ケンのブログ

日々の雑感や日記

減らぬ人出

2021年01月20日 | 日記
新聞に京阪神減らぬ人出 という見出しで二回目の緊急事態宣言は1回目の緊急事態宣言のときと違い、それほど人手が減っていないと出ている。

本当にある意味いろんなことが制御不能になっているように思う。

一方で京阪神では感染者数が高止まりしているとも出ている。

僕も前回の緊急事態宣言のときも、そして今回も、マスクこそつけているけれど、あまり家にずっといると気が滅入ってしまうので、特に外出をひかえているというわけでもない。

本当に、前回の経験から、自粛したからと言って、コロナが収まると限ったわけでもないし、そうそう自粛しているわけにもいかないし、という感覚にみんななってしまっているようにも思う。

本当に、コロナって目に見えないものだし、不気味だなと思いつつも、なんとか無事に過ごせますようにと祈りながら日々を送っているという感じになっている。

ワクチンの接種が5月からにも一般向けに始まると出ているけれど、どこまで安全性が確認されているのかいろいろと不安な面が多いなと思う。

これで、接種を受けた人、受けない人という対立などか生まれて、そういう混乱が生まれないようにと心の中で祈っている。


寒い一日

2021年01月19日 | 日記
学生の頃、冬の寒い日に友達と一緒に歩いていて「寒いなあ」と僕が言ったら、その友達は
「寒かったらさっさと歩け。子供の頃、よく、おかんが言ってたわ。寒かったらさっさと歩きなさいって」と言った。

まあ、確かにさっさと歩くと寒くはなくなる。

僕は基本的にさっさと歩く習慣なので本当に歩いている限りはあまり寒いと思うことは確かにそんなにない。

ただ、電車に乗っていて窓が開いていると体が動いてないのに冷たい空気が入ってきてそういうときは寒くてしゃっくりがで出たりすることもあるけれど。

ただ、今日はそれでもちょっと歩いていても首のあたりが少し寒いかなとは思った。

立ち食いそばの店に入ると、そこのラジオが「今日の最高気温は6度です」と言っていた。
それを聞いて余計に寒く思えてきた。

結構、僕は数値などを聞いて暗示にかかりやすいタイプなのかも知れない。

その立ち食い蕎麦屋は立って食べる場所と座って食べる場所があったけれど、座る場所は椅子があまりにも低い。

僕は座ると足を前に投げ出したりするくせがあるから、窮屈な椅子のカウンターに座るよりも立って食べたほうがむしろ楽、というちょっと変わった身体感覚になっている。

迷うことなく立って食べたのだけれど、僕以外のお客さんは座って食べているようだった。

70歳代くらいのご夫婦も座って食べておられた。

「やっぱ今日は、冬型で寒いなあ」と奥さんが言った。

そうか冬型の気圧配置になっているのかと思ったけれど天気図など見ていないのでよくわからない。

「やっぱ、健康が一番やわ。健康はどこのお宮にお祈りに行ったらええの」と奥さんが言った。

「健康はどこのお宮って。健康のお祈りやったらどこのお宮さんでも聞いてくれはるやろう」とご主人が言った。

「でも、このお宮は商売繁盛とか、あそこは縁結びとかいろいろあるやん」と奥さんが言った。

「まあ、せやけど健康はどこのお宮でもありやで。健康が第一やからな」とご主人が言った。

ご主人の言うとおりと思ったけれど、最近は人間の仕事もいろいろ複雑になって分業化が進んでいるけれど、神様も分業の時代になったのだろうかと思った。

まさか神様の分業というのはないような気もするけれど。

しかし、神様って目に見えないものなのでひょっとしたら分業ということもあるのかも知れない。

分業というのとはちょっと文脈が異なるかも知れないけれど、自宅近くのM神宮でお受けしたお守りの紐が切れてしまったので代わりにお稲荷さんに行ったときに記念にお受けしたお守りをしばらくかばんにつけていた。

