ケンのブログ

日々の雑感や日記

相手に何を言われるのかばかりを想像してしまう

2020年11月28日 | 日記
僕が読んでいる全国紙の編集手帳に夏目漱石の「三四郎」の次の箇所が引用してある。

「用談があって人と会見の約束などする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんなことを言ってやろうとは決して考えない」

これは小説「三四郎」の主人公、三四郎の心の中を表現した箇所である。

新聞の編集手帳は、今の政府はコロナに際してなかなか記者会見を開いて自分から情報発信をするという態度にかけるのではないかという主旨のことを指摘したくてこの箇所を引用している。

まあ。それはそれとして、三四郎が人と会うときに自分が何を言おうかということではなく、相手が自分に何を言ってくるだろうかとそればかり想像してしまう。という気持ち。

それは、今の世の中で多くの人が感じている気持ちを、夏目漱石が三四郎という小説の中で代弁してくれているのだと思う。

まあ、そういう小説だから書かれてから100年以上経った今でも売れ続けているのだと思う。

時代を超えた普遍性のないものの多くは時代の流れの中で消えてしまう。

また、「三四郎」のこの引用箇所を読んで僕は、作家、よしもとばななさんのお父さん、つまり吉本隆明さんのことを思い出した。

吉本隆明さんは「ひきこもれ」という書物の中で次のような指摘をしておられる。

「夏目漱石は、社交べたなひとにとっての異性や恋愛の問題にこだわりを持ち続けた人です。生涯この問題に引っかかっていると言ってもいいほどです」と。

まあ、それはそうだと思う。自分が何を言うかよりも、相手が何を言ってくるかばかりを想像してしまう人は社交べたである可能性が極めて高いから。

そして、これはもちろん僕の主観も入っているのだけれど、吉本隆明さんは社交べた、あるいは引きこもりの人が恋愛で不利になるのではないかという問題に関して書物の中で次のように結論づけておられる。

「恋愛というのは、お互いがある距離内に入らないと成立しないものです。そして、何かの拍子でその距離に入ってしまえば、遠くから見ていた時とは別のものが見えてくる。そうすると社交的であろうと、引きこもりであろうと、美人であろうと不美人であろうと、そんなことは意味をなさなくなります。

世間的な価値判断は関係なくなって、自分にとって好ましいかどうかという問題だけになる。 中略 だから、ちやほやされたいとか、いつもたくさんの異性にかこまれていたいとか、そういうことは引きこもりの人は難しいかもしれませんが、本質的な恋愛においては何の問題もない。保証してもいいくらいです」と。

本質的な恋愛において引きこもりというのは何の問題もない。

という吉本隆明さんの指摘を本で読んだ時、なるほどそのとおりだと思ったし、なんか救われる思いだった。

僕も決して、多くの人に気軽に話しかけることができるというタイプではないから、、、。

そして、吉本隆明さんがおっしゃっていることをもっと拡大して考えると、男同士、女同士の友情についてもそれは言えると思う。

大勢の友達に囲まれているということと、本当に信頼できる友達がいるということはまた別の問題であると僕は思う。

夏目漱石の「三四郎」から始まった、自分が何を言うかよりも、人から何を言われるかばかりを考えてしまう。ひいてはひきこもりという問題は、特にSNSなどが発達した今の社会では漱石の当時よりも多くの人が抱えている問題であるように僕には思える。

SNSなどで情報を、盛って、盛って、発信する人がいる一方で、そういうのを見て、羨ましく思ってしまったり、自分は何も言えなくなってしまったり、自信を失ってしまったりする人も多いわけで、、、。

若いミュージシャンのデモンストレーションの映像を見ていたら

「このことに関しては、自信を持って言えるかなって思ったりするんです」という感じの自信を持っている割にはなんとも言葉をぼかした発言になってしまっていた。

もう、ミュージシャンがデモンストレーションでこういう表現をしてしまうのも下手に大きく出ると、ネットなどで何を言われるかわからないという潜在意識がきっと関係していると感じた。

僕自身も、ブログを書くときにずいぶん言葉を濁すことも多いし、、、。

ところで、スーパーマーケットに行くと、必ず「カードはお持ちですか」と聞かれる。

それも、僕がお金の計算を間違えてないだろうかと神経をとがらせた瞬間を見計らったようなタイミングで「カードはお持ちですか」と聞かれるので、ついイラッとして「持ってません」と不機嫌そうに大きな声で答えることが多くなってしまった。

そうするともうカードって聞かれることが、ちょっと苦痛になってくる。

今はレジ袋が有料になって、レジ袋はお持ちですか、カードはお持ちですかと2つを聞かれるのでよりしんどい。

そこへもってきてコロナでレジはビニールのシートで覆われ、店員の方はマスクで顔を覆い、こちらもマスクをしているので、お互いに言葉が聞き取りにくいときている。

もう、カード?、レジ袋?って言われるのをを待っているよりも、僕の場合は「こんにちは、レジ袋とカードなしでお願いします」という具合に最初に自分から踏み込んで言ってしまったほうが気が楽だと思うようになった。

本当に複雑な世の中になったものだなと思う。

なんとか人間らしくやっていければ、と願っている。



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