「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

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5 コメント

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Unknown (めい)
2009-12-04 21:54:41
岩田さんが虐殺されたのは11月でしたでしょうか。。。
岩田義道さんを偲ぶ会などは現在も存続しているのでしょうか?
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岩田義道祭? (佐藤)
2009-12-05 01:25:57
多喜二祭は特別ですね。
岩田の義道祭はやられていないです。

共産党が1970年代に、野呂栄太郎、岩田義道、多喜二、今村恒夫、今野大力ほかを偲ぶ夕べというものを開催したことはあります。
宮本顕治が講演しました。
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参考メモ (御影暢雄)
2009-12-05 16:08:06
 1932年4月 党中央委員・上田茂樹(31才)が東京で逮捕されたが、その後の消息は闇に葬られ、いつどこで殺されたかは現在も不明。
 1932年10月 党中央委員・岩田義道(34才)は、東京西神田署に逮捕され4日後、拷問で虐殺された。
 1933年2月 党九州地方委員長・西田信春(30才)は虐殺されたが、その事実は30数年後になってから解明された。 

 [参考]「日本共産党の80年」
 

 
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参考メモⅡ (御影暢雄)
2009-12-05 19:28:09
 岩田が逮捕されたのは10月30日、殺されたのが11月3日だそうです。
 当時の「赤旗」に、労農葬を呼びかける記事と、岩田の写真が掲載されています。
彼の娘が、野坂参三夫妻の養女としてモスクワに同行し、彼の地で育てられたことを、今日初めて知りました。
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安田徳太郎 (akio)
2009-12-10 19:44:56
めいさん♪
岩田義道の虐殺のことは、ファイル「盟友たち」の1932年11月03日に書込みしています。モット詳しく知りたければ(安田徳太郎著「思い出す人びと」)を図書館でゲットできます。
安田徳太郎:山本宣治の従兄弟
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