数日前、久しぶりに隣の町の繁華街に行った。
緊急事態で人影はまばらというわけではないけれど、緊急事態の前よりは少ない。
歩道橋の前で、知り合い同士と思われるおじさん二人が顔を合わせて「よう、久しぶり」という感じで言葉を交わしていた。
一人のおじさんが「これ、でけへんのがつらいなあ」と言って、マスクをした口元にビールかチューハイのジョッキを持っていくようなゼスチャーをした。
もうひとりのおじさんが「ほんまや」と言った。
本当に、コロナそのものがしんどいと言うよりは、コロナによるいろんな規制のほうがしんどいという人のほうが少なくとも数的には多いのではないかと、こういうのをみていると如実に思う。
もちろん、コロナにかかってしまった方の気持ちは、その人や家族にしかわからないけれど。
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読売新聞を読んでいると、職場での接種が進んでいくような流れになっていることが読み取れるし、また、接種を受けたという証明書の発行も進められる流れになっているように読み取れる。
職場で接種と言うと、本当に待ったなしという感じになってしまうと思う。
僕も、今は会社に勤めていないから、ワクチンは心配とか思っているけれど。会社で接種となると、ワクチンが自分にとって心配という考えが、あっという間に、課長も接種したから、自分も接種しなまずいかなあ、とか、影響力のあるあの人も接種したから、これは、僕も接種しないと立場が悪くなる、とか判断の基準が途端にそちらの方にシフトしてしまう。
もう、それは、僕も周りの顔色をうかがって仕事をしているショボショボの会社員だったから、そういう気持ちになるだろうと想像できる。
実際に、社長がハマっていた健康食品を、周りのみんなが買っているというだけの理由で、ろくに食べもしないのに給料からの天引きで買っていたこともあるし、、、。
本当は一日一袋ずつ食べる健康食品だったけれど、食べずにたまっていて、たまたま腹が減ってほかに食べるものが何もないときにまとめて5袋くらい食べたこともあったっけ。
それでも、今は、会社に勤めていないので、まだ、もう少し様子見だけれど、もう接種の証明書がないとお店などにもいきづらくなるという気配を察知したら、ままよとおもって接種するしかないかなと思う。
本当に、風見鶏のような考え方で恥ずかしい限りだけれど。
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今日の読売新聞に全仏オープンテニスを棄権した大坂なおみ選手のツイッターへの投稿全文が載っている。
その中で次の部分に特に心をうたれた。
「私は元来、人前で話すのが得意ではなく、世界のメディアに言葉を発する前は、大きな不安の波にのまれそうになります。
私はとても神経質になり、常にベストな答えをしようとすることがストレスになると気づきました。
ここパリでも私はすでに傷つきやすく、不安定な状態になっているため、自分を大事にし、記者会見を欠席することがより良い選択だと考えました」という部分。
特に「自分を大事にし、記者会見を欠席することがより良い選択だと考えました」という僕が引用した最後のフレーズに心を打たれた。
この大坂なおみさんの言葉を見たとき
イエスの「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」という言葉(マタイによる福音書22章)を思い出した。
自分を殺してまで、自分を抑えてまで、他者を愛しなさいとは書いてない。
自分を愛するように他者を愛しなさいと書いてある。
長い間、人類に語り継がれてきたイエスの言葉に即せば、愛するというのは、自分を犠牲にすることではなく、自分を愛することがまず基準になるということを、私達はこういう機会にもう一度思い起こしてみるべきなのだと思う。
あと、僕は大坂なおみ選手のインタビューの映像を見たことはないけれど、いろんなインタビューの映像を見ていると、インタビューする記者の側に、あらかじめ、こういうストーリーで記事を書きたいという流れがあって、そのストーリーに従って相手の気持ちなどおかまいなく誘導尋問のようなインタビューをする場合が多いというのも事実と思う。
そういう誘導尋問をかわすために、例えば橋本徹さんなどのように弁護士としての弁論術をいかして、記者の質問の前提となる知識不足を指摘して勉強して出直してこいという手法をとっていた方もおられた。
落合中日元監督のように、アホな質問にはまともに答えないという手法をとっておられた方もいる。
相撲取りならば、イヤな質問がきたら、「思い切っていきます」「何も考えずにいきます」「いやあ、必死だったので覚えてません」など質問をかわす定形パターンがあるけれど、テニスで世界に発信する言葉だとおもうと、そして大坂なおみさんの人柄ということを想像すると、それは、、、。と思ってしまう。
記者の方にも質問する時のモラルというものが要求されるのだと思う。
質問するほうもされる方も、人間同士なのだから。
一日いちにち無事に通れますように、それを第一に願っていきたい。