故郷の岐阜に帰省して長良川沿いを車で通り、そして木曽川沿いを車で通ると木曽川は長良川に比べて岩が多くてゴツゴツしていて、言ってみれば男性的だなと思う。
同じ岐阜県でも僕は長良川沿いの街で育ったけれど僕の祖母は木曽川沿いの街で育った。
だからだと思うけれど。祖母はいやなことがあると「まあ、わっち 木曽川へ飛び込んで死のかしら」といつも言っていた。
※わっち、というのは方言で私の意
祖母にとって川=木曽川だったのだと思う。
祖母が川に飛び込んで死のかしら、と言ったことは一度もなく
いつも木曽川に飛び込んで死のかしら、だった。
その言葉を言うときの祖母の口調を聴いて、僕はいつも、大丈夫、祖母は木曽川に飛び込んで死ぬことはないと思っていた。
かなり思いつめていることは祖母の様子からわかったけれど、死ぬほど思いつめているというわけではないというのは以心伝心でなんとなく僕もわかっていたから。
祖母は晩年にいろんな家族の都合で仙台に住む長男の家に行くことになった。
その祖母が仙台から大阪のおばのところに遊びに来たとき、祖母とおば夫婦と一緒に四国の徳島に遊びに言った。
海鮮料理のお店に入って、たまたまトイレの傍らで祖母と二人きりになったとき
「ケンちゃん、わっち岐阜へ帰りてえは」と祖母は僕に言った。
※帰りてえは というのは方言で 帰りたいの意
祖母が仙台に行ったのは家族のいろいろな都合によることなので僕はその祖母の言葉になにも答えることができず、ただ、「そうだね」と言った。
それがこの世で僕と祖母がかわした最後の言葉になった。
でも、祖母の僕に対する最後の言葉が、いわば祖母が自分の本当の願いを僕に伝えてくれる言葉だったのでそのことを僕は心密かに嬉しく思っている。
僕もいつも大阪に住んでいてたまに岐阜に帰ってくると、本当にここは良いところという気持ちになる。
故郷というのはそういうものだとおもう。
僕と祖母が最後の言葉を交わした数年後に祖母は90歳代の年齢で仙台でなくなった。
青葉城恋唄という歌の歌詞の一節に
瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない
という下りがある。
杜の都とはすなわち仙台のこと。
杜の都 あの人はもういない というフレーズを聴くと僕は祖母のことをしみじみと懐かしく思い出し、涙が出そうになることが多い。
青葉城恋唄も良い歌だなと思う。