「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

蔵原惟人研究

2014-11-01 15:38:35 | 多喜二と同時代を生きた人々
1 芥川龍之介の文芸の〈内容と形式〉論―「文芸一般論」と「早春」を中心に(韓文) // LeeMin-Hee // 日本学研究
2 〈中絶〉される論争―「愛情の問題」をめぐる林房雄と宮本百合子 // 池田啓悟 // 立命館文学
3 特集 プロレタリア文学とプレカリアート文学のあいだ 運動と理論 // 野崎六助 // 解釈と鑑賞
4 魯迅と蔵原惟人 // 陳朝輝 // 東方学
5 特集 再読プロレタリア文学 魯迅が見た日本プロレタリア文学 // 陳朝輝 // 国文学
6 特集 再読プロレタリア文学 「「政治」と「文学」」を転位(dislocate)する―「芸術的価値論争」の軌跡に見出すもの // 島村輝 // 国文学
7 プロレタリア演劇がみた歌舞伎―その形式の受容を中心に // 正木喜勝 // 演劇学論集
8 古丁における翻訳―その思想的変遷をさぐる // 梅定娥 // 日本研究(国際日本文化研究センター)
9 青春の光芒―異才・高橋貞樹の生涯11 第三章 新しい出会いの時代(その二) // 沖浦和光 // ちくま
10 蔵原惟人のプロレタリア・リアリズムへの道(英文) // マッツ・カールソン // ジャパンレビュー
11 見出された「読者」―昭和初頭の横光利一をめぐって // 掛野剛史 // 都大論究
12 「文芸上の科学的合理主義」としての形式主義文学論―中河与一の〈文学〉と〈科学〉 // 上牧瀬香 // 『文学 物語・消費・大衆』
13 再考・「政治」と「文学」―プロレタリア文学における「芸術的価値」 // 島村輝 // 国語と国文学
14 特集・昭和初年代をよむ プロレタリア文学運動とソヴェットロシア文学理論―中野重治・蔵原惟人・岡沢秀虎に見る一断面 // 竹内栄美子 // 文学
15 蔵原惟人とブローク―大正時代におけるロシア象徴主義受容の一側面 // 杉浦晋 // 明治から大正へ
16 或る朝鮮との出会い(4)―民芸運動の時代 // 伊藤徹 // 京都教育大学紀要(人文・社会)
17 戦後批評と無頼派―「週刊文化タイムズ」を中心に // 島田昭男 // 無頼の文学
18 プロレタリア文学の解体 // 林淑美 // 時代別日本文学史事典現代編
19 漁書余録(50)―プロレタリア演劇の凋落(12) // 松本克平 // 日本古書通信
20 「詩人」蔵原惟人の歩み―同人雑誌「リラ」「ロシヤ文学」から「文芸戦線」に至る // 杉浦晋 // 東京成徳短期大学紀要
21 芸術大衆化のゆくえ(一)―プロレタリア大衆文学、働く読者 // 西沢正樹 // 文芸と批評
22 蔵原惟人論―芸術大衆化論争の前史に関する一考察 // 杉浦晋 // 稿本近代文学
23 蔵原惟人とロシア文学 // 草鹿外吉 // 窓
24 雑誌探索53「リラ」創刊号―蔵原惟人・蔵原伸二郎・浅野晃ら // 紅野敏郎 // 解釈と鑑賞
25 評論の系譜 蔵原惟人(遺稿) // 吉田精一 // 解釈と鑑賞
26 研究動向蔵原惟人 // 林淑美 // 昭和文学研究
27 ソヴェト芸術論と蔵原惟人の役割 // 針生一郎 // 文学
28 文学的イデオロギーとしての前衛の視点とは何か―蔵原惟人「現代日本文学と無産階級」に即して // 佐藤嗣男 // 文学と教育
29 第三次『ロシヤ文学』と蔵原惟人 // 高橋勝之 // 窓
30 蔵原惟人の批評と実踐 // 和泉あき // 解釈と鑑賞
31 多喜二揚棄―蔵原惟人との出会い― // 工藤忠彦 // 奥文論藻
32 蔵原惟人の創作方法論―その理論の付着的増殖性― // 山下嘉男 // 近代文学試論
33 プロレタリア文学運動について // 蔵原惟人 西田勝 // 文学
34 蔵原惟人―二,三の評価のしかたについて― // 小田切進 // 国文学
35 プロレタリア芸術運動理論の動向―「芸術大衆化論争」・「芸術的価値論争」および蔵原惟人の理論構造をめぐって― // 転向文学研究会 // 日本文学誌要
36 プロレタリア文学理論の評価について―野間宏君の「二十世紀文学と民主主義文学」を読む― // 蔵原惟人 // 文学
37 プロレタリア文学運動の再検討 // 蔵原惟人 宮本顕治 小田切秀雄 野間宏 本多秋五 荒正人 佐々木基一 平野謙 司会 // 近代文学
38 私小説私観 // 蔵原惟人 // 文学
39 今日における言語の問題 // 蔵原惟人 // 文学
40 蔵原惟人の論文について // 佐々木基一 // 近代文学
41 蔵原惟人「芸術論」について―プロレタリア芸術理論の確立― // 小田切進 // 文学
42 マルスとミューズ―蔵原惟人著「芸術論」について― // 荒正人 // 近代文学
43 一句を繞る感想―蔵原惟人著「芸術論」について― // 佐々木基一 // 近代文学
44 発育期の記念―蔵原惟人著「芸術論」について― // 本多秋五 // 近代文学
45 文学と現実―蔵原惟人を囲んで― // 蔵原惟人 荒正人 佐々木基一 埴谷雄高 平野謙 本多秋五 司会 // 近代文学

