高屋敷の十字路
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
萌える緑を持て余し気味な五月連休
花が終わったあとの深呼吸みたいに
在宅介護の日々の名残の影が揺れて。
デイサービスが利用できない連休や
年末年始の過ごしかたも身につかず
老後の生きざまを学び忘れてしまい。
乳幼児期に世話をしてもらったお返し
などと言い聞かせたりした気休めにも
数時間毎に中断された生活時間の紙魚。
無理矢理でも身体を動かし続けようと
三日に一度は寝込んだり祖父はお袋の
介護の手間もほどほどに自然死に向い。
満期だろうが前倒しだろうが仕事から
解き放たれた放課後の解放感を生きる
なんて事のなかった同僚や知人の後姿。
暮らし向きの様々な位置づけに抗って
どのようなパスの受け渡しができるか
人それぞれの老いの自然に流されがち。
十字路で立ち話し(あるいはワッツニュー)
から
萌える緑を持て余し気味な五月連休
花が終わったあとの深呼吸みたいに
在宅介護の日々の名残の影が揺れて。
デイサービスが利用できない連休や
年末年始の過ごしかたも身につかず
老後の生きざまを学び忘れてしまい。
乳幼児期に世話をしてもらったお返し
などと言い聞かせたりした気休めにも
数時間毎に中断された生活時間の紙魚。
無理矢理でも身体を動かし続けようと
三日に一度は寝込んだり祖父はお袋の
介護の手間もほどほどに自然死に向い。
満期だろうが前倒しだろうが仕事から
解き放たれた放課後の解放感を生きる
なんて事のなかった同僚や知人の後姿。
暮らし向きの様々な位置づけに抗って
どのようなパスの受け渡しができるか
人それぞれの老いの自然に流されがち。