ケンのブログ

日々の雑感や日記

コロナの世界

2020年05月10日 | 日記
コロナは本当に世界のニュースになっている。新聞の国際欄を見てももうコロナ一色という感じ。世界が同時にコロナの災いにあっているときだからこそ、普段、あまり触れることのない世界の考え方が見えてくるということがある。

たとえばこのコロナ。アメリカでは真珠湾攻撃 そして9月11日の同時多発テロに並ぶ国家的災厄だという感じで語られることが多い。

ええ、真珠湾ってアメリカにとってはそんなに同時多発テロに並ぶほどの災厄だったのと今更のように思い知らされる気がする。

アメリカに留学したことのある人だったら真珠湾がアメリカにどう捉えられているかわかるということもあるだろうけれど、僕はそういう経験がないからこのコロナを通じて、真珠湾、9月11日 コロナと並べることで真珠湾のアメリカに対する衝撃度をなんとなく推し量るよい機会になる。

それは僕の学校の先生はまだ戦争を体験した人が多かったけれどB29の空襲の話などが多く真珠湾がいかにアメリカを怒らせたかという話をしてくれる方はいなかった。

まあそれはそうだろうけれど。

また、アメリカで今度のコロナによる失業率は世界恐慌のときのそれに匹敵するという記事が出ている。そしてその記事には文章のなかにうまく織り込む形で、時の大統領セオドア・ルーズベルトのこんな言葉が紹介されている。

The only thing to fear is fear itself.
「恐れるべき唯一のことは恐れそのものである」と。

こういうときに時の大統領の言葉が格言のように紹介されるのも一つの文化だなと思う。
そしてその言葉は実に的を射ているようにも思う。

恐れるべきことは恐れそのものだと。

過度の恐れが疑心暗鬼、混乱を生むことは私達がいろいろ見てきたとおりである。

またヨーロッパで第二次世界大戦の戦勝国は、戦争を戦った兵士に恥じないようにこのコロナを乗り切ろう、という鼓舞の仕方をする指導者がいるいことを新聞の記事からうかがい知ることができる。

それは、本当に勝てば官軍だなと思う。

僕が負けてくやしい思いをしていたときに八王源先生が僕に言った。

「ケンちゃん、勝てば官軍なの。勝てばどんなことでも言えるの」と。

そのときは僕もまだ若かったから先生なにを人の悔しさに油を注ぐようなことを言うんだと思っていたけれど、この年齢になってはじめてあの時、八王源先生が勝てば官軍と言っていた言葉の深さを感じることができる。

日本は戦争に負けたから、こんな時、兵隊さんの勇気に負けないようにコロナに立ち向かおうなんて言ったら、それこそ失言ということで社会的地位までも失いかねない。

南米コロンビアではこのコロナで棺桶を買うお金もない人が出てきているらしい。
そこで登場したのが棺桶兼用ベッド。コロナにかかってベッドで寝て、もし死んだら、ここのふたを開ければ棺桶に早変わり、一石二鳥でお得です。
ということになっている。

日本でこんな製品がでたら、不謹慎だふざけるな、ということになってそんな棺桶兼用ベッドを作った会社の製品は売れなくなってしまうかもしれない。

というかそんな製品が表に出てくること自体がちょっと考えにくい。

やはり、南米というのはすごいところなのかもしれないとこういうときに感じることができる。

もちろん死生観にかんする文化の違いもこういうときには浮き彫りになる。

経済状況が人間の考え方を支配するということが多分にあるということも、南米コロンビアの例からうかがい知ることもできる。

何事もいろいろ勉強だなと思う。

なにげなく横断歩道で赤信号の時、おばちゃんの話し声が聞こえてきた。

「一週間に1回、下ろすだけ、下ろすだけよ。まとめるのはぜんぶ私」

僕が聞き取れたのはその部分だけだけれど
その部分だけ聞き取れれば要するに旦那はゴミを週に1回下に下ろすだけでゴミをまとめるのは全部、妻である私の仕事、という文脈で旦那の悪口を言っていることは速攻でわかる。

昔、八王源先生がみんなの前で言っていた。

「ここに集まっておられるみなさんの中で、うちの旦那が日本一、うちの妻が日本一と思っておられるお方が何人おられますか? 私はまず一人もいないと思います。

みんな不平タラタラですごしておられることと思います。しかし、結婚というのは他人同士が寄ったんだから、だんだんお互いにひねてきて、不平だけででやっておるとたいもないことになるんです。

私もこの通り、子供がおるのでやむを得ん、こうしてこの歳までやってきました。みんな私の真似をせんように夫婦仲良く暮らしてください」と。

※たいもないことになる は岐阜の方言で大変なことになるという意味です。