「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

1932年4月10日 愛国第11長岡号

2010-01-14 19:24:53 | 多喜二のあゆみー東京在
愛国第11長岡号
 1932年2月に飛行機献納の計画が発表されると、市民の戦争熱を利用したこの運動は盛り上がり、5万円を超える金額が集まりました。献納飛行機の命名式は4月10日に東京代々木の練兵場で行われ、飛行機は「愛国第11長岡号」と名付けられ、翌日、長岡への訪問飛行しました。

写真は、1932年4月10日代々木練兵場での愛国第11(長岡)号。

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3 コメント

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海軍航空隊と人相占い師 (御影暢雄)
2009-03-14 19:59:23
 阿川弘之著「山本五十六」によれば、日本海軍は航空隊の飛行士と飛行機が事故で消耗されることが悩みの種で、結局航空隊兵士選抜時に「人相見」占い師の力を借りたそうです。占い師が航空隊志願者を面接して、人相で飛行機乗りに適正かどうか判断を下したそうです。その占い師は、日本軍の中国侵略が拡大する前、「この頃、町行くご婦人達には寡婦の人相を予期させる人達が増えている。大陸で兵隊さんが大勢戦死するようだ。
」と内々に人に告げていたそうです。
1945年7月頃になると、「この頃、死相の顔をした人が減っている。戦争は終わりそうだ。」とも、語っていたとか
。」
 坂井三郎(零戦パイロット、撃墜王)氏も、入隊面接に占い師が来ていたことを記しています。
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タキさんへの最後の葉書 (御影暢雄)
2009-03-14 21:28:13
 多喜二がタキさんへ書いた、最後の葉書は「愛国第11長岡号」の絵葉書ですね。
長岡は山本五十六の出身地なので、その関係でのネーミングだったのでしょうか。
(気の毒なことに1945年7月、新潟県長岡市はアメリカ軍B29爆撃隊の大空襲を受けています。アメリカ軍が長岡を襲った理由は、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六の故郷だったからからだと言います。坊主憎けりゃ・・何とかと言いますが、アメリカ軍の非道性の一面が窺えます。山本五十六は当時、もうこの世の人ではないことをアメリカは知っており、戦争の趨勢も決まりかけていたのに、こうした残虐行為を行っていたのです。)
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訂正 (御影暢雄)
2009-03-14 21:47:18
 アメリカ軍の長岡大空襲は1945年8月1日でした。同年の東京大空襲の半分の量の焼夷弾が、人口8万人の小都市に投下されたそうです。
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