ケンのブログ

日々の雑感や日記

クリーン クリーンと言っては金もできないな

2021年03月10日 | 日記
僕が読んでいる新聞の文化欄に三木武夫元首相秘書のメモが刊行された話を紹介する記事が載っている。

その記事の中で僕の目に留まった箇所を要約すると次のようになる。

“”
三木武夫は1974年に金脈問題で田中角栄が退任した後、「金権」に変わる「クリーン」を看板に首相に就任。ロッキード事件の真相究明に執念を燃やしたものの、「三木おろし」と言われる党内の反発を受け76年に首相を辞任した。

首相辞任から5年経った81年12月8日には、三木が「みな、力がなくなったとみるのだな」と資金が集まりにくくなったことを嘆いたことがメモに記される。

84年1月28日の「クリーン クリーンと言っていては金もできないな」という発言は思うように資金が集まらないことへの三木の本音が示されている点で注目される。“”と。

本当に、お金のことって誰にとっても身につまされる話だなあとしみじみと思う。

夏目漱石の草枕の冒頭付近にも 

「金は大事だ、大事なものがえればも心配だろう」(青空文庫より引用)
という記述があるけれど、なければないで、あればあるで、お金で悩んだことない人はいないと思う。

作家、芹沢光治良さんはお父さんが、天理教のために財産を投げ出してしまうような信仰生活をされたために、貧乏の辛酸をなめられたことが、芹沢光治良さんの小説には描かれている。

本当に貧乏であるがゆえに、ひとから軽く見られたり、蔑まれたりする、悔しさ、悲しさって、それを味わった人にしかわからないものだと思う。

あるいは、貧乏と思われて、軽く見られのがいやで、つい、身の丈に合わない生活をして、余計にお金に関する状況を悪化させてしまったりする人もいるわけで、、、。

僕も会社に勤めているとき、途中から賃金が年控序列から、成果主義の賃金に変わった。

なかなか、仕事で総合的な力のつかなかった僕は、職責が低かったので、給料の高も、僕が勤めている会社の中では低い方で、年下の人にも給料の高で追い越されてしまったりして、そのことで、劣等感を覚えて随分悩んだ経験がある。

本当に、どういう点で悩むかはその人次第だけれど、お金で悩んだことのない人って誰もいないと思う。

三木元首相の「クリーン クリーンと言っては金もできないな」というのも本当に身につまされるような言葉だと思う。

新約聖書にはイエスの言葉として
「富んでいる人が神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがやさしい」とか
「あなたがたは神と富とに兼ね使えることはできない。一方を愛し、他方を疎んじるからである」
という主旨の記述があるけれど、こういう記述も、特にキリスト教文化圏では、その意味を真剣に考えてきた人も少なからずいることと思う。

富んでいる人が神の国に入るよりラクダが針の穴を通るほうがやさしいと言われても、かすみ食べて生きるわけにもいかないし、、、。

せめて、お金を支払うときは感謝して気持ちよく支払い、受け取るときも感謝して受け取り、大切に扱うという心がけは大切にしていきたいなと思う。

感謝して気持ちよく支払うことができないと感じるお金は、本当に自分にとって使う必要のあるお金なのか考えてみる、そういうことにも気をつけていきたいなと思う。