山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

5000年後の天体ショーだった

2022-11-09 22:11:22 | できごと・事件

 昨日は久しぶりの皆既月食だった。しかも、太陽→地球→月→惑星がそろうのは442年ぶりだという。さらに、その惑星が天王星となると、なんと5000年ぶりの皆既月食だという。こりゃー、見ておこうとデジカメ片手で夜空を見上げる。19時少し前にはすでに部分月食が始まっていた。

           

 19時過ぎになると、赤銅色が濃くなりまもなく完全な月食となっていく。手が震えてピントがあわないのが難点だ。それにしてもこの赤銅色の不気味さは迫力がある。中世では忌(イ)むべき対象としてその光に当たらないよう隠れたらしい。

          

 西行は、「忌むと言ひて 影に当たらぬ 今宵しも 破(ワ)れて月見る 名や立ちぬらん」と『山家集』でつぶやいている。<世間のひとは月食を不吉なこととして光に当たらぬようにしているが、私はむしろ余計に見たいと思わずにはおれない。それで、奇人変人の評判がたってしまうかもしれないが。>と好奇心を露わにしている。

     

 19時12分ごろ、なんとか、月食をカメラに収めることができた。残念ながら、天王星は望遠鏡ではないので確認できず。月をどう見るかは、西洋と日本は大きく違うようだ。西洋の満月といえば、「狼男」に変身するのが有名なように満月はマイナーなイメージがある。

             

 それに対し日本では、満月は縄文時代以降から豊穣と畏敬の対象だった。銀閣寺は4時間以上をかけて茶事や歌会を開催する。桂離宮は月を見るための建物・装置として建造した。自然と人間との喜怒哀楽をこめながらもその無常観をも「観照」するものだった。

            

 21時半ごろからは赤銅色がなくなり、いつもの三日月となった。月面飛行・月面着陸は人類の夢というが、科学調査だけにしてもらいたい。人類のあさましいいがみ合いは月面でも戦われることは必至だ。だから、マスコミは無批判に宇宙飛行士を讃えるのがとても疑問だ。

 中世の貴族が月を愛でたように自然豊かな庭や森から眺めるのがふさわしい。現代人はその意味では退化してきているのではないか。そうしたことを考えると、日本の自然に対する畏敬というもの、アニミズムというものの再評価をもっと世界に発信すべきではないかと思えてならない。

 

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