ケンのブログ

日々の雑感や日記

時代は過ぎていく

2023年10月07日 | 日記
原辰徳さんが ジャイアンツの監督を辞められると新聞に出ている。

65歳という原さんの年齢を考えると 再登板は考えにくく 実質 これで最後になりそうとも書いてある。

まあ そうだろうな と思う。

1995年の 9月。 もう記憶が薄れてしまったけれど 阪神にとっては優勝の可能性がなくなった消化試合の季節だったと思う。

甲子園球場で 巨人阪神のナイトゲームを見た。

その試合で 見た原辰徳選手の最終打席は たぶん サードフライだったと思う。

レフトのアルプススタンドと内野席の間くらいにある 照明灯の 近くで 野手がそのフライをキャッチしたのを 妙に覚えている。

いかにも 凡退するときの原選手 という感じの 滞空時間の長いフライだった。

滞空時間は長くても ボールは 遠くへは飛んでいかない。

そんな 凡退のシーンだった。

記憶にあまり 自信はないけれど たぶん それが 甲子園球場での 原辰徳選手の現役最後の打席だったような気がする。

これが ホームランとかだったら 今どき ネットで 調べれば 記録が出てくるだろうから 記憶の不備を それで補うことができるけれど サードフライの記録までは ネットで検索したくらいでは 出てこない。

それこそ しかるべき 事務所に出向いて スコアブックとか 公式記録を閲覧するとかしなければ 確かめられないことのような気がする。

でも たぶん あれが 原選手の 甲子園 最後の打席だったような気がする。

原選手の 凡打を見て ああ ひとつの時代が終わったんだなと思った。
そして あの 甲子園球場でも 三塁側には ジャイアンツのカラーである オレンジで身を固めたファンもいて そのことも 妙に記憶に残っている。

それから 数日して 原選手の引退セレモニーをテレビで見た母は
「野球のことは わからんけど あれは やってきた男の顔やと思った」と言った。

何をやってきなのかは わからないけれど。

そして 新聞で 原監督の引退の挨拶風景の写真を見たとき 原辰徳さんに対する 好き 嫌いは ともかくとして やっぱり 僕も これは やってきた人の顔だな と思った。

なんとなく そんな気がする。

阪神の 岡田監督は 原監督と年齢も近い。

記者に原監督との 想い出は と聞かれて
「そんなもん ないわ」と答えられたとスポーツ新聞のサイトに書いてあった。

ちょっとかっこつけて ぶっきらぼうに 言いすぎかな とも思ったけれど なぜか そのぶっきらぼうな 言い方に ジーンときた。

でも もう少し 言い方があるのではないかと思って ちょっと調べたら 「想い出、そんなもんないわ」という発言は 帰りのバスに乗り込むときの発言らしい。

正式な 場所で 聞かれたら 岡田監督もそんな 想い出なんて ない という答えはしなかったと思うけれど とっさに バスに乗るところを記者にぶら下がって 聞かれたら それは へたなことを しゃべらないためにも 「そんなもん ないわ」となってしまうと思う。

そんなことを 考えながら ネットで 岡田監督の今年の甲子園球場での優勝インタビューを見た。

それを見ると いかにも 大阪人らしい 発想 言い回しでは あるけれど、 その中に 周りのみんなへの 感謝を入れたり 選手をほめながらも うかれすぎないように 慎重に言葉を選んだり セリーグの優勝は あれ と言っていたけれど まだ 日本一をどういうかは 決めてないから いい言葉があったら 教えてほしい など とにかく 失言をしないように いらないことを しゃべらないように とても 注意を払いながらインタビューを受けているように見える。

最近 大阪人というと 政治家など どちらかというと 炎上商法的なことも やっている人が 目立っているような 気がするけれど 岡田監督のように よけいなことをしゃべらないように 慎重に構えながら なおかつ 大阪らしい人が こういう時に スポットを浴びるのは いいことのような気がする。

大阪にも こういう人がいるんだよ ということが わかって。

そして これが 本当の大阪らしさかもしれないと 思ったりして。

ドリカムの「あなたのように」という歌の歌詞にこんな くだりがある。

“”口数は少なくて 多分に漏れず頑固で
いつでも控えめて 笑うとかわいくて“”

岡田監督が インタビューに答える姿を見ていると そんな 歌の歌詞を思い出したりする、、、。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。








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