「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

多喜二年譜1932

2008-12-14 00:02:43 | 多喜二のあゆみー東京在
1932(昭和7)年 29歳
『プロレタリア文学』(作家同盟機関誌)創刊

1月28日 上海で日本の海軍陸戦隊が中国軍と衝突(上海事変始まる)
「文芸時評」(〈1・12〉『時事新報』1月10、11、12、15日号)
「『転形期の人々』の創作にあたって」(『短唱』2月発行第2号) 小説「失業貨車」 (〈1・17〉『若草』3月号)
評論「『組織活動』と『創作方法』の弁証法」(〈1・21〉『読売新聞』1月27日号)
鹿地亘に入党を勧誘。

2月、作家同盟は国際革命作家同盟(モルプ)に加盟。
評論「我々の文章は簡単に適確に」(〈2・7〉『帝国大学新聞』2月29日第421号)
「『一九二八年三月十五日』の経験」(〈2・7〉『プロレタリア文学』3月号)
評論「戦争と文学」(〈2・19〉『東京朝日新聞』3月8~10日号)

3/1 「満州国」建国。

小説「転形期の人々」(『ナップ』31年10、11月号」『プロレタリア文学』33年1~4月号 )
「転形期の人々」執筆を一時うちきる。
「小林多喜二氏より」(『新潮』3月号)

3月「母たち」収(『年刊日本プロレタリア創作集』作家同盟出版部)
評論「『文学の党派性』確立のために」(『新潮』32年4号)を発表。

3月6日 横浜・神奈川会館での文学講演会で講演する。(『横浜近代史総合年表』)松田解子、大宅壮一、江口渙らと東京からタクシーで行く。

3月8日、中編小説「沼尻村」を完成させる(『改造』4、5月号)。

前年春、ビラはりなどで知り合った伊藤ふじ子が美術サークルの関係で出入りする大崎労働者クラブを通じ、「党生活者」の舞台となる五反田の藤倉工業労働者の臨時工解雇撤回闘争を支援する。藤倉の労働者を組織するため「小林多喜二の小説の話を聞く会」をひらく。

3月24日から5月にかけて、文化連盟を中心にとして蔵原惟人、中野重治などの検挙が行われる。作家同盟指導部員の大部分が検挙投獄される。

多喜二は4月上旬、伊藤ふじ子に紹介されて小石川原町21番地 木崎方で作家同盟第五回大会報告書準備のため、自家を離れていたため検挙を免れたため、そのまま地下生活に入り、宮本顕治らと文化運動の再建に献身した。

評論「第五回大会を前にして」(〈3・10〉『プロレタリア文学』4月号)
評論「『文学の党派性』確立のために」 (〈3・12〉 『新潮』4月号)
「文芸時評」(『読売新聞』4月1~3日号)
報告「プロレタリア文学運動の当面の諸情勢及びその『立ち遅れ』克服のために」(『第五回大会議事録』)

4/3 宮本家へ。「四月三日の晩、小林多喜二が来た。そして、中野重治が戸塚署へ連行されたことを話した。」(宮本百合子「一九三二年の春」)

島崎藤村「夜明け前」第二部(『中央公論』4~10月号)

『プロレタリア文学』5月号に、評論「『国際プロレタリア文化聯盟』結成についての緊急提案」〈4・9〉

4/16~8/1 第一期革命競争。
同月中旬、以前から交際のあった伊藤ふじ子と結婚。麻布東町に住む。
「文芸時評」(『中央公論』6月号)

郷利樹の筆名で「ある老職工」(32年4月23日付『赤旗』 全集未収録)

5/11 作家同盟第5回大会 解散させられる。

『プロレタリア文学』6月号に、評論「暴圧の意義及びそれに対する逆襲を我々は如何に組織すべきか」 〈5・15〉

岩波書店から『日本資本主義発達史講座』刊行開始

5月26日 コミンテルンが「32年テーゼ」

5・15事件(犬養毅首相暗殺)

6月 文化団体党員グループの責任者になる。
『プロレタリア文学』7月号に、評論「『政治的明確性』の把握の問題に寄せて」<6.15>
清水賢一郎名「戦争から帰ってきた職工ーー八・一(反戦)デー近づく」(『赤旗』80号6月25日付、81号7月1日付 全集未収録)

7月 日本反帝同盟の執行委員になる。麻布新綱町にうつる。「文化連盟中央協議会書記長として伊東継の名にて『コップ』に文化運動の指導的論文を多数発表。また、『プロレタリア文学』に文学運動の日和見主義的傾向との闘争に関する多くの論文を書く。一方、党のアジプロ部員として赤旗編集局に参加」(貴司)

1932年7月8日、日本反帝同盟の中央執行委員会が開催され、4月の文化分野への大弾圧以来、地下活動を余儀なくされていた小林多喜二が文化連盟から派遣された執行委員として加わった。同執行委員会で検討された課題は、以下の①八・一国際反戦デーの準備と宣言の発表、②ゼネヴァ反戦大会への代表派遣とともに、③日本帝国主義の満洲侵略に反対する諸活動に取り組む、という3項だった。


8月 アムステルダムで文学者の国際反戦大会

『プロレタリア文化』8月号に、評論「日和見主義の新しき危険性」、「八月一日に準備せよ!」〈7・11〉

『プロレタリア文化』9月号に、評論「闘争の『全面的』展開の問題に寄せて」〈8・14〉

8月25日、小説「党生活者」を完成。『中央公論』は作者が追われていることと、その内容から掲載を保留。

8月30日、小説集『沼尻村』を作家同盟出版部で刊行。同年11月4日安寧禁止処分に付された。

9月下旬、麻布桜田町に一戸建てを借りてうつる。この前後から、林房雄を代表とする分裂主義的言動への批判に力をそそぐ。

『プロレタリア文化』10月号に、評論「二つの問題について」
『プロレタリア文化』11・12月合併号に、評論「闘争宣言」〈10・24〉
『プロレタリア文学』12月号に、評論「右翼的偏向の諸問題」(3、4、5章)

大森第百銀行事件
10/30 熱海党集会への弾圧。岩田義道検挙され、11/3虐殺される。

12/9 日比谷公会堂でのハンガリーのバイオリン奏者ヨーゼフ・シゲティのコンサートを弟・三吾とともに聴く。

吉祥寺・江口渙宅で、33年5月に上海で開催が予定され(実施は9月となった)ている極東反戦会議準備会(出席、江口渙、小林多喜二、小林雄三、佐々木孝丸ほか)。
『プロレタリア文学』33年1月号に、評論「二つの戦線における闘争」(右翼的偏向の諸問題第1章)

「蟹工船」が『世界革命文学』ロシア語版第2号に訳載)
『蟹工船』(ロシア語訳)小説(外国語訳)ソ連モップル中央委員会出版所

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