ケンのブログ

日々の雑感や日記

取るだけ育休

2020年08月19日 | 日記
新聞に育休の問題が載っている。

育休を取ったのはいいけれど、ただ育休をとるだけで、その休暇の間、とくに何もせずゴロゴロしているだけという夫も少なからずいるという。

育休に普通にどこかに遊びに行った夫もあるらしい。

まあ、ありがちな話だなと僕も思うけれど、だからどうすればいいということがなかなか思いつかない。

言葉にすれば夫もちゃんと育児をすればいいのだろうけれど、赤ちゃんにミルクをやったり、おしめを換えたり、そういうことが女性並みに得意な男性がそれほどいるとも思えない。

井上陽水の夕立という歌は文字どうり夕立のことが歌われている。

そのなかにこんな一節がある。

‘’洗濯物が濡れるから女たちは引きつった顔で、わめきまわる、転げ回る

男はどうしたことかと立ち尽くすだけ‘’

本当に夕立で雨が降ってきても洗濯物をどうするというわけではなく女が転げ回る傍らで男が立ちつくすだけ、というのは井上陽水さんがこの歌を書いた時代もそして今も変わらない性であるようにも思える。

いつか大相撲の巡業で挨拶に立った政治家が土俵の上で倒れ、女性が土俵の上に上がって心臓マッサージをしていた。

男はその周りでそれを見ているだけだった。

相撲には女性は土俵に上がってはいけないというしきたりがあるので、呼び出しがマイクで女性は土俵から降りてくださいと呼びかけていたけれど、とにかくあの時、心臓マッサージをしているのは女性だけで男はその周りぐるりを囲んで見ているだけだった。

これもありがちな光景と言えばありがちな光景。

ただ、呼び出しが女性は土俵から降りてくださいと言ったのは、心臓マッサージをしている女性を見て、他の女性も、私もなんかしなければ、という感じでこれ以上黙っていると、たくさんの女性が土俵に殺到しそうなタイミングだったから、単純に呼び出しのアナウンスが責められるわけではないのだけれど。

育休問題を書いている記事は例えば、洗濯物のたたみ方も夫と妻では違うからそこも話し合う必要があるし、というようなことが書いてある。

だいたいこういう場合、夫がたたんでも妻にダメ出しを食らうという場合が多いようにも思う。

それは幼い頃からイヤリングをしたり、髪を後ろで束ねたり、そういうことをしてきている女性に男が洗濯物のたたみ方など手先の器用さがいることで太刀打ちしようと思っても、、、と僕などは考えてしまう。

本当に子供を育てるのにもいろいろと複雑な時代になったなと思う。


甲子園

2020年08月17日 | 日記
隣の市が主催している歌声サロンに参加した。

最後に先生がみんなの前で歌を歌うということになった。

「坂本九と中島みゆきをどちらか一曲、どちらがいいですか」と先生が会場のみんなに問いかけた。

坂本九と言う声と中島みゆきという声が会場で相半ばした。

誰かがちょっと大きい声で「九ちゃん」と言ったから僕はとっさにこれで坂本九に決まってしまうと思った。

それでとっさに僕は「先生、北海道なので中島みゆきが聴きたい」と言った。

すると先生は

「そうなんです。中島みゆきは帯広の出身なんです。昨日、甲子園で帯広農業勝ちました。
あ、その話はどうでもいいか」とおっしゃった。

僕も今年の甲子園は各校一試合だけだし、それほどチェックしていなかったし第一、帯広農業が甲子園に出ていることも知らなかった。

それで家に帰ってきてネットで甲子園の結果をチェックすると本当に帯広農業が強豪、健大高崎に勝っている。

やはり特に男は誰でも自分の出身地の学校の甲子園の結果は注目するんだなと思った。勝っても負けても。

それでその勢いで先生は「では中島みゆきの誕生を歌います」と言ってピアノの弾き語りで誕生を歌ってくださった。
思い入れたっぷりに。

中島みゆきが聴けてよかったと思った。

でもネットに甲子園の試合の様子が写真で出ていてその写真を見ると、どの選手も本当に栄冠は君に輝くの歌詞の通り、一球に一打にかけて必死の様相でプレーしている。一試合だけでどこが優勝ということが決まらなくても、やはり甲子園、その場に立つだけで必死にプレーしてしまう。

