ケンのブログ

日々の雑感や日記

孤独の形は多様

2021年03月21日 | 日記
僕が読んでいる全国紙の今日の紙面に、孤独ということについて取材をしている女性の編集委員が「孤独の形は多様でも」という見出しで、コラム記事を書いている。

その記事は、幾人かの著名人への取材などを通して、編集委員が孤独についてまとめた内容になっている。

記事には、孤独について語った、著名人の言葉が、小見出しとしてうまくまとめられている。

その小見出しにはこんな言葉が出ている。

「期待するからさみしい」「大勢の中の疎外感」「孤独死もあると覚悟」「さみしさは人間の条件」などの言葉だ。

どの言葉も、それぞれに素晴らしいものだと思う。

しかし、これらの言葉に、共通するものは、期待とか疎外感とか孤独死とか人間の条件、など抽象的なキーワードを使って、孤独についてのそれぞれの人の考え方、解釈を語ったものであるように僕には思われる。

そのなかで、そういう抽象的な表現から離れて、とりわけ目を引く一つの言葉がある。

こんな言葉だ

「夜、ぼーっとひとり座ってる。このさみしさね」
抽象的な言葉がいっぱい並んでいる中で、こういうストレートな言葉が一つだけあると、それが目立つし、心にしみる気がする。


この言葉を語ったのは、昨年亡くなられた、元プロ野球の大選手、そして監督だった、野村克也さんだ。

野村さんが語った言葉を、全文引用すると


「夜、ぼーっとひとりで応接間に座ってる。なんとも言えないですね。寝るのも、食べるのも、だれもそばにいない、話し相手がいないっていう、このさみしさね」となっている。

この野村克也さんの発言を読んだとき、自分の気持ちに解釈を加えないで、ストレートに表現するとこんなに共感を呼ぶ言葉になるのかと思った。

僕は、今、一人で暮らしているから、よりいっそうこの言葉に共感できる部分がある。

野村克也さんの奥さん、野村沙知代さんが亡くなったニュースが出た直後に、僕の母から電話がかかってきて、母は「野村(克也)さん、テレビで見たけど、なんか、呆(ほう)けたような顔になってたよ。妻に先立たれて、あんなに呆けたような顔になってる男って初めてみたわ」と僕に言った。

そういう僕の母から聞いた言葉や、新聞の編集委員が、記事に書いている言葉を照らし合わせて考えると、最晩年の野村さんは、言葉の上でも、言葉以外の面でも、感情表現がストレートになっていたのかも知れない。

そういえば、これも野村克也さんがなくなる数ヶ月前の話だと思うけれど、元阪神の新庄選手が、多分、SNSで 現役に復帰する というような宣言をしたとニュースになったことがある。

あのニュースに接したとき、僕は、新庄選手も結局、目立ちたくて、話題をとりたくて、そんな発言をしているだけじゃないのか、とか、いろいろ考えて、心がもやもやしていた。

そんなとき、新庄の現役復帰について問われた野村克也さんは、「(新庄は)代表的アホ。歳には勝てない」と極めてストレートに語っておられた。

代表的アホ と野村さんが言っているのを読んで僕はなんか胸のつかえが取れるような気がした。

確かに、代表的アホだ。新庄選手には誠に失礼と思うけれど、これ以上的確な言い方はないと思った。

そして、代表的アホ、という言葉を発する、野村さんの言語センスにも感動した。

代表的アホ、という言い方に込められた、様々な意味合いを、関西に一定年数以上暮らした人なら、なんとなく察することができると思う。

そして、晩年に衰えてきても、とっさにそういう言葉が出るのは、やはり若い頃から常日頃、選手や、新聞記者に語る努力を野村さんがしてこられたからだと思う。

そういう、長い目で見れば、努力は人を案外裏切らないのだと感じる。

ただ、僕は野村さんから「夜ぼーっと一人で応接間に座ってる。このさみしさね」という言葉を野村さんから引き出せたのは、記者が女性だったからだと思う。

やはり、新渡戸稲造が武士道という本に書いている「女性の心の直感的な働きは、男性の算数的理解力をはるかにこえている」という、まさにその部分、そして共感力に、野村さんが訴えた結果だと思う。

しかし、野村さんほどいろいろ監督などをつとめられて、人脈の豊かな人なら、ちょっと、後輩とか、自分の弟子とかに電話すれば、話し相手くらいすぐ見つかりそうな気がするのに、そうならないところが、人間同士の関係の妙なのだと思う。

キャリアを通じて、利害関係の中でつながった人間関係と、さみしさを紛らわせてくれる人間関係はまた、別物なのだということを思い知らされる気がする。

では、野村さんが本当に耐えられないほどの孤独にあえいでいたかと言うと案外そうでもなかったように僕は思う。

なぜなら、野村さんは、このようにして、表情や言葉に、自分の感情をときに応じてストレートに出すすべを知っていたから。

いつも、自分の気持ちをストレートに出していたらとても生きていけない世の中だけれど、これはと思った人や、これはと思った時がある場合は、恥ずかしくてもいいから自分の気持ち示して素直に語るということの大切さを晩年の野村さんを通じて教えられるような気がする。









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