「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

多喜二年譜1933

2008-12-14 00:05:46 | 多喜二のあゆみー東京在
1933(昭和8)年
1月7日、「地区の人々」を書きあげ、『改造』3月号に発表。このころ伊藤ふじ子が職場で検挙される。
『プロレタリア文学』2月号に、評論「右翼的偏向の諸問題」(6、7、8、結び)〈1・10〉
『プロレタリア文化』4月号に、「同志淡徳三郎の見解の批判」(右翼的偏向の諸問題2章)

1/20隠れ家を襲われ、渋谷区羽沢町国井方にひとりで下宿。

『プロレタリア文化』3月号のため、2月13日、評論「討論終結のために(右翼的備向の諸問題)」を執筆。
2月20日、正午すぎ、赤坂福吉町で連絡中、詩人で青年同盟幹部の今村恒夫とともに築地署特高に逮捕され、同署で警視庁特高の拷問により午後7時45分殺さる。検察当局は死因を心臓まひと発表。解剖を妨害し、22日、馬橋375の自宅での通夜、23日の告別式参会者を総検挙した。今村も1936年12月9日、拷問を受けた傷が癒えず死去。

志賀直哉は、多喜二の母・セキに宛て「不自然なる御死去の様子を考えアンタンたる気持ちになりました」(2.24)と、香典と弔文を出す。

「為横死之小林遺族募損啓」
魯迅の弔詞=同志小林ノ死ヲ聞イテ

当時26歳の手塚英孝「一労働者」名で、『大衆の友』多喜二記念号外(1933・3・10)に「同志小林多喜二を憶う」。――「同志小林は、実に断乎とした撓むことを知らぬ、溢るるばかりの戦闘的熱意とを持った真にボルシェビーキー典型だった。/私が彼に初めて会ったのは一年許り前である。実を云うと私はこの勝れた人物を想像して何か堂々とした紳士(?)を思い浮べていたのであるが、会ってみると彼は丸切り予想とは違った小男だった。私は初めは人違いではないかと思ったが、直ぐその事を話して大笑いをした。」「同志小林は既に居らぬ。併し彼の偉業、彼の流した血は、幾千万の労働者、農民の血潮となり、プロレタリアの旗になるであろう。」と結ぶ。


3/15『赤旗』藤倉工業女工マツの手記。「同志小林多喜二の虐殺に際して」

3/27 国際連盟から日本脱退。

・『日本プロレタリア文学集』(国際出版所 33年)。Kobayashi Takiji. The Cannery Boat (and Other Japanese Short Stories). Translation anonymous. New York: New York International Publishers、 1933.

「地区の人々」(『改造』3月号)106枚のうち、削除と伏字は約180ヶ所、2、200字。出版予告広告は、多喜二が虐殺される直前に掲載された。

・「討論終結のために」を、『プロレタリア文化』3月号に遺稿として掲載。
3月15日、労農葬が築地小劇場でおこなわれた。労農葬を記念して『日和見主義に対する闘争(小林多喜二論文集)』(日本プロレタリア文化連盟出版部 4月 岩松淳装丁)が出版される。『赤旗』『無産青年』『大衆の友』『文学新聞』『演劇新開』『プロレタリア文化』『プロレタリア文学』は追悼と抗議の特集号を発行した。ロマン・ロラン、魯迅をはじめ、内外から多数の抗議と弔文がよせられた。3月、築地小劇場で新築地劇団により追悼公演「沼尻村」が上演された。

『中央公論』は、「党生活者」を、貴司山治、立野信之と協議し、多喜二の遺作として「転換時代」の仮題で4、5月号に発表。削除・伏字は758ヶ所、約14,000字の多さで、痛々しい姿だった。(「党生活者」原稿は焼失とつたえられる)

33年に・板垣鷹穂「古い手紙―小林多喜二氏のこと―」(『新潮』4月号)
・宮本百合子「同志小林の業績の評価に寄せて-四月の二三の作品―」(『文学新聞』3月15日)

・宮本百合子「同志小林の業績の評価に寄せて」(『プロレタリア文化』4月号)
・宮本百合子「同志小林の業績の評価によせて――四月の二三の作品――」(「国民新聞』4/6、8~10)

・3月『不在地主、オルグ』(改造文庫)

・4月『蟹工船、不在地主』(新潮文庫)

4月『小林多喜二全集 第2巻』(作家同盟出版部 国際書院発売)
夏から秋にかけて全集刊行委員会に基金・前金に300円が集まったが、刊行は不可能だった。宮本百合子は大熊信行に募金のお願いの手紙を出した(現在小樽文学館蔵)。

楼適夷は胡風とともに、日本での極東反戦会議に中国代表として参加したものの、同会には中国代表者しか集まらなかったので、準備会扱いとなった。江口渙と懇談したのち、ただちに帰国。

・5月小説集『地区の人々』改造社

・5月小説集『転形期の人々』(国際書院)
5月小説集『蟹工船、工場細胞』(改造文庫)

「転形期の人々・断稿」(『改造』6月号)

多喜二を虐殺した後、渋谷区羽沢のアジトに特高が踏み込み、捜査資料として多喜二の大事なトランクを押収した。そのトランクに残されていたのがこの「転形期の人々・断稿」49枚の原稿。
コップ党組の責任者、池田寿夫は、胡風から中国左翼文総名で電報を打ち、日本政府への抗議と哀悼の意を示すことを提案された。電文は『プロレタリア文化』に掲載された。
・『文学新聞』(6月11日付)宮本百合子「小説の読みどころ」

6月、志賀直哉は『文化集団』創刊号に「小林多喜二君と作品」と題し、多喜二宛て書簡2通と、母セキへの弔文を掲載。

『プロレタリア文化』(6.7合併号)は「大衆の手による『小林多喜二全集刊行』を提唱す」。文化連盟書記局8/20「小林全集刊行カムパの意義とコップ各同の任務」にもとづく刊行は、編纂者のあいつぐ検挙と文化連盟内部の保身的潮流のための混乱から、一巻のみで続刊不能。

6月7日 共産党幹部の佐野学、鍋山貞親が獄中で転向声明。

8月 広津和郎「風雨強かるべし」

8/25 日比谷市制会館で、「極東平和の友の会」(佐々木孝丸議長)創立大会。

9月21日、宮沢賢治死去。

9月小説集『転形期の人々』(改造社)

9月30日 上海で極東反帝反戦反ファシズム大会。日本代表参加。

「蟹工船、一九二八年三月十五日」(『世界革命文学日本編』収、ロシア語訳)小説(外国語訳) 国立芸術文学出版所

「蟹工船、一九二八年三月十五日」(『世界革命文学日本編』収、ロシア語訳)小説(外国語訳) ウクラインシキーロビートニク出版所(ハリコフ)

小説集『蟹工船』(一九二八年三月十五日、『市民のために!』収、日本短編集、英訳)(外国語訳)インターナショナル出版社(ニューヨーク)、マーティン・ロレンス社(ロンドン)

・『プロレタリア文学』(33/10)「小林多喜二全集刊行会広告」 全10巻を予定。「この全集の内容は最も完全を期」す計画。二度目の試み。

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