「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

漱石と石鼓文

2020-01-13 14:26:19 | つぶやきサブロー

大正3年(1914)9月20日、47歳の漱石は岩波書店から『心』の単行本を上梓した。

東西の朝日新聞紙上に4月20日から110 回にわたって連載した小説を1冊にまとめたものであった。

本の表紙や扉などのデザインも、漱石が自ら手がけた。そのことは、単行本の序文にも書かれていた。

 

《装幀の事は今迄専門家にばかり依頼していたのだが、今度はふとした動機から自分で遣(や)って見る気になって、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉(ことごと)く自分で考案して自分で描いた》

 

とりわけ表紙はユニークだった。

中国・周時代の石鼓文の拓本を地紋にして、そこに和装本の題箋のように康熙辞典の「心」(『荀子』)の項を貼り付けたようなデザインとしたのである。

石鼓文の拓本は、熊本五高時代の教え子で外交官として中国へ赴任している橋口貢が送ってくれたもので、漱石は貢にこんな礼状を送っている。

 

《御恵贈の拓本は頗る珍しく拝見しました。あれは古いのではないでしょうが面白い字で愉快です》(大正3年8月9日付)

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