そういう力が甲子園という場所にはあるんだなと思う。

場所が持つ力。そういうものというのは僕は必ずあると思う。

何十年とプロと高校生、多くの人が必死でプレーしてきた場所、そして多くの人がスタンドから必死に応援してきた場所というのは必ずその場所に力がこもるものなのだと思う。

たとえコロナでスタンドに人はいなくても、、、。

パワースポットという言葉とも共通するものがあるのかもしれない。

多くの人が祈り続けてきた場所というのもきっとそうだと思う。




五山の送り火

2020年08月16日 | 日記
京都の五山の送り火も規模を縮小して行われたようで。

そのニュースを見るともう夏も終わりと言うかお盆も終わり言うか、秋も近いなという気持ちになる。

でも、いろんなこと、というよりもほぼすべてのことがいつのも年とは違うような気がする。

コロナも僕の場合コロナそのものが怖いと言うよりもそれによってもたらされる社会の不安とか混乱とか、いつもの習慣がくずれることとか、そのことの方がしんどく感じる。

ニュージーランドやオーストラリアなど南半球でコロナが再拡大しているというニュースが最近頻繁に出ている。

南半球はいま冬。

風邪は冬に流行るとよく言う。

日本も冬になったらどうなるのだろうとか、コロナも長引くのではないかとかいろんな思いが心によぎる。

辛抱が大切と思って暮らしていきたい。

渡哲也さん亡くなる

2020年08月15日 | 日記
渡哲也さんが亡くなった。

僕のおじが渡哲也に似ていると言われていたことがあり、確かに若い頃のおじは渡哲也に似ていたと思う。髪型もスポーツ刈りだったし。

昭和49年渡哲也さんはNHKの大河ドラマ勝海舟の主役になった。若い頃の勝海舟を演じて、本当に、迫力があり爽やかな演技で、当時大河ドラマは割とよく見ていた僕はいいなあと思っていた。

ところが最初の2ヶ月くらいだけ渡さんは勝海舟を演じて、病気に倒れ勝海舟の主役を降板することになる。

当時の渡さんの会見を伝える新聞の見出しが確か「申し訳ありません。あとは涙の渡(わたり)」だったと思う。
本当に自分自身が悔しい思いと、周りに申し訳ないという思いでの涙だったと思う。

昭和46年に玉の海が亡くなった翌日の北の富士さんの「むごい。かわいそうに。北の富士男泣き」という新聞の見出しとそして昭和49年の「申し訳ありません。あとは涙の渡(わたり)」という新聞の見出しは一語一句正確かどうかはともかくとしても、今でも強く覚えている。

玉の海のときも渡さんのときも本当に残念、という気持ちで何度も新聞の見出しを読んだから。

心に強く止まった文章や見出しを何度も繰り返し読んでそれがなぜか記憶に残ってしまうのは僕の心の一つの傾向かもしれない。

でも、本当にあの時は残念だったな。

渡さんに変わって主役をつとめた松方弘樹さんはなんだか演技がけだるそうで、渡さんのさわやかさには負けるなと思って勝海舟の続きを見ていた。

松方さんには申し訳ない言い方だけれど。

もちろん松方さんも自分のそのようなドラマでの起用のされ方には思うところがあったようで、それから長らくNHKのドラマには出演しなかったと記憶している。

渡さんは当時「くちなしの花」という歌もヒット。

いつもFM放送で聴いていた。

もう何十年も歌ったことのない歌だけれど、ユーチューブの映像に合わせて歌うと今でもほぼ正確にメロディラインを口ずさむことができる。

なつかしいなと思う。

主体性は大切

2020年08月14日 | 日記
新聞の経済欄を見ていると、あそこの会社の業績がだめ、ここもだめというようなことがたくさん書いてある。

本当にちょっと街の繁華街を歩いただけで所有者の変わった店、そもそも店をたたんでしまったところもちらほら見かける。

新しくできた店でもこんな状態でやっていけるのだろうか、とちょっと前を通りかかっただけでなんとなくそう思ってしまうようなお店もある。

本当にこれからの経済は心配だなと思う。

一方でコロナに関連した商品を扱う店は本当に混雑している。

新聞に日傘が売れていると書いてあったけれど確かに東急ハンズのようなお店には日傘がたくさん売っているなと思う。

大きめの日傘はソーシャルディスタンスの目安にもなるのだとか。そんなこと意識したこともなかったけれど。

また夏の暑さの中、マスクをすることで生じる息苦しさを緩和するために日傘の需要が多いと書いてあった。

正直、僕はその話にはちょっとピンとこない。若い頃から歩くことは習慣になっているせいかおかげさまで、暑いから息苦しさを感じるということがあまりない。

熱中症を防ぐためには喉が乾く前に水分補給を、ということも新聞に書いてあるけれど、それもおかげさまで子供の頃から水やお茶はよく飲む習慣なので、脱水症状になるまで水分をとらないということは普通の僕の生活ではあまり考えられない。

