ケンのブログ

日々の雑感や日記

気づいたら相撲の話になっていた

2021年06月14日 | 日記
かなりの晴天だった。やはりもう、夏至も近く晴天だとかなり暑い。

昨年も、マスクで夏を乗り越えられるだろうかと思ったけれど、今年は今の所なんとかなっている。

ただ、まずいと思ったら、マスクをはずすという意識も持っていたいなと思う。

我慢しすぎてバタッと行ったらまずいので、、、。

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何日か前に相撲の場所前にキャバクラに通っていたことが判明した朝乃山が、6場所連続出場停止で、復帰したときには三段目からやり直しだろうと新聞に出ていた。

いやあ、三段目からというのはきついなと思う。

もう、本当に昔の話(昭和から平成初期の時代の話)になるけれど、大相撲に蔵間というとても男前の力士がいて、引退してからもタレントとしていろんなテレビ番組に出ていたことがあった。

その蔵間さんが司会をしている番組に引退後の輪島が出て、蔵間さんが「もう、俺、ずいぶん長いこと相撲やってないから、今、やったら三段目に勝てるかなあ」ということを言った。

そうしたら輪島が独特のポツリとした語り口で「三段目?そりゃ勝てるでしょう」といった。

それを聞いて、僕は、幕内経験者、ましてや横綱、大関経験者から見たら、三段目って、まあそのくらいの感じなのかとなんとなく思った。

僕も、大阪府立体育館に大相撲を見に行くときは、だいたい、正午前くらいに会場について、だいたいその時間というのが三段目あたりの取組中ということが多いので、なんとなく素人なりに感覚でわかる側面もある。

その地位からやり直しって、、、。

稽古をしていれば、体力は落ちないだろうから、三段目ではたぶん7戦全勝に近い成績になるとは思うけれど、幕下、十両とあがるにつれて周りも強くなってくる。

それに、怪我で落ちるのと、こういう不祥事で番付が落ちるのでは、また、違った心理的なしんどさがあると思うし。

本当に世の中にはいろんなタイプの試練、苦労というのがあるのだとしみじみと思う。

朝乃山に関して、親方の朝潮も朝乃山をいろんな宴席に引っ張り出したりして、あかんやろうというようなことが言われていた。

それで思い出したのだけれど、朝潮の現役時代に引退後の輪島がNHKの相撲中継の解説をしたことがある。

150キロをはるかに超えるかという朝潮の堂々とした体格を見てアナウンサーが「どうですか、この堂々とした朝潮の体格」と輪島に話をふると、輪島はたった一言ポツリと「太り過ぎじゃないですか?」と言った。

それでアナウンサーは、話の持って行き場がなくなってしまって、黙ってしまった。

それを聞いていて、僕は、輪島、こらあかん、もう解説には呼んでもらえなくなるわ と思った。

案の定というか、それから輪島が相撲解説をするということはあまりなくなってしまった。

そうこうしているうちに、親方株を担保にお金を借りたとかで、廃業ということになってしまった。

魅力的で、かっこいい横綱だったけれど、そういう意味での世渡りは、本当に不器用な人だったなあとしみじみと思う。

対象的に北の富士さんなどは、白鵬が貴景勝と長い相撲を取ったときに、アナウンサーが「いやあ、白鵬も今日は慎重でしたねえ」と話をふると、「まあ、慎重というよりも、(白鵬も)土俵の上で楽しんでたんじゃないの、あの上手取ったら、負けることはまずないんだから。すぐに(勝負を)決めてやればいいものを、本当に白鵬も人が悪い」と答えておられた。

まあ、こんなふうに面白く答えてくれると、アナウンサーも話が振りやすいだろうなと思う。

というか、相撲中継をするようなアナウンサーは、もう、解説者と同じくらいのレベルの目で相撲を見ていることが多い。

それで、その目で見て、アナウンサーも解説者に話を振るわけだから、解説者も、アナウンサーの求めに応じるという気持ちも必要になってくる。

そういう意味で、相撲解説に限らす何事も、人の求めに応じる力を持った人は得だなあと思うことがある。

その北の富士さんも白鵬が優勝して土俵下のインタビューのとき会場のみんなに三本締めを促すと「まあ、白鵬らしいといえば、それまでだけれど、ちょっと、これは、やりすぎだね」と言っていた。

