山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

円朝の人情噺を圓楽が…

2024-01-19 22:38:42 | アート・文化

 五代目圓楽の真骨頂ともいうべき「江戸桜心灯火/助六伝」に感銘して、引き続き、今度は落語界や歌舞伎でも多くの芸人が演じている「文七元結(モットイ)」をCDで聴く。三遊亭圓朝が、幕末から明治にかけて薩長の侍が跋扈している姿に抗して江戸っ子気質を見せるために創作したと言われる人情噺の名作。それを生家の寺院の石碑や過去帳を踏まえて圓楽が新たに発展させていく。

 賭博のため困窮していた左官・長兵衛が、大金を失くした責任をとって身投げしようとしていた文七を助ける。そのうえ、身売りして親の借金を工面しようとした長兵衛の娘の資金によって文七の過失を解決していく。

     

 文七が身投げしようとしたのは隅田川の「吾妻橋」。投身の場所としてしばしば落語でも登場する「名所」らしい。文七は店の主人から預かっていた50両を失くしたが、長兵衛は命には代えられないとせっかく入手した50両を文七に与えてしまう。

  「五代目圓生」は「この噺を演ると目が疲れていけない。ぐったりする。」と言っていたという。身投げする文七を助けようとするときの長兵衛の断腸の葛藤を表現する際、すべてを目に凝縮したからなんだと、弟子だった圓楽はその名演技を述懐する。

      

 ゼニのために生きてきた文七の主人・べっ甲問屋の宇兵衛がその長兵衛のきっぷのよさにハッとしたところに圓楽の着眼がある。その宇兵衛が文七と長兵衛の娘・お久とを夫婦にしていくというハッピーエンドで締めくくる。

 歌舞伎では五代目尾上菊五郎が長兵衛を明治35年(1902年)初演して以来、戦後の17代目中村勘三郎(1909-1988)の十八番ともなっていくなど名演者の話題には事欠かない。(画像は,山田洋次演出脚本、中村獅童・寺島忍ら主演のシネマ歌舞伎。AmebaNewsから)

    

 噺の途中でその婚礼にかかわる言葉でわからなかったのは、「切手」だった。要するに、それはお酒の商品券というのが分かった。また、「角樽(ツノダル)」もなかなか目にしない祝宴用の酒樽だ。さらには、「猫の小腸(シャクシロ)みたいな帯」という表現も、よれよれのくたびれた帯という意味であることも調べてやっとわかった。古典落語ではそうした現代ではなかなか耳にしない言葉がひょいと出てくるのが曲者だ。(画像は、落語散歩web及び酒問屋升本総本店blogから)

  

「元結」とは、髪を束ねる際に使うこよりの紐。文七夫婦はその後小間物屋を店で開いてめでたく活躍したという。(画像はTenki.jpから)

 落語家でこの「文七元結」を演じているのは、志ん生・志ん朝・林家正蔵・桂三木助・立川談志・柳家小三治・金原亭馬生ら錚々たる師匠が連なる。圓楽は、「闇の夜も吉原ばかり月夜かな」という芭蕉の一番弟子・宝井其角の俳句を引用して博学さをみせるものの、ところどろに下ネタもいれて「涙でしめっぽく終わらないよう」心がけたという。

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圓楽の「助六伝」のリアル

2024-01-15 22:13:08 | アート・文化

 五代目三遊亭圓楽の古典落語をCDで聞く。演目は「江戸桜心灯火(エドザクラココロノトモシビ)/助六伝」。圓楽の実家は台東区の浄土宗・不退寺易行院、通称「助六寺」とも言われていた。その本堂脇に「助六の塚」があり、六代目市川団十郎(1778-1799)が建立している。寺には若い女郎の過去帳や無縁仏もいっぱいあったという。そんなところから噺が始まっていく。

 

