ちょっと微妙な季節のような気がする。
蒸し暑いかと思うと案外そうでもなかったり。
暑いなと思ってエアコンをドライにしてスイッチオンにすると
今度は寒くなったりして。
ちょっと微妙な季節だなと思う。
学生の頃はいつも梅雨になると
梅雨よ開けないでくれ いつまでもこの梅雨が続いてほしいと
思っていた。
東京の高田馬場と目白の間の坂道を傘をさして歩き
梅雨空に向かってどうぞ梅雨よあけないでくれ
と願ったこともある。
たしかあの日は高田馬場で拾ったビニール傘をさしていた。
最近は傘をひろってさすことはなくなった。
やはり拾ったかさは大概骨が曲がったりしていて
家に持って帰ると結局邪魔になるから。
でも今も100円ショップで買った折り畳みの傘を
いつも鞄の中に入れている。
だから天気予報をみなくてもいつ雨が降っても大丈夫
という状態になっている。
なぜ僕は梅雨よあけないでくれと空に向かって願ったか?
それは当時僕は六畳一間を間借りしていて
クーラーはなく梅雨が開けると地獄の暑さが待っていたから。
民家の二階の六畳一間は回りが建て込んでいて
夏は恐ろしく暑かった。
まあ、つゆが開けてしばらくすると夏休みになり
速攻で岐阜の実家に帰っていたけれど。
もういまどきあんな下宿はないと思う。
東京も銭湯が減ったと聞く。
ほんとうにまだ、かぐや姫の神田川に歌われた
心情がリアルに理解できる時代だった。
100円ショップで買った200円の折り畳み傘は
だいたい半年くらいでつぶれるけれど
傘代が一年200×2=400円と思うと
半年で傘がつぶれてもさしてもったいないとは思わない。
3000円の傘を買うとあっという間に電車の中に忘れてしまう。
どちらが安上がりか過去の人生経験から判断して
一目瞭然という感じになっている。
平日の郊外の町の100円ショップはお年寄りがおおい。
時々僕もはやくお年寄りの仲間入りをしたいなと思うことがある。
ところがちょっと手前みそになってしまうけれど
同じくらいの年齢の人をみると
あれ、ひょっとして僕のほうがちょっと若く見えるかなあ
と自分で勝手に思うことがある。
昨日も僕よりひとつ年上の指揮者の顔をチラシでみたら
僕より顔のしわが多くてあごも二重あごになっている感じだった。
いや、これはひょっとしたら僕のほうが若く見えるかも知れない
と勝手にそう思った。
勝手に自分で思う分には罪がないような気がする。
僕が今日100円ショップに入るとき
ちょっとせむしの感じのおばさんがショップからでてくるところだった。
ゆっくりした足取りで大丈夫かなと思ったけれど
なんとか大丈夫そうだった。
僕がショップで買うものを選んでお勘定をするところに並ぶと
前二人はお年寄りだった。
というか少なくとも僕より年上の方だった。
お勘定をするところつまりレジのある台に
杖が垂直にたてておいてあった。
二人が勘定をすませてもまだ杖は
そこに垂直に立て掛けたまま残っていた。
これは忘れ物に違いないと思った。
僕はたまたま順番の都合で杖が忘れてあるとなりのレジで
会計をすませたのだけれど
まだ、杖はそこにあった。
「この杖忘れ物のはずです」と僕は言ってその杖を
レジの担当の方に渡した。
僕が自分が買ったものを鞄の中に直していると
先程のせむしの感じのおばあさんが
お店に戻ってきた。
あたりをきょろきょろ見回しておられ
明らかに忘れ物を探しておられる感じだった。
「おばさん杖忘れはりましたか?」と僕は言った。
おばあさんは一瞬けげんそうな顔をなさって
それから「はい」とおっしゃった。
「その杖レジにあずけておきました」と僕は言った。
それだけ言うと僕はまた自分の鞄のチャックを閉めにかかった。
しばらくしておばあさんは僕に「ありがとうございます」
といって杖を持ってショップを出ていかれた。
「いいえどういたしまして」と僕は言った。
冬にマフラーを忘れてしばらく歩くと首がスースーして
マフラーを忘れたのに気づく。
おばあさんが杖を忘れたのに気づかれたのも
それと同じパターンかなと思った。
蒸し暑いかと思うと案外そうでもなかったり。
暑いなと思ってエアコンをドライにしてスイッチオンにすると
今度は寒くなったりして。
ちょっと微妙な季節だなと思う。
学生の頃はいつも梅雨になると
梅雨よ開けないでくれ いつまでもこの梅雨が続いてほしいと
思っていた。
東京の高田馬場と目白の間の坂道を傘をさして歩き
梅雨空に向かってどうぞ梅雨よあけないでくれ
と願ったこともある。
たしかあの日は高田馬場で拾ったビニール傘をさしていた。
最近は傘をひろってさすことはなくなった。
やはり拾ったかさは大概骨が曲がったりしていて
家に持って帰ると結局邪魔になるから。
でも今も100円ショップで買った折り畳みの傘を
いつも鞄の中に入れている。
だから天気予報をみなくてもいつ雨が降っても大丈夫
という状態になっている。
なぜ僕は梅雨よあけないでくれと空に向かって願ったか?
