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ケンのブログ

日々の雑感

カセットテープ

2021年03月13日 | 音楽
僕が読んでいる新聞の今日の編集手帳にこんなことが書いてある。

「カセットという外来語は、カセットテープの普及とともに世に広がったらしい。フランス語では宝石箱を意味することが多い。オランダフィリップス社の技術者として、カセットテープを開発したルーオッテンスさんという男性が94歳で亡くなった。中略 少年の頃、1曲づつレコードを回しては止め録音したのを思い出す」

そうだったんだ、カセットテープを開発した方が亡くなったんだと思った。

カセットテープ 懐かしいな。

僕は昭和50年ころ、つまり、僕が中1の頃、父に何ヶ月もせがんでカセットデッキを買ってもらった。

レコードやラジオからカセットデッキに録音して、いろいろ音楽を楽しんだ。

父にカセットデッキを買ってもらって、本当にいろんな音楽を録音して、聴いたことを懐かしく思い出す。

「カセットデッキ買ってもらった」と学校でも何人かの友達に話した。

その友達のうちの一人は、荒井由実さんの大ファンだったI君という子だった。

僕がIくんにレコードを貸してほしいとお願いしたことはなかったのだけれど、Iくんは荒井由実が本当に好きだったので、荒井由実のレコードを買うたびに「ケンボウ、これケンボウもカセットデッキで録音して聴いてよ」と言って自分から進んで僕に荒井由実のレコードを貸してくれた。

※中高生の頃、僕は友達からケンボウと呼ばれることが多かった。

僕が松任谷由実さんの、荒井由実時代の歌をかなり知っているのは、友達のIくんが、レコードを貸してくれて、カセットに入れて聴いたことによる。

僕とIくんは進む高校が違った。

高校生になってもIくんは僕のところに松任谷由実のレコードを買ったと言って持ってきてくれた。

僕は、そのレコードを借りたけれど、そのときはなぜか、カセットに録音しなかった。

一週間くらいしてIくんはレコードを取りに来た。

Iくんは僕に「レコード、カセットに録音した?」と言った。

僕は、正直に「ごめん、今度は録音しなかった」と言った。

「あ そうなんや」とIくんはちょっと残念そうに言った。

別にそれでIくんが僕に腹を立てたというわけではなかったと思うけれど、そのときをきっかけにIくんは僕のところにあまり遊びにこなくなった。

進む高校がちがったということもあるかもしれないけれど、なんか、あのときIくんがもってきてくれたユーミンのレコードを僕がカセットに録音しなかったときから、Iくんがあまり僕の家に遊びに来なくなったのは、僕にとってはちょっと甘酸っぱい思い出である。


正確な年は忘れたけれど、僕が中学生の頃、つまり昭和50年代の前半に、小椋佳さんがNHKホールでコンサートをやって、それは、ラジオで放送された。

それも、ステレオのチューナーをスタンバイしてカセットデッキで録音して何度も聴いたなと思い出す。

何度も聴いたので、小椋佳さんのコンサートでの語りまで、部分的に覚えている。

「ある女性と、駅まで歩くことになった。駅まで7分半くらい時間がかかる。7分半の女性との会話をいかに運ぶか、そんなことを僕は考えていました」という主旨のことを小椋佳さんはコンサートの曲の間に語っていた。

「曲のメロディが浮かぶと、僕は妻に歌って聴かせるんですよ。妻は そうねえ とか、要するに感想は何も言わないんですよ」と小椋佳さんが言ったとき会場で軽い笑いが起きたということも覚えている。

そのコンサートのアンコール曲は確か「さらば青春」だったと思う。

「聴いていただくには、もう限界を超えてますけど」と前置きをして小椋佳さんはその歌を歌われたように記憶している。

そういう小椋佳さんのコンサートでの語りを聴いて僕は佳さんのことを、賢くでシャイなひとなんだなと中学生なりに思っていた。

クラシックも、かなり録音したと思うのだけれど、クラシックに関しては自分が気に入った曲はカセットで持っていてもレコードに買い替えていったから、なぜかあまり記憶にない。

やはり、カセットでどれだけ頑張ってもレコードの音質には勝てない、というのが当時の定説だったし、僕もそれは実感していたから。

そんななかで僕が妙に覚えているのは
やはり昭和50年代前半にカールベームさんがウィーンフィルハーモニーと来日してNHKホールで演奏したベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番。

これは、どうして覚えているかと言うと、コーダの直前で、バイオリンが一人だけ音を遅れて出すという演奏の明らかなミスがあり(ライブ演奏にはこういうことはつきものだけれど)、そこの部分を繰り返して聴いていたからだ。

世界的に有名なオーケストラでも素人がそれと気づくような演奏のミスはある、というのを知ったのは、なんだか当時の僕にとってはとても大きな経験だったように思う。

もちろんその演奏は、そういうミスはあるものの、全体としては素晴らしいものだったと記憶しているけれど、、、。

あと、僕がカセットに録音したのもで、印象深かったのは、これも昭和50年代前半に、ラザール ベルマンというソ連のピアニストが来日して、岩城宏之さんが指揮するNHK交響楽団と演奏した、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番。

この曲の第三楽章、岩城宏之さんはごく一般的なテンポで、オーケストラの短い前奏を始めたのだけれど、ベルマンさんはその岩城宏之さんのテンポを全然無視して、当時の僕には信じられないような早いテンポで、超絶的に演奏を進めていかれた。

本当にあのときはオーケストラがピアノについていけないくらいの超絶的な演奏だった。

中学生の僕にはちょっとした衝撃だった。

あんな、すごいピアニストが、それでも、その後、それほど名前を聴かなくなってしまったのは、やはりソ連というお国柄なのだろうかとそんなことも思い出す、、、。

これは、あくまで僕の主観だけれど、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番の演奏で、ベルマンさんに匹敵するくらい超絶的な演奏に接したのは、マルタ アルゲリッチさんがキリル コンドラシンが指揮するバイエルン放送交響楽団と組んで録音したものを聴いたときだけだなと思う。

そのキリル コンドラシンさんもソ連の指揮者だけれど、西側諸国の代表的オーケストラの一つ、バイエルン放送交響楽団に盛んに登場するようになってから、しばらくして、ちょっと不可解な亡くなり方をしたんだなということも、また、僕としてはちょっと気になるところではある。


本当に、特に僕が中学生の頃の音楽に関する思い出の多くはカセットデッキ、そしてカセットテープとともにあるなと思う。