 歌舞伎の「助六」というと、七代目団十郎が定めた歌舞伎十八番・「成田家のお家芸」の主要な演目の一つだ。「勧進帳」「暫」と並んで上演回数の多さは群を抜く。侠客の助六が源氏再興のための宝刀を探索していると、吉原の花魁「揚巻」に出入りしている金持ちの「意休」(平氏)が宝刀を持っていることがわかる。恋人揚巻とともに助六が危機を乗り越えその宝刀をとり返していくという単純なストーリーだ。

        

 その助六のファッションと粋が江戸っ子のあこがれだった。桜満開の中での出演者の豪華絢爛な色彩美も見どころとなっている。正徳三(1713)年、江戸で二世市川団十郎が助六に扮したのが初演とされるが、これ以前、上方では助六と遊女との心中物語として浄瑠璃などでも上演されていた。(錦絵画像は国立国会図書館デジタルコレクションから)

 圓楽は実家の助六の由来と20年来あたためていた構想とを人情噺に昇華している。吉原という舞台には華やかな表面と残酷な裏面とがあり、そこに人生の悲喜こもごもがあることを伝えたかったようだ。

    

 圓楽は「落語家」ではなく、「噺家」でありたいとする。「噺家は人生の語り部である」「人生観のないものは嫌いなんです」と自負しているからだ。したがって、圓楽の助六伝は、歌舞伎の華麗さではなく上方の事例を受けて「後追い心中もの」に仕上げている。時間にして1時間たっぷりの聞かせる噺であったのは言うまでもない。

         

 圓楽がここで引用した「川柳」を書き出してみる。読書家圓楽の話の巧さだけでなく事象への造詣の深さがここでも発揮されている。古典落語は深い。

 1 「こはいかに折れし三升の勝負だち」(三升家=市川家、六代目は22歳で病没・辞世の句)

 2 「人は客おれは間夫だと思う客」 (間夫・マブ=情夫)

 3 「母の名がおやじの腕にしなびてい」 (彫り物)

 4 「くどかれてあたりを見るは承知なり」

 5 「女郎の誠と卵の四角あればみそかに月が出る」

  

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砂漠のポツンと一軒のカフェで…

2024-01-05 22:16:26 | アート・文化

 録画で映画「バグダッドカフェ」を観る。制作国は西ドイツだが、舞台はロサンジェルスとラスべガスを結ぶ砂漠の中のハイウェイ沿いにあるモーテル・カフェだ。監督はパーシー・アドロン、1987年公開の映画。監督も出演者も有名とは言えなかったが、ミニシアターで上映されて以来80年代でロングランヒットとなる。

  

 荒涼とした砂漠のハイウェイにトラックが無機質に走り、その脇に貨物輸送の鉄道がとおる。そこに褐色の砂漠に褐色の夕日がときおり映し出される。そこに、いかにも場末の殺風景なカフェであることに意味が込められている。そのため、お客もまばらで経営もやる気のないわけあり家族がたむろする。

    

 そこに、夫婦喧嘩で別れた巨体のドイツ人妻・ジャスミンが車から出て砂漠を歩きだす。必死の思いでたどりついた先がこのカフェだった。そのカフェのブレンダは夫を追い出したばかりのストレス満載の女主人。大汗を拭く巨体のジャスミンと苛立つ黒人・ブレンダとはそれぞれタオルで顔を拭って初めて出会うのが印象的な出だしだ。

 始めは登場する人間の関係がよくわからなかったが二度観てその奥行きが分かってきた。当初の怒鳴り合うブレンダのタンカに辟易しそうだったが、それがジャスミンの登場でじわじわ変わっていく展開が見どころだ。

   

 カフェでコーヒーを飲みたいと注文しても、「コーヒーマシンは修理が必要」という言葉もこの物語を象徴する。またジャスミンが使っていたポットにコーヒーが入っていて、それでとりあえず飲めたというのも希望の伏線となる。

