政策の方向性を示す「政府4計画」を決定した。という記事が出ている。
新聞に書いてあるその4計画のポイントの中に「グリーン化」という言葉が出ている。
「グリーン化」ってなに?と思ってみると、具体的には再生可能エネルギーの主力電源化の徹底と電気自動車の利便性をガソリン車並みに高めるということが書いてある。
電気自動車のことに関しては、僕、なにも勉強したことないのでわからない。
けれど、再生可能エネルギーに関しては 征さん という方の書かれたあまり売れていない本のなかに次のように書かれた箇所がある。
「太陽光、つまり、ソーラーパネルによる発電設備の場合は緑地化するどころか、その敷地内にある樹木はすべて根こそぎ切り払い、影も形もない状態にしてしまいます。
それだけでなく、その後もずっと草も木も生えてこないように強力な除草剤を散布し続けるか、地面に厚さ5ミリほどのシート状のものを、しきつめその上に砂利をおき、パネル設置となります。
パネルにとって樹木の影は(発電量が落ちて)困りますし、木の葉が飛んできたり鳥が糞を落としたりすると、その一枚のパネルの発電量はぐんと落ちてしまうそうです。
そんなことで今、日本中ブルドーザーが走り回る勢いで緑の野山が裸にされソーラーパネル畑が出現していますが、なんと※そのときの会議で、『太陽光発電は緑化設備とみなす』ということになりました。
その後の記事をみましても『環境施設とみなす』などとなっています。なんでこんな屁理屈がまかり通ってしまうのか本当にあきれかえってしまいます」と。
※そのときの会議とは2011年の行政刷新会議と本に書いてあります。
本当に今日の新聞に「グリーン化」という言葉が出ていて、その中身が、再生可能エネルギーの主力電源化と書いてあると、きっと征さんが書いておられることが本当なんだろうなと思ってしまう。
だってグリーンを日本語に訳すと緑だもの、、、。
それに、僕は岐阜県という田舎の県の出身だから、たまに帰省して、今まで、田んぼや畑だったところに太陽光パネルが設置してあるのを観察すると、確かに、その敷地には草も木も生えていないので、その点でも征さんのおっしゃることがきっと本当なんだろうと思ってしまう。
ただ、征さんという方は、実に、淡々とした方で、人間が電気を使うという道を選ぶ限りは、現状では、環境破壊は避けられないという主旨のこともおっしゃっているので、僕も、決して、太陽光発電反対ということを言いたいわけではない。
僕自身も、暑くなるとすぐエアコンをつけるし、電気はいろいろと使うので、決してえらそうなことを言えた立場ではないし、、、、。
ただ、太陽光発電など、実際には緑化に逆行するものを「グリーン化」といういかにもそれが緑化につながるようなイメージを与えるような標語?で表現するのは、個人的によくないことだと思う。(あくまで個人の意見です)
ある大学の先生が、自分が、哲学の古典を研究しているうちに気に留まった言葉をまとめた本がある。
これも、いわゆる名言集というような売れ筋の本ではないので、今では絶版になってしまっているけれど、その本の中にこのような言葉が出ている。
「正しい言葉づかいをしないということは、そのこと自体いけないことであるばかりでなく、われわれの魂の中にある種の害悪を植えつけるものだ」(プラトン パイドンより)と。
「正しい言葉づかいをしないということはわれわれの魂の中にある種の害悪を植えつける」
この抽象的な言葉が何を意味するのか、僕には到底わからない。
しかし、政府が、緑化ではないものを「グリーン化」というような、まやかしのようなスローガンで表現していると、たちまち、それが、民間にも伝播して、世の中に、まやかしのような言葉が氾濫するようになる可能性が高い。ということは言えると思う。
現に、今の世の中、まやかしのような表現が増えたなと思ったり感じたりしているのはきっと僕だけではないように思う。
そうすると、結局、何を信じたらいいのか、どんな言葉を信じたらいいのかわからない世の中になってしまうように思う。
結局、そういうことが、「われわれの魂の中にある種の害悪を植えつける」という言葉の意味のひとつなのではないだろうかと僕は思う。
それはともかく いちにちいちにち無事に過ぎますように、それを第一に願っていきたい。