しかし、しばらく時が経過してお稲荷さんて狐のイメージ、狐のお守りというのもなんか少なくとも僕は嫌やなあと思ってそれを祇園さんのお守りにかえてしまった。

お稲荷さんにどういうご利益があって、祇園さんにどういうご利益があるのか僕もよく知らないけれど、なんとなくそういうのは自分の感覚で決めてしまう。

あまり、どこそこのお宮さんはどういうご利益とか考えないたちだとは思う。

それでもお宮に行くとどんな神様が祭ってあるのかお宮の立て札に書いてある説明などはまめに読むことが多いけれど。

僕が住んでいる街の西隣の街のお宮にはスサノオノミコトやノミスクネノミコト(相撲の神様)
それに恵比寿様などがお祭りしてある。

毎年1月10日には福娘に選ばれた巫女さんが恵比寿さまをお祭りしたお堂の傍らで鈴をならしてお授けをしてくださる。

僕も過去に3回くらいこのお授けを受けたことがある。特になにも買わなくても頼めばその場でお授けをしてもらえる。

やはり、巫女さんにお授けをしてもらうと、気分がいいことは確かだと思う。

「巫女さんのくせに」と言って物議をかもした国会議員も何年か前にいたような記憶があるけれど、巫女さんのくせにという感覚は僕にはちょっとわからない。


僕の自宅から歩いて東に20分くらい行ったところにあるお宮は、国家安泰祈願というのが一番大きく書いてあったと思う。

きっとそういう由来があるせいだと思うのだけれど、そこのお宮に置いてあるパンフレットや機関紙に目を通すとちょっとここのお宮の宮司さんは右よりなのかなと思うこともある。

しかし、結構面白い宮司さんだ。

そのお宮には結構いろんな古文書などもあるようだ。

「古文書などの研究も宮司がなさるんですか」と僕は宮司さんに聞いてみたことがある。

すると宮司さんは
「いや、それは学者の仕事です。私はそういう仕事はしません」と言った。

「でも、学者が来て、古文書の研究をしてくれるなんてすごいですね」と僕は言った。

すると、宮司さんは
「その学者がくせもんなんですわ。研究は助手にやらせといて、自分は監修のハンコだけ押しますからね」と言った。

まあ、いかにも世間にありがちなぶっちゃけ話という感じで思わず笑ってしまったけれど、きっとそうなんだろうと思った。

そこのお宮には菅原道真の歌を書いた木製の札があるのだけれど、字が草書でくずしてあるのでよく判読できない部分がある。

「あの歌はなんて書いてあるんですか」と僕が言ったら、宮司さんはおでこに手を当てて「いやあ、ここまで思い出しかかってるんやけど思い出せません。

今まで、奥で事務の仕事してて、表に出てきて、急に歌の話になったから頭が切り替わらんのですわ。曖昧な記憶で生返事すると、インターネットそれが広まってしまうこともあるからわしも下手なことは言えんのですわ」と言った。

まあそういうのも今の時代はありがちな話だなと思う。

宮司さんも随分、お歳でど忘れも多くなっているかも知れないし。

それにしても、最近は次々と本をたくさん出す学者の中には、本当に実質的な中身は出版社が書いて、学者の先生はそこに監修のハンコを押すだけ。

あとは学者の知名度で本が売れる。

そういうこともきっと案外多くあるんだろうなと思ったりする。



体感温度

2021年01月18日 | 日記
僕がいくタバコ屋のご夫婦は真面目そうなひとだけれど、ご夫婦ともそんなに話しやすいというわけではないので、まあ、「たばこください」「はい おおきに」という言葉を交わす程度だ。

その「おおきに」を丁寧に言ってくださるので僕も気持ちが良くていつもそのタバコ屋に行ってしまうわけだけれど。

しかし、このタバコ屋に手伝いに来る女性は僕にとって結構話しやすい感じの人だ。

今日その方に「今日も、寒さの方はまだましじゃないですか」と言ったら、彼女は思い切り考えて「気象情報では寒いようなこと言ってましたけどね」と返してこられた。

見ると、2,3日前にこのタバコ屋に来たときにはついていなかったストーブがカウンターの中でかなり強火で点火してある。

いあや、これはしまったと思って「女性は冷えますからね。僕は動くとすぐに暑くなるたちやから」と言ったら。「まあ、私も動くと暑くなりますけどね」と半ばむりやりフォローしてくださった。

やはり、ストーブとかそういう周りの状況を観察してからものを言わないと、思わぬ地雷を踏んでしまうことになる。

そして、僕はそういう失敗が結構多い。

何年か前の冬に隣の街の市民交流センターの受付の女性(この方も僕によく、こんにちは、と挨拶してくださったので僕にとっては話しかけやすい方だった)に「いやあ、今日はちょっと暑いですねえ」と言ったら、その方の顔がちょっと険しくなって絶句してしまわれた。