 小さなカフェには、ヨーロッパ人・アフリカ系アメリカ人・ネイティブアメリカンという多様な人種が登場し、そこに、まともではないような癖のある人物が事態を攪乱させる。ヒーローもイケメンも美女もいない。

   

 そうしたなかで、ジャスミンの掃除・手品などのサポートがカフェを盛り上げる。いつのまにか、お客が集まり出し、ミュージカルのようなショータイムまで上演されるようになる。始まりの荒涼とした場面が後半で笑顔と信頼のきずなが形成されていく場面へと仕組んでいくところが感動的だ。80年代のレトロさは今見ても新鮮でもあった。  

  

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「歳寒三友」がルーツだった

2023-12-27 22:18:05 | アート・文化

 先日、わが家より街中にあるMくんの家に初めてうかがった。古民家とはいえ、リニューアルしてあってきれいに使っているのが素晴らしい。和室をつないでる部屋の天井と鴨居の間に「間越欄間」があった。左右一対の欄間には、竹と松と梅との彫刻が彫られていた。

 「松」は冬でも枯れずに青々としているので「長寿」を表す。「竹」は折れにくく「生命力・成長」を表す。「梅」は老木になってもまた、春のさきがけとしての花を咲かす「気品・華やかさ」がある。

 

向かって左の欄間には、竹と梅が彫られており、右の欄間には竹と松が彫られていた。日本のあらゆる生活のなかにこの「松竹梅」が浸透している。そのルーツは中国の「歳寒三友」(サイカンサンユウ) という厳しい環境にあっても節度を守り不屈の心を持つという宋時代の文人の理想を表す。「三友」とは、「松竹梅」や「梅・竹・水仙」の植物をさしている。したがって、水墨画ではこれらの植物がしばしば登場する。

 日本には平安時代に伝わり、江戸時代には吉祥・おめでたい祝い事の象徴として独自に解釈されて今日に至る。平安時代は桜より梅の方が人気があった。

        ( 画像は「和を着る。楽しむ。はんなりのブログ」webから )

 もし、彫刻が「松と梅」だけだと、商売繁盛の意図がある。つまり、「商売」=「松梅」ということだが、さすが江戸の洒脱なセンスだけど…。

 なお、経営学では「松竹梅の法則」があるという。つまり、顧客は極端を嫌い,見栄や世間体を気にして真ん中の「竹」を選択するという法則だ。オラが選ぶとしたら「梅」だね。「松」を選んだことはめったにない。理由は言うまでもない。そんなことを連想させてくれた豪快な彫り物の欄間だった。

 

 居間からは大ガラス越しに、茶畑・学校・山並みが一望できる。この景観が気に入って入居したのは間違いない。マンションより魅力的な家屋だ。「家はくらしの宝石箱でなくてはならない」とは国立西洋美術館を設計したフランス人、ル・コルビジェの言葉。 

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そして リレーは希望を紡いだ

2023-10-16 19:11:47 | アート・文化

 前田哲監督の映画「そして バトンは渡された」を観た。主人公の優子を演じた永野芽郁(メイ)は主演女優賞(2022年、日本アカデミー賞)を得るほどの好演を見せた。血のつながりのない親の間をリレーされ、4回も名字が変わった優子の心の葛藤とそれを前向きに達観しながらゴールに至るドラマだった。(画像はmoviecollectionjpから)

       

 画像下の左が、優子を友達のように愛してくれた義理のママ梨花(石原さとみ)、その中央が実父だが海外出張で疎遠になった水戸さん(大森南朋)、その右が、金持ちだが懐深く優子と梨花をを支援してきた泉ヶ原さん(市村正親)。

 そして画像上の左が、親にいくども翻弄されバトンとなった主人公の優子(永野芽郁)、最終のパパとなった軽やかな森宮さん(田中圭)、ピアノで結ばれた優子の彼・早瀬くん(岡田健史)。(画像はpopsceneから)

