立春を過ぎた頃からスーパーマーケットの花売り場でスイートピーを見かけることが多くなった。
僕の世代と言うか、僕は、スイートピーの花を見ると、松田聖子の「赤いスイートピー」という歌のまさに 赤いスイートピーという歌詞をメロディ付きで思い浮かべてしまう。
僕も聖子さんも1962年生まれで年が同じだし、(聖子さんが3月で僕が8月生まれだから聖子さんのほうが学年は一つ上だけれど)当時はヒット曲はイヤホンでみんなが聴くのではなく、テレビやラジオのスピーカーから流れていたから、特に聖子さんのファンでなくでもヒット曲は何となくサビのメロディくらいは覚えているという感じだった。
今はスピーカーから流れてくる音楽というのは当時に比べると随分減ったからヒット曲もユーチューブなどで自分で検索に行かないと、なかなか覚えることができない。
特に僕の場合テレビとスマホを持っていないのでなおさらそうなると思う。
聖子さんと僕と年代が同じということならではの思い出があって、僕が通っていた高校の生活指導の先生が全校集会で「聖子巻きか何か知らんけど、女子で髪にパーマを当てとるやつがおる。本校は髪にパーマを当てることは禁止なんだ。生徒手帳の校則のところをよく読んでおくように」というアホな訓示をして結構みんなの失笑を買っていた。
聖子巻きとかなんとか言って、先生も松田聖子のこと好きなんやないかというような言われ方を生徒からしていた。
大阪、下町のアーケード街の花屋さんにもスイートピーが出ている。
スーパーでもスイートピー単独で出ていたのが、ここ数日はカスミソウとセットにした花束になっている。
どういうことなのだろう、今の季節とスイートピーと何か関係あるのだろうか。
グーグルに 「スイートピー 季節」 と入れて試しに検索してみると、スイートピーの花言葉として 門出 別離 というものがあるらしい。
3月は卒業のシーズンだからそれが当てはまるということか。
ようわからんけど、、、。
そういえば昨日、電車で袴姿の女の子見かけたなあ、、、。
花束持ってたけど、花束までジロジロ見るのはちょっと気が引けるのでそれはしなかった。
若い女の子に助平なおじさんと思われるのいややし。
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新聞にヨーロッパではコロナでロックダウンがいまだに敷かれている国があることが書いてある。
アメリカでもマスクの着用を巡って大きな対立が生まれている州があると出ているし。
本当にこんなことでオリンピックできるんやろうかと心配になってくる。
個人的にはもう無理にオリンピックすることもないように思うのだけれど。
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今、僕が読んでいる新聞に東北大震災10年にあたっていろんな特集記事が出ている。
そのなかに福島県の事例として「203人が手術 過剰診断か」という見出しでこんな記述があった。
「福島県は、事故当時18才以下の約38万人を対象に甲状腺検査も実施している。中略
これまで甲状腺がん、またはがんの疑いと診断されたのは252人で、手術を受けたのは203人。この結果について医師と放射線の専門家でつくる県の専門家部会は 放射線の影響とは考えにくい と評価した。
中略 検査しなければ生涯気づかない、治療の必要のないがんまで見つけた 過剰診断 だったのではないか。検査を巡っては、こんな指摘も専門家から出ており、有識者会議が検査のあり方を議論している」
本当に、最近は、ちょっと気になることがあって街のお医者さんに行く、そこで検査をして異常がないと「うちで見た限りでは、異常はありません。これ以上詳しいことになると、大きい病院で検査しないとわかりません、よかったら紹介状書きますよ」と言われることが多い。
僕、何年か前に、乳がんになっていなくても、検査して乳がんになる可能性があるとわかっただけで乳房を切除する人がいるというニュースが話題になってから、「これ以上詳しい検査は大きい病院で」と言われると、「大きい病院で検査して、病気をほじくりだしてまで治療したいとは思いませんから、紹介状は希望しません」と答えるのを基本にしている。
医者にかかるのにも基本は、自分の身体のことは自分の直感を大切にして、自分が検査をしなければ怖いと思ったときはする、逆にくわしい検査をしてまで病気をほじくりだしたくないと思ったときはしないというようにしている。
僕、割とよく医者には行くと思うけれど、一方で井出国子さんという人の「病(やまい)は金や薬では治らない。病(やまい)は、自分の真(まこと)でなくなる」という言葉もかなりの部分、信じている。
実際、薬は今でも病気を治すと言うよりもまず症状を抑えて、あとは、様子を見ながら自然治癒を待つということも多いし、手術もメリット デメリット双方あるという場合に遭遇する場合も結構多い。
ただ、これはあくまで僕、個人の考え方だけれど。
本当に、コロナのワクチンも10年後になって、いろんな問題が出てきて、あのときは過剰接種だったかも、ということにならなければいいとそれを切に願っている。
医療が、とても進歩した時代だからこそ、そのとき そのときの 医師の言葉を自分でよく受け止めて、自分で考えるということが大切なのではないかと思う。