今日の新聞に次のようなことが書かれている。
“”
感染予防のマスクも、捉え方次第では安心感と勇気をくれる装置に違いない。他人の視線という緊張から解放され、少し違う自分になれるのだ。コロナ後は顔を隠すのが目的の「だてマスク」が広がるのではないかとの指摘もある。“”と。
マスクに顔を隠す効果があるというのは、最近よく感じるようになった。
お店の店員さんの顔がマスクのために以前より覚えにくくなっているような気がする。
それで、人違いを恐れて、つい声をかけにくくなることもある。
マスクをしていると耳のあたりがむずむずしたり、呼吸がしんどいことがあるとおもう反面、いつもしていると、マスクをすると妙に落ちつくなとおもうことも確かにある。
口元が隠れるというのもあるかの知れないけれど、マスクをした時の感触が心地よく思えることもある。
特に僕の場合、綿のマスクをしたときにそれを感じる。
他方、電車の車内で「飛沫感染防止のために車内ではマスクの着用にご協力ください」
というアナウンスを度々聞いていると、暗示にかかってしまって、マスクをしていない人の口からウイルスが飛んでくるように思えてしまうこともある。
コロナが収まっても、マスクをしていない人とは、ウイルスが怖くて話ができないという人も出てくるかも知れない。
本当にマスクと言ってもいろいろな側面があるなと思う。
僕自身も、コロナが収まっても、防寒とか、喉を潤すとかそういう観点でマスクをする機会が増えるかもしれないとおもう。
ある航空会社では、接触感染を防止するために、肘で開閉できるトイレのドアを開発し導入したという記事も出ている。
手でドアを開閉することを不安視する声が航空会社に寄せられていたとも新聞には書いてある。
本当に肘でドアを開閉って、慣れていなくてやりにくいという苦情も来そうな気もするけれど、航空会社も大変とおもう。
接触感染の予防のために肘でドアを開閉というのが建前で、手でドアを開閉するのが心配という声に答えるというのが本音という側面が強いように思えてならない。
コロナも、本当に長くなり、いろんな不安がみんなの間に出てきたと言うことなのだとおもう。
僕の場合は、あれも、これも、気にしているとキリがないので、手洗いとマスクをまずするようにして、いきたいとおもう。
それと同時に、考えすぎないように、気にしすぎないように、ということも自分の心に言い聞かせるようにつとめている。
どうぞ、毎日、無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。