 とりわけ、夫からすぐ離婚してしまう自由奔放に見える石原さとみの役割と演技がキーポイントだった。腹立たしい彼女の軽はずみな行動は病没後その意味と愛情が明かされていく。それと対照的な凡人ぽい森宮さんの安定感が優子を支えてバランスを取っている作者の意図が素晴らしい。

             

 映画は涙が出そうになった感動的な終わり方だった。さっそく、原作・瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』(文芸春秋、2020.9)を取り寄せて読む。小説は学園生活が大半だったのが映画と違うが、映画ではしっかり趣旨を効果的に映像化されていた。

 小説では冒頭に「困った。全然不幸ではないのだ。」で始まったが、その意味が全編に貫くのがわかった。心折れそうになっても周りの親たちの愛情をしっかり受け継ぎ、「笑っていればラッキーは転がり込んでくる」との梨花の言葉を大切にして壁を乗り越えてきた優子の姿勢が小気味いい。

  そして、著者はエピローグに「本当に幸せなのは、誰かと共に喜びを紡いでいる時じゃない。自分の知らない大きな未来へとバトンを渡す時だ。あの日決めた覚悟が、ここへ連れてきてくれた。」と結んだ。軽いタッチの描写展開だったがなかなかどうして洞察が深い。   

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端麗な息子か、はたまた放蕩息子か??

2023-09-27 18:32:42 | アート・文化

 街に出かけるには車で1時間以上かけないと到達できない。そのため、その時間を最近は車中で古典落語を聞くのが楽しみとなった。それぞれの落語家の語り口に個性があり、高齢の名人の言葉は聞き取れないことも少なくない。そのうえ、わかりにくい江戸言葉が出てきたり、人形浄瑠璃や歌舞伎を題材とした落語も少なくない。そんなとき、四代目三遊亭圓馬(1899~1984)の「菅原息子」という落語を聞いたが、勉強不足もあってまったく意味不明だった。

          (画像は落語ばなしHPより)

 題材は、浄瑠璃や歌舞伎の「菅原伝授手習鑑(テナライカガミ)」であることが分かった。「菅原」とは菅原道真(歌舞伎では菅丞相)のことで、その書道を弟子である「武部源蔵」がその極意を受け継ぎ、寺子屋で教授しているという有名なシーン(段)だ。平安時代の事件を江戸に置き換えているのがミソだ。

 源蔵が丞相(ジョウソウ)の息子を匿っていることが敵に露見し、その首を討って差し出せと責められる。苦渋の挙句、源蔵(上の画像)は敵の家来・首実検役の「松王丸」に首を差し出す。

           (画像は落語ばなしHPより)

 じつはその首は松王丸の子どもだった。丞相に恩義のあった松王丸はそれを知っていながら、「たしかに間違いない」と苦衷の判定をせざるをえないところが有名な見どころだ。そんな芝居を観てきた落語の放蕩息子は、それからずっと歌舞伎調の言い回しの「源蔵」になってしまって、家に帰る。細かい台詞の意味するところのパロディにはとてもついていけななかったが、最後のオチだけはやっとわかった。悲劇を喜劇のパロディにしてしまう大胆不敵の落語だ。

       (画像は衛星劇場webより)

 端麗な息子の首を看取ってから、松王丸が妻の千代にかけた哀切の台詞、「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい」と。これに対し、落語では芝居狂いが止まない息子を父が箒で折檻しようとすると、体をひらりとかわして親父を投げつけ、「女房喜べ、せがれが親父に、ま、勝ったわやい」とのパロディで、噺の締めくくり=「サゲ(落ち)」としている。

            (画像は国立劇場webから)  

 「菅原伝授手習鑑」は、源蔵の慟哭をはじめ松王丸夫妻の悲劇的な苦渋の場面が有名だが、それが浮世絵をはじめオラは凧絵で見ていたことを想い出した。しかし、これはオラをはじめ歌舞伎などに疎い面々にはからきし理解を得られない噺だ。古典落語はまさに「古典」というわけだ。かように、浄瑠璃や歌舞伎というものが庶民の暮らしの中心的なエンターテイメントであったことがわかる。今まで古典落語の世界には音痴だったがこれで少しは見直すこととなった。「女房喜べ、古典落語が役に立ったわやい」!!!