それは当時僕は六畳一間を間借りしていて
クーラーはなく梅雨が開けると地獄の暑さが待っていたから。
民家の二階の六畳一間は回りが建て込んでいて
夏は恐ろしく暑かった。
まあ、つゆが開けてしばらくすると夏休みになり
速攻で岐阜の実家に帰っていたけれど。
もういまどきあんな下宿はないと思う。
東京も銭湯が減ったと聞く。
ほんとうにまだ、かぐや姫の神田川に歌われた
心情がリアルに理解できる時代だった。
100円ショップで買った200円の折り畳み傘は
だいたい半年くらいでつぶれるけれど
傘代が一年200×2=400円と思うと
半年で傘がつぶれてもさしてもったいないとは思わない。
3000円の傘を買うとあっという間に電車の中に忘れてしまう。
どちらが安上がりか過去の人生経験から判断して
一目瞭然という感じになっている。
平日の郊外の町の100円ショップはお年寄りがおおい。
時々僕もはやくお年寄りの仲間入りをしたいなと思うことがある。
ところがちょっと手前みそになってしまうけれど
同じくらいの年齢の人をみると
あれ、ひょっとして僕のほうがちょっと若く見えるかなあ
と自分で勝手に思うことがある。
昨日も僕よりひとつ年上の指揮者の顔をチラシでみたら
僕より顔のしわが多くてあごも二重あごになっている感じだった。
いや、これはひょっとしたら僕のほうが若く見えるかも知れない
と勝手にそう思った。
勝手に自分で思う分には罪がないような気がする。
僕が今日100円ショップに入るとき
ちょっとせむしの感じのおばさんがショップからでてくるところだった。
ゆっくりした足取りで大丈夫かなと思ったけれど
なんとか大丈夫そうだった。
僕がショップで買うものを選んでお勘定をするところに並ぶと
前二人はお年寄りだった。
というか少なくとも僕より年上の方だった。
お勘定をするところつまりレジのある台に
杖が垂直にたてておいてあった。
二人が勘定をすませてもまだ杖は
そこに垂直に立て掛けたまま残っていた。
これは忘れ物に違いないと思った。
僕はたまたま順番の都合で杖が忘れてあるとなりのレジで
会計をすませたのだけれど
まだ、杖はそこにあった。
「この杖忘れ物のはずです」と僕は言ってその杖を
レジの担当の方に渡した。
僕が自分が買ったものを鞄の中に直していると
先程のせむしの感じのおばあさんが
お店に戻ってきた。
あたりをきょろきょろ見回しておられ
明らかに忘れ物を探しておられる感じだった。
「おばさん杖忘れはりましたか?」と僕は言った。
おばあさんは一瞬けげんそうな顔をなさって
それから「はい」とおっしゃった。
「その杖レジにあずけておきました」と僕は言った。
それだけ言うと僕はまた自分の鞄のチャックを閉めにかかった。
しばらくしておばあさんは僕に「ありがとうございます」
といって杖を持ってショップを出ていかれた。
「いいえどういたしまして」と僕は言った。
冬にマフラーを忘れてしばらく歩くと首がスースーして
マフラーを忘れたのに気づく。
おばあさんが杖を忘れたのに気づかれたのも
それと同じパターンかなと思った。
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