今日の新聞の「今を語る」というコーナーで東京の有名私立大学の教授でネットワーク論、人間関係論などが専門の方が新聞記者の取材に対して語った言葉を、記者がまとめた文章が載っている。
こんな文章だ。
“”
なぜ、人は孤独・孤立に陥るのか。最大の原因は、人間関係が介在しなくてもなんとか生活できるような社会を我々がつくってしまったことにあります。
中略
今は、お金とネット環境があれば、誰かの助けがなくてもほしいものやサービスはほとんど手に入る。
お金がない人も社会のセーフティネットで生きていける。
人間関係の煩わしさ息苦しさから開放されたわけです。
こうした変化により人間関係は「必需品」から「嗜好品」に変わりました。
(人間関係を)作るのも作らないのも自由で、付き合いたい人とだけ付き合い、会いたいときだけ会えばよくなったのです。
でも、そういう都合のいい関係は誰でも作れるわけではない。高学歴や高収入など相手が求める「資源」があれば多くの人とつながれる一方、資源を持たない人は関係をうまく結べなくなりました。
人間関係を切るのも自由ですから、切られないためには相手の気分を害さない、迷惑をかけないといった配慮が求められます。
そうなると、気軽に悩みを相談したり弱みを見せたりできません。
ある50代の独身男性は人付き合いが盛んでしたが、母親の介護が始まっても周囲にその苦労を打ち明けられず孤立感を深めました。
母親がなくなると自暴自棄になりゴミだらけの自宅に一人で過ごすようになってしまったのです。
中略
この男性が孤立から脱却できたきっかけは、自宅のゴミを片付けるために呼んだ清掃業者との会話でした。片付けをすすめる中で、友人には明かせなかった介護の苦労話を、初対面の業者には話すことができた。
弱くゆるい人間関係が相談しやすさにつながることもあるのです。 以下略“”
読んでいて、それはデタラメやうそが書いてあるわけでは決してないけれど、あまりにも皮相的で、短絡的な文章、そして冷淡な文章と思ってしまった。
もちろん、ゆるい人間関係の中に逆に、相談のしやすさがあるという主張は、僕もなるほどど思う面もあるけれど、、、。
しかし、僕自身、今、孤独の中にいるので、孤独という見出しにつられて文章を読んでしまったけれど、あまりの内容の皮相さに逆に心が落ち込むような気分になってしまった。
最近、なんだか、こういう、中身があるのか、ないのかわからないような言葉を、人間関係の「必需品」から「嗜好品」への移行など、もっともらしいキーワードをキャッチフレーズに展開するタイプの人が増えているように思う。
筆者の考えが、現実に根ざしていると言うよりも、むしろ観念の世界だけで形成されているように思えてくる。
ネットワーク論がご専門のひとつと紹介されている方なので、ネットを見て、あるいはネットの中でものを考える時間が長すぎて、考えが、観念の世界だけになってしまっている可能性もあるような気がした。
もちろん、これは、大学の先生本人の文章ではなく、大学の先生を取材したものを新聞記者がまとめた文章なので、記者のまとめかたが観念的なまとめかたになったのかもしれないけれど、まとめるベースにある言葉にもきっとそういう傾向があるのだろうと思った。
例えば、この文章に
“”お金とネット環境があれば、誰かの助けがなくてもほしいものやサービスはほとんど手に入る。“”
とく下りがあるけれど。
そのほしいものやサービスを提供してくれるのは、ほかならぬ人間なのだという視点が欠如していることが、文章や考え方がこのように皮相的で冷淡になってしまう一因なのかなと感じた。
まあ、どうでもいいといえば、どうでもいいことなのだけれど、ちょっと気になってしまった。
本当に、最近、こういう文章で人を啓蒙したつもりになっている人って多いなと。
ただ、僕にとって興味深かったのは、記事に添付されている「孤独を感じる割合」という棒グラフで男性よりも女性のほうが孤独を感じる人の割合が多くなっていること。
女性のほうが男性に比べると一般によく話すし、男は、うちとけるまではほとんど話さないということが多いのに、女性のほうが孤独を感じる割合が多いというのは、ちょっと僕にとっては意外と言うか、わからないものだなと思ってしまう。
まあ、アンケートのとり方にもよるのだと思うけれど。
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昨日から、スーパーマーケットの花売り場には花菖蒲が出ている。
端午の節句が近いなと思う。
童謡、背比べ も流れている。
“”柱のキズはおととしの 5月5日の背比べ
ちまき食べ食べ兄さんが、はかってくれた背の丈“”
本当に僕がまだ子供だった頃の情景が浮かんでくるような歌詞だなと思う。
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歯医者で歯の治療をしてもらう。
お会計のとき、僕の予想よりもちょっと高額の請求額だった。
僕は請求書を見てちょっとびっくりして
「ああ、お金おろしといてよかった。何とか足りるわ」と言った。
「今、金属って結構高額なんですよ。やっぱり次回、詰め物が取れたときには忘れないように持ってきてください」と歯科医師は言った。
まあ、とれた詰め物をもってこいと言われたのに忘れた僕が悪いのだから、「はい」と答えるしかない。
この歯科医師は、歯の治療中、歯科衛生士に、治療道具を手渡すように要求するときに、例えば
「メスお願いします」という具合に「〇〇お願いします」と必ず言う。
そのお願いします、という言葉遣いが聞いていて耳に心地良い。
やはり、言葉遣いがいいというのは人に心地よさを与えるなとしみじみと思う。
「ちょっとこれから削るところは神経の残っているところですから、痛かったら手をあげてくださいね」と歯科医師は言って、そこは確かに、痛かったけれど、手を上げるほどではなかった。
ヘタに手をあげて、では麻酔をしますと言われても、その麻酔の注射が針を刺すときまた痛いということもあるし、、、。
いつかこの歯科医師が僕の口をあけたときに、僕が、体をこわばらせたら
「まだ、何もしてませんよ。怖いんですか?」と歯科医師は言った。
「はい、怖いです」と僕は言った。
それに対して歯科医師は無言だった。
基本的に、この歯科医師は治療中は不必要なことは話さない。
話すことで注意が散漫になり事故につながらないようにとの配慮だと僕は思っている。
今日は緊急事態のせいか、僕のあとに患者はいなかった。
お会計のとき、女性の歯科医師と、歯科衛生士の方が会計のカウンターにいて
もう一人の歯科衛生士のかたが奥の診療室の方から僕の方を向いておられた。
3人が3人ともそれぞれに美人で、そういう感じで、見送ってもらえると、まあ、悪い気分になるはずはないということになってしまう。
「右奥の下と左上はたぶんナカシマさん、歯磨きの苦手なポイントなんでしょうね。もう少し歯磨きうまくなってくれると嬉しいです。できれば3ヶ月くらいしたらまた来てほしいですけど、まあ、今は、先のことはわからないときですから、判断はおまかせします」と歯科医師はおっしゃった。
歯磨きがうまくなってくれるとうれしい と言われると、嬉しくなってしまうし、がんばろうと思うけれど、結局いつも3日くらい頑張って終わってしまう。
それはともかく、どうぞ毎日、無事にすごせますように。