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親子のすれ違いに潜む悲劇を告発

2023-09-15 19:58:50 | アート・文化

 バイプレーヤーの名優である望月優子が主演に抜擢された、木下恵介監督の映画「日本の悲劇」を観る(画像は木下恵介記念館webから)。戦争未亡人であることが背景にある。そのため、シングルマザーとして二人の子どもを接客業をしながら懸命に育てる。母親は「どんな冷たい世でも子どもがいるだけで生きていける」としているが、その子どもたちは母の過剰なまでの愛情に反発して家を出ていく。

      

 このへんの事情は現在でも心当たりがある事象だ。映画では望月優子が鉄道自殺するにいたるが、追い詰められていく過程をじわじわと描いていく。 映画は1953年(昭和28年)に公開されたが、その当時のニュース画像を織り込んでいる。それは、大東亜・太平洋戦争の総括をしないままの経済復興に浮かれる「逆コース」を暴露しているその監督の手法は当時としては斬新なフラッシュバックとなっている。。朝鮮戦争による他国の被害は日本の経済発展のばねとなる。

          

 冒頭間もなく、監督の言葉を映し出している。「我々の身近におこるこの悲劇の芽生えは 今後いよいよ日本全土におひ繁ってゆくかも知れない」と、今日の日本の事件・事象を予告している。プロローグとエピローグで奏でる佐田啓二のギター「湯の町エレジー」はどうしょうもない矛盾を心に刻んでいく。

           

 1946年に同じ題名「日本の悲劇」でドキュメンタリー映画を公開した亀井文夫氏の作品がときのGHQから上映禁止処分となった。恵介はきっとその仇を取ろうとして物語化したのかもしれない。戦前の作品で軍部後援「戦ふ兵隊」(上映禁止)をオラが若いころ観たが、内容は疲れた兵隊像が多く非戦ドキュメンタリー映画だったのに感動。戦後の「生物みなトモダチ」の久しぶりのドキュメンタリー映画は、亀井の到達点だった気がする。

            

 恵介映画のキャストには、上原謙・多々良純・桂木洋子・柳永二郎・北林谷栄・淡路恵子らの懐かしい顔ぶれがあったのもうれしい。毎日映画コンクールで望月優子は女優主演賞、恵介は脚本賞を得ている。できるだけ感傷を排して事実のリアリティを描く恵介の手法は、この「日本の悲劇」から「女の園」へ、そして「二十四の瞳」へと昇華していく。

         

 こうした木下恵介監督を受け継ぎ発展させたのは、現代では是枝裕和監督ではないかと思える。彼の作品もスーパーヒーローは出てこない。誰も悪くないのに結果は悲劇的。それはオラの親父や母親の苦労と悲劇と重なる。明治生まれの父母の歩みはそのまま日本の近代史に翻弄された生涯でもあったのがわかった。

 とくに親父の晩年は病気もあったが期待していた息子たちに対する希望を失ってしまい、自殺するのではないかと毎日ハラハラしていた。刃物はできるだけ隠した記憶がある。朝起きてから親父が生きていることを確認する悲しみがオラの思春期だった。その点で、この映画とダブルところがあり、その結果、物事を眺めるしかないヘラヘラした今のオラがある。   

 

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重厚で先見性ある開鑿の作品

2023-09-08 22:23:02 | アート・文化

 木下恵介監督の「女の園」という作品が手ごたえある映画だと友人が言う。ネーミングからして様々な妄想が出てくるが、どうやらしっかりした学園闘争もののようだ。だんだん眼が悪くなってきたので老眼のメガネを新調してから、まずはそのDVDをみることにした。

