芹沢光治良さんの人間の運命という小説に山をいっぱい所有しているいわば資産家の登場人物が出てくる。
その登場人物は盛岡高等農林に入学したけれど父親の希望で畜産科から山林科に転科させられる。いわば所有林の管理の必要上そうなったということだ。本当は畜産科に行って馬の研究をして毎日好きな馬と関わっていたかった。
そうこぼす。
「失礼だが、山持ちって、経済的にはどうなの」と主人公の次郎がその山持ちの人に言う。
「そうですね。県下でも納税額では十番内に入るようですが」と山持ちの資産家が言う。
「そう。驚いたなあ。そんな資産家でありながら、自分の好きなとおり生きないなんて、、、意味がないじゃないの、資産家である」と次郎が言う。
あまりに単純な次郎のセリフ、‘’好きに生きなければ資産家である意味がない‘’には、あまりにも単純であるがゆえに逆に考えさせられるものがあるなと思う。
例えば医者の子供が医者になることが多いけれど、それで医者になった人は好きに生きていると言えるのかとか、考えさせられることはいろいろだけれど、、、。