「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

多喜二と土方与志

2009-01-18 11:20:12 | 多喜二と同時代を生きた人々
土方与志
◇演出家・1959年死去した。61歳。

祖父・久元は明治政府の宮内大臣・伯爵だが、父が与志の生後 か月で自殺したため、母方の加藤子爵家で育てられた。彼の屈折した思想は、この幼児環境にあった。学習院高等部卒、東大文学部中退。

東京・小石川の自宅に模型舞台研究所を作り、小山内薫に師事。伊藤喜朔、千田是也らとの交友が始まる。

22年ヨーロッ パに外遊して演劇を深め、24年、自費を投じて劇場を作って小山内薫、友田恭助らと劇団・築地小劇場を創立した。

チャベック、ストリンドベリ、ロマン・ロラン、バーナード・ショーなど西欧の戯曲を上演した功績は大きい。26年ごろから左傾し、内外のプロレタリア演劇を数多く紹介した。

34年、ソビエト作家同盟に日本代表として出席。小林多喜二虐殺を非難する演説をしたため爵位を剥奪。(8月28日 土方与志、第一回ソビエト作家大会で小林多喜二虐殺を訴える(9月20日爵位を剥奪)。

さら にフランスに渡り、41年帰国するとすぐ逮捕され、 5年の刑を受けた。

敗戦後、釈放されて新劇運動を再開。多くの後輩を育てた。小山内薫を新劇の父とすれば、土方は長兄と呼んでいい。

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