             

 本作品は日本の敗戦後の1954年3月(昭和29年)に公開。校則をはじめ人権侵害はなはだしい全寮制の女子大が舞台だ。いまだに沁みついたそうした管理教育は現在も生き続けていることも忘れてはならない。学生の主なキャストは、高峰秀子・久我美子・岸恵子の三大女優の競演で、それぞれの立場から学校に異議申し立ての行動をとる。また、阪東妻三郎の長男・田村高広がデビューするとともに、望月優子・浪花千栄子・金子信雄・高峰三枝子らの豪華配役が懐かしい。

         

 舎監役の高峰三枝子の意地悪さが見事だが、学校側の保身的な体質をもあぶりだしている。それは現在もいくたびも問題にもなっているが、日大の体質が想起できる。映画では良妻賢母を旨とする学校への学生運動が起きるが、日大の学生はまるで羊の群れ状態になって久しい。だからおとなしい学生・若者はミーイズムに走るしかない。

 管理教育の「成果」が今日の社会を形成・制覇してしまったのを痛感する。芽をつぶされてしまった今日の労働運動の衰退もしかり。恥ずかしい限りだが、そういう視点から解けるような社会的事件は日々のニュースからも散見できる。

       

 その意味では、自由を求める当時の格調高い学生の精神が歌声とともに映し出される(弟の木下忠司は音楽賞を受賞)。当時の社会的背景としての朝鮮戦争・レッドパージ・再軍備・労働運動なども台詞や映像から間接的に伝わってくる。さすがに、GHQがすべてを支配していた時代だったので批判はできにくい。と同時に、学生運動の内部対立・分裂工作、さらには教条主義なども描かれ、その後の「運動」とその課題を予見する先見性がほの見える。

  

 この重厚な作品で、毎日映画コンクールやブルーリボン賞など、恵介は監督賞・脚本賞、高峰秀子は主演女優賞を獲得する。映画の結末は悲劇的内容だったが、高峰秀子の役者魂は、「カルメン故郷に帰る」の明るい演技とは違って、表現しにくい難しい役柄を確かな深さをもって魅了した。

 キネマ旬報の1954年度の日本ベストテンでは、第1位「二十四の瞳」、第2位「女の園」、第3位「七人の侍」と、黒澤明の「七人の侍」を抜いて恵介は1位・2位を独占している。現在から見てこれをどう評価するか、議論の余地がいっぱいある気がする。

              

 その意味では、1954年は恵介がもっとも油の乗り切っていた時期だったことは間違いない。まさに、木下恵介は黒澤明と人気を二分した巨匠であった。しかしそれ以降は主に映画の娯楽性・エンターテイメント性が重んじられ、英雄中心のドラマツルギーなどが圧倒していく。恵介がこだわってきた当たり前の庶民の慎ましさは後衛に甘んじる時代にもなっていく。

    

 その延長が現在のお笑い芸人の闊歩するイマとなった。その芸人のフットワークの豊かな精神性は否定するものではないが、失うものもあまりに大きい。その意味で、この「女の園」を観た結果、人間の自立・自由、真摯に生きること、心の余裕、自然への感謝、さりげない日常性などといった言の葉が、優柔不断なオラに迫ってきた。

    

 

      

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木下家の「心」は健在なり

2023-08-28 20:35:02 | アート・文化

 一昨日の26日、木下恵介記念館で開催された講演とシンポに友人と参加した。第一部は昨年12月に出版された『木下恵介とその兄弟たち』の著者であり、木下ファミリーの一員である木下忍さんの出版記念講演だ。第2部は、恵介の妹・芳子とカメラマンの楠田浩之の子である、演出家の楠田泰之さんとのシンポだった。

 学生時代の忍さんを知っているオラにとっては、目立たなくつつましい忍さんが登壇することは瞠目の事件だった。

              