もちろん事故というのは普通でなくなったときに起きるわけだから、普通では考えられないと油断するのは怖いわけだけれど。

こういうブログという場で、名前を出して書くのは不適切かもしれないけれど、最近、よく書籍の広告で見かけるメンタリスト ダイゴさんとか、落合陽一さんとか、なんか顔を見ただけでちょっと気色悪いなと思ってしまう。

失礼な書き方とは思うけれど。

食わず嫌いだからいけないのかもしれないと思い、ちょっと落合陽一さんの新書を本屋で立ち読みしてみた。

パラパラっと本当に立ち読みしただけなのだけれど、ある章には天才と変態の違いというようなことが書かれていて、立ち読みでの記憶で書くのでもし違っていたら著者の方には失礼なのだけれど、例えば次のようなことが書かれている。

天才は確かにすごいけれどカバー範囲が狭い。たとえば特定の楽器の天才になどそんなになれるものではないかもしれないし、天才であったとしても特定の楽器の天才ということで範囲が限られる。

その点、音楽について変態並みに興味や集中力を示す人は特定分野の天才には及ばないかもしれないけれど、天才よりもカバー範囲は広い。そして、そういう変態と言われるような能力は機械にはできないことでもあり、これからは変態と言われるような人は希望が持てるかも、というようなことが書かれていたと思う。

いずれにしてもジェネラリストのように多くのことをそつなくこなすというタイプの人は、そういう仕事はこれからは機械がすることになるので、これからはしんどくなる可能性が高いという考えが本の基調になっているように僕には思えた。

まあ、そういう論調の人なので一見気色悪いと思える風貌も計算のうちなのかもしれないけれど、、、。

ただ、最近の売れ筋の本ってそれなりに面白いけれど、内容が軽薄になっているようにも思えたりする。

それは僕が歳をとったからそう思うのか、実際に世の中がそうなっているのか、、、。

そこまではちょっとわからない。

新聞の編集手帳にある昭和の時代の社長は検診嫌いだったという話が出ていた。俺の身体のことは俺がいちばんよく知っている、医者が10分20分見たくらいでわかるものかとその社長は検診を受けずに周りを困らせたけれど88歳まで生きたと書いてあった。

しかし、それは昭和の時代の話であって、今は検診の精度も当時より格段に進歩している。しかし、コロナの影響で検診の受診率が大幅に下がっている。

自分の健康状態も知らないでこの暑い夏を迎える人のことが心配だ。というような論調でそのコラムは書かれていた。

それを読んで、まあそうかもしれないけれど。と僕は思った。

そうかもしれないけれど、自分の身体のことは自分が一番よくわかると言うのは昭和の時代も今も変わらないのではないか。

一言で痛いと言ってもどのように痛いのか、言葉を尽くして医師に説明しても医師にその痛みそものもがわかってもらえるわけではない。

検査で特に悪いとこがなくて、患者の症状がいわゆる不定愁訴のカテゴリーに入ってしまうとなんとなく自信なさそうになってしまう医師が多いのも事実だと思う。

検査でこうなりましたから、こういう治療をします。という流れになると自信満々のお医者さんが、検査で異常はないけれど、ちょっと痛いとか、しんどいとかいう状況になると、うーん、まあ痛み止めを出しておきますかとなって、なんとなく医師の先生も居心地がわるそうな感じになるということも僕はときどき経験してきた。

うーん、うちで検査した限りは異常はありませんね、これ以上の細かいことになると大学病院に行ってもらわないと、と言われても、そんなに死ぬほどしんどいわけでもなく、大学病院で細かい検査をしてわざわざ病気をほじくり出してまで治療しなくてもという気持ちが僕には強いのも事実。

なにしろ、検査をしてまだがんになっていない、がんの可能性があります、という段階で乳房をとってしまったりする時代になっている。

細かい検査をやりすぎてわざわざ病気をほじくり出すというのも僕には逆に怖く感じられる。

自分の親が「町医者のKさんの手に負えなような病気になったら、まあ、あきらめるわ」と言っているような人だったので僕もそういう考えになったのかもしれない。

もちろん僕の親もそして僕もいざ生死をさまようような病気になったらどうなるかわわからないのでこういう場でえらそうな宣言はしないほうがいいと思うけれど。

ただ、その新聞のコラムに出ていた社長の言葉のように自分の身体のことは自分が一番よくわかるという考え方、そして感じ方は、自分の責任で主体的に医療と関わるためにとても大切なことなのではないかと僕は思う。

これだけ医療が進歩し多様化した時代だからこそ患者の側でも主体性を持つということが逆に大切なのではないかというのが僕の今の考え方だ。