大阪朝日新聞 1932.4.10(昭和7)


大衆の底まで党の精神を浸潤

 

文筆を通じて巧みな宣伝

 

再建共産党の全貌


再建共産党組織の全貌は蔵原一味の取調べによって漸次明かとなった、プロレタリア文化連盟の組織は蔵原が中心で、蔵原は四・一六に続いて五・二二事件に連坐直後ロシヤに逃亡、同年八月モスクワに開催されたコミンテルン大会に出席しその席上で議決された文化運動に対する決議に本づき日本に新運動を展開すべく昨年春帰国し当時の左翼文化団体の機関雑誌「コップ」六月号、八月号に古川荘一郎のペンネームで分散しているプロレタリア文化団体を結合せしめ強力な指導部を設けねばならぬと理論的展開を試み八月号よりかねて親交のあった中野重治、村山知義、小野宮吉、大河内信威らを語らいプロレタリア文化連盟の組織運動にとりかかり同年十一月実質的にこれを結成せしめた
 加盟団体は日本プロレタリア作家同盟、同演劇、同美術家、同映画、同音楽家、同写真家、同プロレタリア科学研究所、新興教育研究所、日本戦闘的無神論着同盟、日本プロエスペランチスト同盟、無産者産児制限同盟、プロレタリア図書館の十二□□
 で事務所を神田区美土代町四の五小川ビル内に設けて活動に入り、書記局は大河内信威、牧島五郎、小野官吉、窪川鶴次郎、大森詮夫(弁護士)、磯野復が担当△出版部は壷井繁治、山内賢吾、戸台俊一、井汲花子が受持ち十二月に非合法に中央協議会を組織した、メンバーは
 作家中野重治、壷井繁治、中条百合子、川口浩、演劇村田知義、土方与志、小野宮吉、(写真)土井茂治、貴志山治、(映画)佐々元十、岩崎昶、(音楽)福田上一、山本正夫、(美術)岡本唐貴、大月源二、(エス)牧島五郎、武藤丸楠、(ブロ科)小川信一、寺島一夫、(産労)風早八十二、(無神)石川湧、佐野袈裟美、永田広志(教育)野田荘吉、新鳥繋、(産児)山本琴子、中根孝助
 でこのうち中野、壷井、村山、小野、小川、寺島、窪川らは検挙されており目下取調べ中であるが共産党員および党のフラクションと見られ、文化連盟はこれらの人物に牛耳られていたもので、福田上一は故福田徳三博士の息、牧島五郎は往年赤化防止団長に射殺された高尾平兵衛の実弟である
 なお文化連盟は中央協議会の下に青年協議会(牧島五郎ら)、農民協議会(黒島伝治ら)婦人協議会(中条百合子ら)、少年協議会(猪野省三ら)などの各専門部協議会を持ち、プロレタリア文化、大衆の友、働く婦人、小さい同志、われらのグラフなどを大衆的宣伝の機関雑誌として発行し更に文学、演劇、映画などの各新聞をもって各サークルを結成せしめ共産党を大衆の底まで浸潤せしめたもので
まだ党は三・一五、四・一六の党の如く強固に組織されなかったが、文化運動の組織網を通じて党結成の猛運動を行っていた、なおプロレタリ文化連盟(コップ)の運動は第三インターナショナルと同様国際的な共産文化運動で、名誉協議員としてはロシヤからゴルキー、クルプスカヤ、ププノフ、ヤロスラウスキー、ドイツからシュンツェンベルグ(ウイットフォーゲル)、イギリスからマイケル・ゴールド、フランスからバルピュス、支那から魯迅、日本から片山潜が推されている(東京電話)