見るとその女性は腰から下にストールだか毛布だかわからないけれど、そういう感じのものをぐるぐる巻にして、足元に電気ストーブを置いておられた。

しまった、ちゃんと観察してからものを言うべきだったとあのときも思った。

でも僕も暑がりというわけではなく、動くと割とすぐに暑くなるというだけの話だけれど。

逆に夏の日の公民館の集まりで、冷房が効きすぎていて、僕の両隣に座っていた女性が明らかに寒そうにしていたことがあった。

これは、僕もさすがになんとかせなあかんと思った。

男性の係員がそばを通りかかったときにその係員の方に僕は「ちょっと冷房が寒すぎます」と小声で言った。するとその係員の方は「何度くらい温度上げましょう」と聞いてこられた。

「何度くらい温度上げましょう」と言われても僕もそんなこと自分の家のエアコンでないからわからない。
僕がうーんと考えた瞬間を見計らったかのように右隣に座っていた女性が
「エアコン切ってもらってもいいですよ」と言った。

男性の係員は そうですね と言ってエアコンを切りに言った。

ああいうときの女性の言葉の瞬発力ってすごいなと思う。

筋力的な瞬発力は男のほうが上だけれど、とっさの言葉の瞬発力は女のほうが上だと思う。

その瞬発力にまかせて男をやりこめてばかりいると、ある時をさかいにその男がばったりと帰ってこなくなるかも知れない。

まあ、これだけは縁のものだけれど。

あるときやはり市民交流センターの受付で割と僕に挨拶してくださる女性のおなかがぽっこりしていたので小声で「赤ちゃんできましたか」と僕が言ったら、彼女は一瞬息を飲んで「これはお肉です」と言った。

いやあ、これはしまったとあのときは思った。もう「ごめんなさい」以外何も言葉がなかった。

2日後くらいにその方と出くわしたときももう一度「ごめんなさい」と言った。

あのときは、多分、ちょっと大きめサイズのニットのセーターを着ておられてお腹のところがちょとだぶついていたのだとおもう。

あれは、僕にとっては忘れられない痛恨のミスだったけれど、言われた方も覚えている可能性が高いかも知れない。

本当にあのときはまずかったなと思う。






阪神大震災から26年 寒の内

2021年01月17日 | 日記
大学入試の共通テストが終わってちょっとネットのニュースをチェックすると換気が寒かったという見出しが出ている。

本当に色々、大変だったと思う。

でも、なにしろ終わって良かったと思う。

今日は阪神大震災から26年ということで新聞にその話題が色々出ている。

あの日 僕は大阪市の南の方に住んでいて、早朝に地震が来た時、まだ寝ていたけれど、それでも、これは今までに経験したことのない揺れだと思った。

それで思わず掛け布団の中に頭まで潜り込んで、揺れている間、なむあみだぶ と必死に念仏を唱えていた。

なんとなく思わずそうしてしまったという感じだ。

かなり長く揺れていたけれどとにかく揺れはやんだので、また二度寝してしまった。

当時、僕が勤めていた会社の部署は朝10時の始業だったので8時に起きて9時の電車に乗れば十分間に合うという状況だった。

8時頃に起きてみたら、棚の上の置物がいくつか床に落ちていたのでやはり強い地震だったんだなと思った。

そして、さて会社に行くかと思って9時ころに地下鉄の駅に行くと駅のシャッターが降りていて、地震で運休 というような張り紙がしてある。

これは あかん と思ってまた家に戻りテレビをつけると煙の上がる神戸長田区の様子、無残に横倒しになった阪神高速道路などの映像が次々とテレビに出てきた。

それで、初めて事の大きさを知った。

会社に電話したら今日は出てこなくてもいいと言われた。

その翌日から地下鉄が動き始めたのかどうか、それは記憶にない。

やはり、人間の記憶力って、自分にとって印象深いことは覚えていてもそうでないことは忘れてしまうんだなと思う。

しかし、僕は阪神大震災で通勤に不便したという記憶もないから、きっと地下鉄はほどなく開通したのだろうと思う。

次の日 会社に行ったら宇治から通っている子は1月17日に出勤してきたと聞いてびっくりした。

そんな遠いところから大阪北のターミナル近くの会社までどうやって来たんだろうと。

その子は阪神大震災の何年か後に、二人目の子供の出産のときに、出血が多かったとかいうことで亡くなってしまった。

そんなことは妙に覚えているからつくづくいびつな記憶力だなと思う。

新聞には神戸では灯籠に火をつけ復興の合言葉になった「がんばろう」がうかびあがった。と出ている。

そういえば震災の前年、1994年の春先に神戸グリーンスタジアム(いまは違う名前になっていると思うけれど当時はそういう名前の球場だった)に行ったらスコアボードの一番打者のところに「イチロー」とカタカナの文字が書いてある。

