ケンのブログ

日々の雑感や日記

二月二十四日

2018年02月24日 | 日記
曇りのお天気。ここ数日と同様に暖かいと感じる。
本当に寒いときは気密性の高いマンションのなかでも
しんしんと冷える感じだったけれど夜も同じ暖房の温度設定にしても
以前よりこころなしか暖かく感じる2度くらい温度が上がるだけで
ずいぶん違うものだなと思う。
自宅マンションの菊の花がずいぶん咲いた。白黄色に続いて
赤も咲いた。これでチューリップの歌と同様に赤白黄色と並んだ。
見ると赤のはなと白のはなと黄色の花では別の株になっている。
ちゃんとそうなるように商品をセットしているんだなと思うと
植物を販売する業者の気遣いのしかたがよくわかる。
ただ楽しみにしていた花がひとたび咲くとあとは枯れるのを待つばかりだな
という咲いた花を惜しむ気持ちの方が勝ってくるから
やはり人間には煩悩というものがあるのだなとしみじみ思う。
菊は晩秋か冬ごろにお茶会で飾られることが多いし
M神宮の菊も見頃が紅葉の頃なのでその季節の花だと思っていた。
ところが今日ちょっとお花やさんで聞くと菊もいまや年中さくそうだ。
もともと野生の菊がそうなのか品種改良の結果そうなったのか
はたまたそのような栽培法をしているのかそこまではちょっとわからない。
おばあちゃんが菊人形を見に行くのが好きだったのだけはよく覚えているけれど
季節はいつだったのだろう。それは忘れてしまった。
隣の町へ来ると駅前の割りと繁華な場所でお坊さんが托鉢をやっていた。
衣の相撲取りで言うと下がりを下げる場所にお寺の名前が書いてあった。
お坊さんには失礼と思うけれど自分が所属するお寺から二人で来る托鉢は
サラリーマンが広告物の手配りにいったりするような感覚で
個人でやるよりはハードルが低いような気がする。
でもああいうお姿を見ていると自分も托鉢をやってみたいなと
思うことがある。衣だけ衣装やさんでつくってもらったりして。
僕は地声が低いのでバリトン歌手のような感じでお経をあげても
いいかもしれないなと思ったりする。
唱歌をバリトンで歌いながら托鉢というのはどうだろうかと
思ったりもする。京都の五条大橋とかで。
その場合警察の許可はいるのだろうか。想像の話なのに
余計なことまで考えてしまう。
でもヨーロッパにいくとカフェの店先にお盆にコインを入れて
歌を歌っている女性がいたりする。
ヨーロッパは大道芸がさかんだ。
ロンドンの地下鉄の駅構内ではカラオケでモーツァルトの
クラリネット協奏曲をやっている人がいてかなりうまかった。
それよりもなによりもモーツァルトのコンチェルトをカラオケで
という感覚に驚いてしまった。
京都もヨーロッパからの観光の方も増えたことだし
なんかやってみたいなと思ってしまうことはある。
それなりの勇気はいるだろうけれど。
まあこういうのは想像している方が楽しいのかもしれない。
時々新聞に在宅僧侶の資格の通信口座の広告が載っている。
思わずみてしまうこともあるけれどきっと実際講座をとってみると
覚えたくないことまで覚えないと資格はとれないのだと思う。
僕は昔から自分が好きでこれをやろうと思った勉強は長続きするけれど
具体的な目標のある資格などの勉強は長続きしないというかそもそも
やる気が出ない。
聖書やぶっだの言葉を始めいろいろな教典を読むときも
自分でこれは時代遅れの記述、必要ない記述
ここまでがちんこに教えを守っていたらとてもやってられない
という箇所はどんどんすっ飛ばして自分にとってありがたいところだけ読んでしまう。
こんな態度では資格はおぼつかないと思う。
好きなこともそうでないことも覚えないと資格はとれないというものだと感じる。
まあ、どうしても必要となればその気でいよいよ勉強するかもしれないけれど
おかげさまでこれまでの僕の人生、そういう必要に迫られたことがない。
これも自分の親や八王源先生、また、それにご縁の方々のおかげさまだと
しみじみと思う。
昔から僕は教典は自分にとってありがたいと思うところ以外はすっとばして
読んでしまう癖があり、またその判断だけはなぜか瞬時にできた。
なぜなのだろう。ちょっとわからない。
聖書そのものぶっだの言葉そのものを読むのは面白いと思うけれど
その解説書を面白いとかんじたことはほとんどない。
たいがいの場合、解説を読んでいるくらいなら自分で原典を読んだ方が
はるかに確実と思ってしまう。
本当に変わった癖だなと自分でも時々思うときがある。
寅さんシリーズのある映画でお盆で御前様が忙しいときに
「今日はお盆で忙しいのでお経は短めに」と御前様が言うと
「へいへい、ありがたいところだけお願いします」と寅さんのおいちゃんが
応じる場面がある。
あれを見たときはよくぞおいちゃん言ってくださいましたと僕は思った。

ここ数日、アメリカフロリダの学校での銃乱射殺人事件に関して
トランプさんから銃の所持年齢を21才以上に引き上げると共に
しかるべきトレーニングを受けた学校の先生も銃を持って生徒を
守るべきというような話が出ている。
トランプさんのこの話はトランプさんが銃規制に一定の理解を
示しているかのような文脈のなかで出ているけれど
学校の先生が銃を持って銃による犯罪を防ぐって言う考え方って
ちょっと日本人の常識では考えられないことだなと思う。
私たちはいろいろあっても安全な国にすんでいるのだなと思う。
それでも毎日、無事を願っているけれど。

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