ケンのブログ

日々の雑感や日記

あまりに単純な

2020年08月13日 | 読書
芹沢光治良さんの人間の運命という小説に山をいっぱい所有しているいわば資産家の登場人物が出てくる。

その登場人物は盛岡高等農林に入学したけれど父親の希望で畜産科から山林科に転科させられる。いわば所有林の管理の必要上そうなったということだ。本当は畜産科に行って馬の研究をして毎日好きな馬と関わっていたかった。
そうこぼす。

「失礼だが、山持ちって、経済的にはどうなの」と主人公の次郎がその山持ちの人に言う。
「そうですね。県下でも納税額では十番内に入るようですが」と山持ちの資産家が言う。
「そう。驚いたなあ。そんな資産家でありながら、自分の好きなとおり生きないなんて、、、意味がないじゃないの、資産家である」と次郎が言う。


あまりに単純な次郎のセリフ、‘’好きに生きなければ資産家である意味がない‘’には、あまりにも単純であるがゆえに逆に考えさせられるものがあるなと思う。

例えば医者の子供が医者になることが多いけれど、それで医者になった人は好きに生きていると言えるのかとか、考えさせられることはいろいろだけれど、、、。

暑い一日

2020年08月12日 | 日記
今がきっと一年で最も暑い時期だと思う。

早春賦という歌の歌詞は

春は名のみの風の寒さや

だけれど、今も秋は名ばかりの暑さだと思う。

それでも早春には春、春とみんな言うのに、暦の上では秋で言わば早秋の今は特に秋、秋とはあまりいわないように思う。

やはり、秋よりも春を待つ気持ちのほうが口にしやすいのだろうか。

オフコースの名曲、さよならに

さよなら さよなら さよなら
もうすぐ外は白い冬

という一節がある。

確かにもうすぐ外は白い冬という言い方がさよならにある種の哀愁を添えているようにも思う。

もちろん白い冬が何か新しい世界を暗示するという要素もあるけれど。

阿波踊りが中止になって徳島の観光産業は打撃を受けたというようなニュースが出ている。

郡上踊りはどうなのだろう。

僕が見たサイトには動画で配信するというようなことが出ていたけれど。

しかし、コロナ、コロナと言っているうちに春から夏になり、そしてもう秋かとも思う。

先が見えないコロナだけれど毎日無事に一歩ずつということを一番に思っている。

ビーチに人が繰り出す

2020年08月12日 | 日記
新聞を見ていたら海岸にいっぱい人が繰り出している写真が出ていた。

こんなコロナの時期に海岸に人が大勢繰り出すなんて大方アメリカの西海岸だろうと思ってよくみたらなんと日本の神奈川県の海岸だった。

いやあ、さすがの僕もこれは危ないと思った。海はまだコロナで海開きもしておらず遊泳禁止の場所を示すブイなどもまだ設置されてないと出ていた。

これではコロナもさることながら海難事故の恐れも高くますます危ないと思った。

もうこの暑さで耐えられなく人が海に繰り出したのだと思う。

本当にコロナっていつ収まるのだろう。コロナの自粛でやりたいこともできなければコロナになる前にノイローゼになる人もコロナになる人の数以上に多くなってしまう心配も十分にあるし、、、。

本当に何が正しいのか今ほどわからない時はないと思う。

しかし、やはり気をつけなければと思う。

といいつつ僕も外には結構出ているけれど。

でも手洗いとマスクはかなり徹底している。

ちょっと声がかすれただけであるお店を事実上追い出された経験のある僕は一時ちょっと咳ということに神経質になってしまった。

咳止めの方法はといろいろネットでも調べてみた。

メントール入りの喉スプレーなども試してみたけれどメントールの刺激で逆にのどが痛くなったりすることも僕の場合あるようだった。

それで自分で試してみて最も有効な咳止めの手段の一つがマスクをしてのどに潤いをあたえること。

マスクもいろいろ試して今は市川海老蔵の写真が袋に出ているハイドロ銀チタンとガーゼをミックスしたマスクが僕にはいいみたいでこれなら今の暑い時期でも装着したまま街も歩ける。

なんとかこのマスクでしのげるといいなとおもう。



夏の京都

2020年08月10日 | 日記
僕が普段利用している私鉄は大阪と京都を結んでいて、もちろん大阪と京都のそれぞれにターミナル駅がある。

いままで特に意識したこともなく気づかなかったけれど最近、大阪のターミナル駅付近を歩いている人よりも京都のターミナル駅付近を歩いている人のほうが総じておしゃれだと気づくようになった。

僕の目から見ると総じて京都のターミナル駅付近を歩いている人のほうがおしゃれのセンスがいいように思える。

もちろんそれはセンスということなので僕の主観にすぎないわけだけれど。

やはりいろんな文化的な伝統のある街はちょっと違うなと思う。

その違いというのが何かということはちょっと説明できないのだけれど。

今日の新聞を見ているとコロナによる在宅勤務などで服装に関する意識も変わりつつあるというようなことが書いてあった。

背広を着ずにカジュアルなスタイルで仕事をする人も増えているという。

あるアパレルカンパニーはドレスアップのための服ではなく快適に生活するための服を提供することがモットーであると書いてあった。

そしてそのような生活の快適さに服装の志向が移りつつあることを紹介する記事には写真が添えられていてそこには男女のペアが写っている。

男女ともTシャツの上にジャケットを着て下はデニムパンツ、靴はスニーカーというスタイルになっている。

生活の快適さを追求した服装はドレスアップのそれとは違っても、やはりおしゃれであるように僕には思える。

服装は目的によって決まるということで言えば、きっと、京都に出かける人は京都に出かけるという意識で服装を選ぶのだろう。

そして、その結果、僕の目には大阪のターミナル駅付近を歩く人より京都のターミナル駅付近を歩く人のほうがおしゃれ見える、というのがしいていえば違いの説明ということになるかもしれない。

僕はと言うと、大阪に行くときも、京都に行くときも、全く同じ服装であるわけだけれど。

どちらかというと自分が参加するよりも、見て楽しむほうが好き、という傾向は僕の場合、若い頃からあまりかわっていないように思う。

たまには参加したいなと思うこともあるけれど、、、。

立秋

2020年08月08日 | 日記
例年8月8日ころが立秋なので新聞の一面を見たら立秋と書いてあるだろうと思って見たら、書いてない。

それでネットで暦を調べたら今年の立秋は昨日8月7日と出ていた。

もう暦の上では秋かと思う。

コロナで今年はちょっと季節感を失っているけれどはやいなと思う。

スーパーマーケットにはお盆の花もいっぱい売っている。

僕は花のことにくわしくなくてよくわからないのだけれど最近リンドウの花をよく花売り場で見かける。

お盆と関係あるのかもしれない。

映画、男はつらいよで
寅さんが
庭にはリンドウの花が咲いている。そんな家の茶の間では家族団らんの時間があるのだろう。
そんな生活に俺もあこがれるよ

というようなセリフをふっとつぶやく場面があった。

リンドウの花を見るたびにその寅さんのセリフを懐かしく思い出す。