モツブルも検挙 インテリや女性が多い

警視庁特高課では東京日本橋区旅篭町堀越商店員磯貝照(二十七年)ほか数名を数日前から検挙し取調中であるが、同人らは赤色救援会の東京地方中部地区責任者で工場、学校、銀行等の各職場をめざしてモップル運動を指導していたもので
 昨年の革命記念日には突撃隊を組織してアジ・ビラ等散布のため街頭進出を行いその後日銀、三菱、第一徴兵等から続々この一味は検挙されていたがメンバーはインテリ及び若い女性が多く活動にあたっては左翼弁護士団や保釈被告と連絡をちっていたものである(東京電話)
 殊に山田元京大教授の夫人とく子(三十二年)は一旦夫とともに検挙の憂目を見たくらい左翼運動には交渉がある、即ち同女はサウェート友の会書記局記長の肩書を持ち反宗運動の戦線に立って活躍していた、また大河内信威夫人は元帝劇の女優であり、現在河原崎長十郎一派の左翼劇団前進座のスター山岸静江(二十六年)で、時々マイクロフォンの前にも立っている、彼女は大河内の愛妻で夫が検挙されたのに心痛し警視庁特高課の中川警部へしきりに解放方を嘆願し係官をホロリとさせている、小野宮吉の愛妻は人も知る音楽家関鑑子さんである
なお富田方に身を寄せていた蔵原惟人は毎月八十円の生活費を払っていた、検挙された時は睡眠剤をのんで熟睡に入らんとしたところであった、彼女らは彼を先生々々と呼んで仕えていたようだ(東京電話)

 

中条百合子女史も重大関係で検挙

[写真(中条百合子)あり 省略]

プロ文壇の女流作家として重きをなす中条百合子女史も今回の再建共産党事件の重大な関係者として九日午後二時東京市外某署に連行留置され警視庁特高課の中川警部の厳重な取調べをうけている
 百合子さんは昭和五年サウェート・ロシヤより帰ってからナップに加盟し現にプロ作家同盟婦人部長、コップ婦人部長、「働く婦人」編輯長として重要な地歩を占めていた、サウェート・ロシヤ留学当時から同性愛とまでいわれた湯浅芳子さんとの間をこの程清算して作家同盟の理論的指導者である宮本顕治氏と輝けるローマンスをつくって結婚したことも有名である

 

女優、声楽家―赤いタイピスト 党首脳を繞る女性

共産党にはいつも若い女性がつきものだ、今度の再建共産党最高首脳部者としてプロレタリア文化連盟を牛耳っていた党中央委員長蔵原惟人(三十二年)にもうら若い女性が彼の身辺護衛者として活躍していた、その女は蔵原の隠れ家小石川区原町二の四十三号の戸主東京市土木局工手富田潔(二十六年)の妹秋田高女出身富田伊勢(二十二年)である、同女のほかに富田潔の愛人磯崎はな(二十六年)も蔵原らとともに検挙された
 はなは蔵原がプロレタリア科学講演を開催する時聴講者の一人として参加したのが縁で来往し後に富田と内縁関係を結んだ、ロシヤから帰った蔵原は
 彼女らの庇護をうけつつ昨年八月小石川区原町に富田が一戸を構えるや翌九月彼の許に身を寄せ同家をアジトとしてプロ文化連盟の結成を指導した、富田の妹伊勢との恋愛関係はこの時からはじまりここに二人の女性は准党員の立場で彼の身辺防衛とレポの役目をつとめていた
 磯崎はなは小石川湯浅女学校卒業後某タイピスト学校で教育を受けたことがあり、その関係で赤い職業婦人のリーダーとしてタイピスト部長なる肩書を持っている
このほか今回の検挙に引っかかった主要人物大河内信威(三十年)京大元助教授山田勝次郎(三十六年)小野宮吉(三十三年)らをめぐる女性は党とは直接関係なくとも左翼運動には理解を持ち