 忍さんは、自分が教師になったのは恵介の「二十四の瞳」の影響であることを告白する。また、恵介やその家族が残した手紙・写真・フィルム・日記などから、恵介を中心とする木下家の優しい思いやりを確認できるし、忍さん自身も小さいころ育ったお互いを大切にする家庭環境が忘れられないという。そうした忍さんの言葉に大きくうなずく二人の若い女性が会場にいた。後でそれは忍さんの娘さんであることが分かった。

          

 第2部に登壇した楠田泰之さんは、テレビドラマの黎明期に開花した「金妻シリーズ」・「毎度おさわがせします」など、多くの脚本・演出にかかわっていた。彼も子どものころから木下家と一緒にいたことで、恵介の作品の根底に流れる人間賛歌・反戦・個性主義のまなざしを体感していったようだ。

             

 木下恵介がテレビに進出していった経過や作品の分析はまだ未解明のように思う。また、作曲家であり恵介の弟の忠司の存在とその影響力もまだまだ知られていない。

 本書表紙の右側が忍さんだが、その姿ときょう参加していた二人の娘さんの多感なフットワークのようすが、二重写しに見て取れた。これはまさに、恵介が貫いてきた家族愛・人間賛歌・つつましい庶民の生き方が「憑依」しているように思えた。木下家の心を体現している忍さんは同時に自分の家庭の中でも引き継いでいる見事さは、あらめて人間の優しさと芯の強さを描いた恵介の根源を目の前で見る思いだった。        

 

 

 

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小三治・圓楽の「芝浜」

2023-07-15 10:06:01 | アート・文化

古典落語の世界が面白くなってきた。車の運転をしながら幾度となく聴くと、わかりにくい言い回しもわかってくる。江戸庶民を主人公にした心意気が暖かく伝わってくる。

 十代目の柳家小三治(1939.12生~2021.10没)は人間国宝(重要無形文化財、2014年)にもなった逸材だ。本題に入る前の「まくら」の絶妙な話術には定評がある。今回のCDには残念ながら早めに本題に入ってしまって受け取れなかった。派手さはないが寄席では立ち見ができるほどの名人だ。

             (以下のイラストは、stock adobe.comから) 

  この録音は、1988年10月に行われた独演会のもの。脂がのってきた48歳のときの独演会で、完成度が高い人情噺となっている。拾った金は52両。肩の力を抜いたさりげない語りに、すでに哲学者らしい風格が漂ってくる。孤高の存在と言われた小三治は「落語って面白くて楽しいんだけどね、哀しいんですよ。が、それを楽しく、力強く、くだらなく、生きていくっていう、その凄さ」にこだわる師匠でもある。

           

 一方、五代目三遊亭圓楽(1933.1生~2009.10没)の語りは、アナウンサーにしてもいいほどに歯切れがいい。勝五郎が拾った金は42両。スタートからすぐ夢に始まる出だしは斬新、その意外性がまさに名人級。また、酒の風呂で溺れたいという勝五郎の発想もスケールがでかい。昭和41年(1966年)に開始された「笑点」の第1期生でもある。名人五人の「芝浜」を聴いたが、個人的には五代目圓楽のさわやかな語りがオラには一番フィットした。ちなみに、六代目圓楽は元楽太郎だが彼も冥途への旅に出てしまった。

           

 「釜の蓋が開かない」ほどの貧乏暮らし。大晦日に飲んだ「福茶」は健康長寿・無病息災。研いだ包丁が錆びないようそば殻に入れておく等々、古典落語から初めて知った江戸庶民の暮らしぶりは、きわめて心意気が高い。マイノリティーを取り込む寛容さ、殿様をコケにする反骨精神、洒脱な文化を愛する粋なふるまい、貧乏暮らしにも忘れない心の余裕等、今日のマスコミを跋扈しているお笑い芸人の底の浅さを穿って止まない。それだけに、絶滅危惧種の古典落語が世界文化遺産になることを強く推奨したいものだ。

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