山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ほんとうの日本はヤマトに征服させられた?

2015-07-26 18:45:53 | 読書
 歴史は権力を入手した勝ち組の歴史でもある。
 勝ち組の資料は保存されているが、負け組の資料は極めて少ない。
 三内丸山遺跡があった東北は、原初日本があったのではないかと思う。
 古代の歴史は東北侵攻の歴史とも言える。
                                   
 逆説的に言えば、征夷大将軍を筆頭とする数千・数万の兵士を数世紀かけて送っても征圧できなかったほど、東北は抵抗の歴史でもあったとも言える。
 このたび、歌舞伎と劇団「新感線」とのコラボにより、蝦夷の英雄「アテルイ」が上演され、あすが千秋楽となる。
 アテルイのような英雄は、朝廷に叛旗を翻したウクハウ、アザマロなどの指導的蝦夷の遺産がある。

                           
 蝦夷にとどめをさした坂上田村麻呂が「ねぶた祭り」の張りぼてに出てくる。
 東北の敵である田村麻呂をどうして祀るのか、しばらく疑問だった。
 それがこの「アルテイ」の上演と伊藤仁『蝦夷の幡風』(筑波書房、1995年6月)の読書とでだんだんわかってきた。
 作者は農作業しながら書き下ろした小説というが、漢文の知識がなくては読めないような語彙に困惑する。
 しかし、埋もれていた歴史資料に光を与えるのだという情熱は伝わってくる。

         
 
 アテルイと田村麻呂との信頼関係は和平や地域振興につながり、田村麻呂はアテルイの助命を朝廷に願い出ている。
 そんな背景がねぶた祭りの張りぼてに反映されているのではないかと思った。
 結果的には、蝦夷を人間と思わないような都人の人種差別によってアテルイらは斬首されてしまう。

                                  
 帰順しない「まつろわぬ」民の誇り高い歴史が東北魂にある。
 いっぽう、朝廷は長屋王・橘奈良麻呂・藤原仲麻呂らの内乱などの権力闘争に明け暮れ、道鏡のような怪僧が実権をにぎるなど、民衆のことなど眼中にない。
 
 あらためて思う。
 当時の政治状況は本質的には現代もいまだに続いている構図ではないか、と思ってしまう。
 自然とともに生きてきた縄文人の末裔は、大陸の影響を受けた官僚によって殺戮と封殺を受けてしまう。
 日本の豊かな感性はヤマトによって封印され、その権力関係はいまだ変わらない。

 自立した「まつろわぬ」精神をいかに取り返すかが現代日本の課題でもある。
 先日亡くなった評論家・鶴見俊輔が残した言葉、人間にとって大切なことは「忘れないこと」という意味が心を突き刺す。
(画像は松竹パンフより)
 
 
 
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