 

 

大阪朝日新聞 1932.4.9(昭和7)


再建共産党の首脳部検挙さる


 

ロシヤから帰った蔵原らの隠れ家を襲うて

田中清玄一派の更生共産党事件後再建された日本共産党は昨年五月のメーデーカンパニヤ前後運動が具体化し、爾来警視庁当局は必死となって首脳部の追跡を続け、昨年十月中央委員一名、東京地方委員三名の検挙を見たが、首脳部は功に検挙の手を逃れて地下運動を全面的に行っていたがついに元京大教授山田勝次郎夫妻の検挙が口火となり党外廓団体として旧ナップ六団体を合せ包含するプロレタリア文化連盟の幹部十四名の一斉検挙となり更に党中央部に向っての突込んだ特高当局の活動により党の最高首脳部中央委員長富田清こと蔵原惟人(三十一年)のアヂトが判明
勇躍して特高課の三警部は八日午後六時東京小石川区原町一二の隠れ家を襲い同人ほか三名を捕縛し更に同家で押収した文書から同中央委員近藤建一こと尾崎正清(三十年)同中央委員磯村三郎こと磯崎巌夫の両名の隠れ家も同区小日向台町一二八とわかり、直に同七時半同家に踏込みついに捕縛し多数重要文書を押収、大塚署その他に分割留置し厳重取調べる一方他の首脳部ならびに前線に繋がる一味を捜査中である

 

文筆戦線に手を伸ばして運動 国際共産党の支部を確立

今回の党は既往の四・一六事件直後上海を経由しシベリアを通ってモスクワに逃走した幹部蔵原惟人が、コンミンタンの重大使命を帯びて昨年春浦潮を経てひそかに帰朝し、同人が中心となり各文化団体、全協赤色救援会、反帝同盟、共産青年同盟、無新、無青の各班の最高責任者と連絡し、更に獄外被告が合流し国際共産党日本支部を確立し、第二次共産党事件と同じテーゼの下に千葉、埼玉県下などの各所で会合を重ね
 また決定方針によって昨年十一月七日の革命記念日、歳末闘争本年二月の選挙闘争へと運動を拡大展開して来たもので従来と異り概ね補助的機関ながら文筆戦線の流れに強引に党員を作り上げた点に特色があ□□□して特にさる二月の選挙闘争は主に党の直系補助機関ながら共産青年同盟を捨石的に動員し、党の本城へは容易に手の触れないように巧妙に策していたが、却ってこれがため同盟は中央執行委員長以下幹部十七名も検挙され全く潰滅の状態となった
これがため党はこの陣営立直しにあせり出したことがこの検挙を早めることとなったものである(東京電話)

 

文化連盟統一の生みの親蔵原惟人 普選の先駆者蔵原氏長男

[写真(蔵原惟人)あり 省略]

蔵原惟人は普選の先駆者元代議士蔵原惟郭氏の長男で大正十二年外国語学校露文科を卒業、革命後のロシヤへ大正十四年二月出発、昭和二年帰朝してからはもっぱら戦旗社並にプロ科学研究所に立篭り、多数の評論をものし中堅闘志として活動中四・一六事件に連坐し事件直後巧みに再びロシヤに逃走し、文化研究を重ね昨年春帰朝、直ちに現在のプロレタリア文化連盟十三団体を統一した生みの親の役目を演じたもので大河内信威、山田勝次郎などとも非常に親交がある

尾崎正清は熊本県生れで関西大学を中途退学、例の大正十五年の京大事件に連坐し入獄、出獄後は郷里熊本県に合同労働組合を組織し活躍中更に左翼に走り上京無産社新聞を編輯、四・一六事件並に更生共産党事件に連坐したがこれも巧みに逃走、全農にもぐり都落ちして農民組合左翼指導者として活躍中、蔵原と連絡がつき中央委員となったものである

磯崎巌夫は東大文科を中途退学共産青年同盟から上ったものでこれも更生共産党事件に党員として活躍したが、早くも逃走し以来当局で躍起となって捜査中のものであった(東京電話)


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