当時はカタカナ=外人選手という認識だったから、いやあオリックスも今年は日本人みたいな名前の外人をとったなあと思った。

いざ、試合が始まると外人ではなく本当にどこから見ても日本人という顔のスマートな体形の選手が出てきてびっくりした。

あの年もイチローは大活躍だったけれど その翌年 震災の年から「頑張ろう神戸」と袖に書いたユニフォームでイチローは本当にすごかったなと思い出す。

イチローの全盛期には、毎日、新聞やネットでイチローの打率をチェックするのが楽しみの一つだった。

そのイチローも体形はそんなに変わってないけれど、もう引退して白髪も多いから、それは、あれから26年経つわけだと思う。

当時会社の僕の部署の主任だった人が昭和24年生まれでちょっと計算するともう72歳になる。

僕も今年で59歳だし。早いなと思う。 

確かに地震のときも、例えば火が迫る中、柱の下敷きになって動けない妻に「かあちゃんごめん」と言って逃げた人の心の痛みとかそういう頑張りだけではどうにもならない部分というのはいくらでもある。

でも高速道路の復旧とかそういうものは、頑張り次第でできるものであったような気がする。

今のコロナは、確かロンドンの市長が制御不能と言ったように、何をどう頑張ればいいのか見えにくいというのが一番の難点のように思う。

話は変わって、
1月5日が小寒で1月20日が大寒。なので今は「寒の内」ということで、Yテレビのアナウンサーの方が一昨年、大阪南部のお寺で滝に打たれる修行をした話題が出ている。

修行と言っても要するにテレビで滝に打たれるアナウンサーの生中継をしたという話だけれど。

その感想としてアナウンサーの方は
「滝に打たれて、あら不思議、心頭滅却すれば火もまた涼し、的なことはなく、ただただ寒い、冷たい、意識を保つのに必死。ですが終わったあとはしばらく外の寒さをまったく感じないほどで、気分はとても爽快に。スタジオの共演者からは顔つきが凛々しくなった気がすると言われました」と語っておられる。

どんなことでも意味のないことはないわけで滝に打たれるのも打たれた人にしかわからない意味や意義があるのだと思う。

ところで金光さんは滝に打たれるというようなことに関してこのように語っておられる。

「水をかぶって行(ぎょう)をするというが、体にかぶっても何にもならない。心にかぶれ。寒三十日の水行(すいぎょう)をするといっても、それは体を苦しめて病気をこしらえるようなものである。家内や子供の病気のために水をかぶって、一週間、日参しても治らなければ、自分の体に傷がつくだけである。

水をかぶったからまことである、かぶらないからまことがないとは言えない。食わずの行をするのは金光大神は大嫌いである。食べて飲んで体を大切にして信心をせよ」と語っておられる。
※金光教教典抄 天地は語る より引用