「最近は、白鵬がインタビューを受けているときは、ヒヤヒヤするよ」というようなことを北の富士さん言っていたこともある。

人のことを少し悪く言っても、角が立たないような柔らかいユーモアを交えた語り方のできる北の富士さんはそういう意味では徳のある人だなとおもうことが多い。

それやこれやで、白鵬もいまはピンチに陥っているけれど、どうなるだろう。

どうなるだろう、と言っても、経過を見守るしか、ないわけだけれど、、、。

特に、相撲のことを書くつもりで、記事を書き始めたのではないけれど、書き終わったらなぜか相撲の話しに終始していた。

まあ、そんなこともあるだろう。

一日いちにち無事であること、それを第一に願っていきたい。









6月も半ばになって

2021年06月14日 | 日記
自宅の近所を歩いていて一二週間前に比べると、あじさいがの花がはち切れるほどにおおきくなっていることに気づく。

大きくて壮観といえば壮観だけれど一二週間前のもうすこしひっそり咲いている感じのほうが僕は好きかなと思う。

それに、花って、大きくなるということは、もうすぐしおれていくということになるだろうし、と足りない頭で考えたりする。

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電車に乗ると窓が開いていて、窓が開いているということは、冷房は強い冷気を送り続けるということになる。

僕は、全体的には暑がりのほうだと思うけれど、そういう局所的な冷気は苦手。

なので、カバンにいまでもネックウォーマーを入れていくとか、そちらの方に気を使っていて、つい、忘れていたけれど、かなり暑くなってきている。

家にいるときなど、気づくと、半袖のTシャツ一枚でいることが多くなった。

それでいて、出かけるときにはカバンにネックウォーマーを入れていくというのが、このコロナのときの特異性を如実に示していると思う。(少なくとも僕にとってはということだけれど)

ネックウォーマーに気を取られて老眼鏡を忘れたりとか、何かとそういうことも多い昨今だ。

いずれにしても、このコロナで、季節感というものも少しコロナ以前とは変わってきてしまっているのは僕の場合、事実のようだ。

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読売新聞に、マラソンの元日本代表で、お菓子の万引きなどで何度も逮捕され 摂食障害と窃盗症などの診断を受けたという原裕美子さんを取材した記事が載っている。

過酷な減量で、気づくと他の選手が冷蔵庫に入れていたヨーグルトを勝手に食べてしまって、全日本実業団女子駅伝を欠場に追い込まれた話も出ている。

記事のその箇所を読んだとき、芹沢光治良さんの「人間の運命」という小説に次のような記述があることを思い出した。

“”
人間は弱いものだ。食べるものも金もなくなると、神経が鋭くなるのか、同級生の誰は、どこに財布を置くか、誰の机の中に硬貨があるか、誰の本棚の書物はいくらで売れるか・・・・・自然にわかって、目先にちらついて困る。

意思に反して手が出そうになる。

同級生は同級生であり、親しい仲間であるから、自習室でも寝室でも、財布や金銭を隠すようなことはしない。

財布から、机の引き出しから、五十銭銀貨が一枚消えても、気がつかないに決まっている。

大塚の本棚には、高価な洋書が幾冊ものっている。これを神田の古本屋まで行って売ったら、大塚もあとで犯人を探せないだろう

次郎は大塚の本棚の前に立っている自分を発見して、蝋梅(ろうばい)したことがある。

財布をおさめた同室生の机の前に足が向いて、慌てたこともある・・・・・・

その都度、次郎は何か目に見えないが、天からさがっている鎖のようなものを必死に握りしめて、たえたが、全身が自己嫌悪で震えていた。

自分は盗みもできる人間だ、横領もできる人間だ・・・・・と。“”

※次郎は小説の主人公、作者、芹沢光治良の分身と思われる。大塚は次郎の旧制第一高等学校の同級生。

芹沢光治良は、「人間は食べるものも金もなくなると神経が鋭くなるのか」 と上記の引用箇所で書いているけれど、

原裕美子さんも読売新聞の記事によれは摂食障害について医師から「過酷な減量で体が飢餓状態に陥り、摂食本能が刺激されて、自然界では摂食前に行われる、狩猟や採集をつかさどる神経活動が活発に。その結果、自分の意思とは裏腹に、反射的に食べ物を盗んでしまう」と指摘されたという。

芹沢光治良さんが小説に書いていることと、原裕美子さんの体験のあまりの類似性に驚いてしまう。

やはり、食べ物に不自由しないとうことにも感謝しなくてはとおもう。

芹沢光治良さんは「天から下がっている鎖のようなものを握りしめて必死にたえた」と上記の引用箇所で書いているけれど、人間、極限状態になったときには、そういう鎖のようなものを意識できるかできないかでも、行く末が変わってくるということは、僕なりになんとなく感じる。

原裕美子さんのこれからの人生もよきものでありますようにと祈っている。

それはともかく、自分自身は、一日いちにち無事にすごせること、それを第一に願っていきたい。