金光さんのこういう現実に即した合理的な考えって僕好きだなと思う。ちょっとユーモアもあるし。







温かい一日

2021年01月16日 | 日記
僕はスマホを持っていないので、そんなにタイムリーに気温をチェックすることができない。

テレビもほとんど見ないし、、、。

というわけで気温が何度とかそういう情報にうといのだけれど、今日はもう温かいと思った。

歩いていて暑くなってきたので途中でネックウォーマーをはずしてしまった。

ペットボトルの麦茶も今日は随分減ったし、、、。

僕、お酒はほとんど飲まないけれど、タバコは吸う。

でも外では吸えないところだらけだから、もう喫煙場所がどことか気にするのがいやで家でタバコを吸うことがほとんどという感じになってしまった。

なので、一箱で2日か3日はタバコがもつ。

ほとんどの買い物はスーパーマーケットでするけれど、なぜかタバコだけはスーパーでは買わずに、スーパーのすぐ近くのタバコ屋さんで買う。

タバコはスーパーでも個人商店でも価格が同じなのでなんとなく個人商店で買いたくなってしまう。

タバコ屋のご主人は真面目そうな人で、それほど口数は多くないけれど、タバコを買うと丁寧に「おおきに」と言ってくださる。

僕がエコーを買うということは知っておられるので、僕がお店に入った瞬間にご主人の手がもうエコーの置き場所に伸びているということもある。

一昨日くらいになぜか財布に懐かしい2千円札が入っていた。

2千円札でお釣りが出てきて気づかずに財布に入れたのだと思う。

自動販売機などだと2千円札は受け付けないかも知れないし、スーパーなどで2千円札を出しても、レジの子が若かったりすると2千円札がわからないかも知れないと思った。

そんなことを考えていたら急にこの2千円札はタバコ屋さんで使おうと思いついた。

いつもは財布がコインで重くならないようになるべくお釣りが少なくなるように工夫して払う僕だけれど、今日は違った。

「2千円札が入ったので今日はこれでお願いします」と僕はタバコ屋のご主人に言った。

ご主人は「はい、おおきに」と言ってその2千円札をレジにしまって、1600円お釣りをくださった。

タバコ屋を出てちょっと歩いた瞬間に、去年の夏のある日曜日に道でこのご主人を見かけたことを思い出した。

そのタバコ屋は日曜日が定休日で、僕が住んでいる街の中学校の前で、そのご主人が奥さんと、高校生くらいの年格好の二人の息子さん家族四人で自転車でどこかにいかれるところだった。

家族仲かいいんだなと思うと同時に、今はコロナだからひょっとしたら家族で学校の説明会などに行かれるのかも知れないと思った。

それでふとタバコ屋をあとにして、ひょっとしたらご主人の息子さん、今日、大学入試共通テストを受けに行かれたかも知れないと思った。

もし、そうだとしたら、うまくいっているといいなと思ったりして、、、。

もちろんそんな余計な話は実際にご主人にするわけではないけれど。

ちょっと気になってネットで試験の日程を見てみると、明日は理科、数学の試験になっている。

理科、数学は、計算間違いなどにも気を配らなければならないから社会などよりも緊張することが多い。

明日、数学、理科を受ける子は本当にまだ気が抜けないなと思う。

昨日、ちょっと思いついて、共通テストのことをブログの話題にした。

そして、追試を受ける選択は避けるべき、ということを書いた。

でも、もうしばらく僕も受験の情報から遠ざかっているから、もし、的外れのことを書いていたらまずいかなという不安が少しあった。

それで今日の新聞の社会欄を見ると、共通テストは第一日程の志願者数が53万4527人 第二日程(第二日程は第一日程の追試を兼ねる)の志願者が718人と2つの日程の志願者数に桁違いの開きがある。

あれだけコロナで学習が遅れた生徒のために第二日程をと報道されていた割に、第二日程の志願者は極端に少ない。

やはり、きっと僕と同じような考えの先生が多いんだなと思った。

それに今は受験業界がネットなどで情報を流すから、結局、みんなの考えが似てくるのかも知れないとも思った。

第二日程に多くの受験生が流れると入試の日程もキツキツになってしまって、高校の先生も大学の先生も大変だろうし、、、。

久しぶりにネットで受験のニュースを見てみると、それに関連して、大学イメージランキングとかそんなサイトが出てくる。

そういうランキングも全く意味がないわけではないけれど、ああいうネットのランキングって結構、皮相的な考えの人気投票のような感じて決まることが多い。

やはり、どこに進学するかは実際の自分の希望を考えて、先生にもしっかり相談して、大学のパンフレットなどもしっかり読んで決めるのがいいと思う。

スーパーマーケットにスイトピーの花が売っていた。

色はピンクだったけれど、スイトピーの花を見ると思わず松田聖子の歌の「赤いスイートピー」という最後のメロディを頭の中で歌ってしまう。

実際に歌うと変なおっさんと思われるといけないのでそれは注意するようにしている。

時々、思わず歌ってしまって変な目で見られることもあるけれど、、、。

変な目で見られるだけならいいけれど、近くにいる人が女性だと走って逃げていく場合もあるから、注意しないと、、、。

チョコレートも売っている。本当に、いろいろ季節を考えて仕入れをしているんだなと思う。