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鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

竜水地域を取り囲むようなヌップ開拓支線

2020年11月22日 | Weblog

深川市道路網図によると、ヌップ開拓支線は永井山への道からぐるっと竜水地区の外周を一回りする道である。

図は竜水地区の市道の再掲

支線というからには、本線(ヌップ開拓1号線、2号線、3号線)の付け足しというイメージに思えるが、道路名がつけられた当初はともかく今はこのヌップ開拓支線が竜水地域のメイン道路のように思える。車が通れるしっかりした道であり、道路の長さも他の市道より長い。

ヌップ開拓支線で囲まれた周囲には、過疎とはいえに田畑があり人も住んでいる。稲作とソバが半々くらいのようだ。

Google 航空地図で田畑が推測できる。便利なものだ。

オレンジ色で囲んだ濃緑地域が水田で、白で囲んだ地域がソバ畑で、緑で囲んだ地域が草地と思われる。

昭和30年代には、ヌップ開拓支線の山沿いに畑作と牧畜を営む数件があった。搾りたての新鮮な牛乳を飲ませてもらった思い出がある。

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ヌップ開拓2号線は小ヌップ川と大ヌップ川をつなぐ道?

2020年11月20日 | Weblog

永井山山麓で突き当りを左折すれば、そのままヌップ開拓支線を行くことになるが、右折するとヌップ開拓2号線である。

ヌップ開拓2号線と名付けられているが、鷹泊ダムの近くのヌップ開拓3号線よりは早くにできた道ということだろうか。ヌップ開拓1号線、2号線、3号線の順番が位置的に変に思えたが、開拓に入植した順だろうか。

写真突き当りが永井山方向。小屋を右折すると市道ヌップ開拓2号線。

この道沿いには、天◯さん、細◯さんがあった。付近には小川が流れていたが、小ヌップ川という本格的な名前がついている川の上流にあたるとは数年前までは知らなかった。清流で深さはせいぜい膝までくらいの浅い川であり、透きとおっていて魚が見えていた。

ヌップ開拓2号線はずっと続いていて、この道から大ヌップ川の上流に行けるようなふうに見えるが、実際は途中から道の両脇から草がせまってきており、途中で引き返した。

下図はGoogle地図を編集したもの。

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市道竜水墓地線はヌップ墓地への道

2020年11月18日 | Weblog

深川市墓地条例を検索してみると、鷹泊関係では鷹泊墓地(二号沢の奥にある)とヌップ墓地が載っている。竜水墓地という墓地はない。

市道竜水墓地線は、ヌップ墓地へ行くための道である。こんな短い市道もあるんだと思った。竜水墓地線はヌップ墓地につながっている道?竜水とヌップの区別がますますわからなくなった。 

今は墓石も少なくこぢんまりした墓地。以前は(昭和48年までだったかな)火葬場も併設されていたこともあり、たくさんの卒塔婆、親戚の墓標もあった。今は墓地内を含め、周辺には木が生えていないが、当時は低い樹々が生えていた。そこにあった柏の実をかじって食べた子供時代を思い出す。

写真下は今のヌップ墓地。山側から撮影。

写真下は、以前撮ったほぼ同じ位置からの撮影。周囲に家があった時は、ピンク色花がきれいに咲いていた。

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市道ヌップ開拓支線沿いの道端でキツネと遭遇

2020年11月16日 | Weblog

永井山の麓で、周囲を見渡していると、キタキツネを発見した。近寄っていったが、警戒感がないのか、あまり積極的に逃げないで、土管の中に身を隠した。

見た目はかわいい子供のキタキツネだが、寄生虫病のエキノコックスを持っているかもしれず、触れたりすると危険な動物である。

鷹泊にも、昔からいたのかもしれないが、子供の頃にはキツネを見たことがなかった。

調べてみると、キタキツネは道内全域に分布し、近年になって増加した野生動物の一つで、最近は人慣れして都市部にもよく現れるとのこと。農作物の被害が問題視されている。沢水は危険ではあるが、今時沢水を飲むことはないと思う。

写真は道端の逃げようとしないキタキツネ

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永井山の今昔

2020年11月14日 | Weblog

永井山は、昭和30年代にはスキー場としてたくさんの子供達が利用した場所だ。鷹泊小学校が廃校になり、 スキー場の役割はその頃に終わったのではないだろうか。スキー場への入り口だった場所には樹々が生い茂り、ゲレンデだった部分は、山麓部から見た限りでは元の山林に戻ってしまっている。

山麓に来て、なにかが足りないと感じていたが、ここにあった永◯さん宅がきれいに片付けられていたことが、雰囲気変化の理由と気づいた。親戚筋なので、この付近はよく知っている場所である。戦後早々にこの地に建てられていたはずなので70年以上は経っている。2年前にはその家は確かにあったのを覚えている。時の流れの中で、変化は当たり前ではあるが、一つの時代が終わったという気持ちがいやますのを感じた。

昭和30年代は、最初は「ながやま」と呼んでいたと思うが、そのうち永井山と呼ぶようになった。ながやまの下の山と上の山という言い方をしていた。小学4年になると大手を振って上の山で滑れるようになるルールのようなものがあった。冬の雪が積もった状態で山を見たらまた違うのだろうが、今は樹木の高さが高くなったせいで上の山への道がなくなり、下の山は畑地に改良されてスキーができる傾斜地はない。

写真左は家が片付けられていた永◯さん跡。写真の右奥方向の畑地跡が、ながやまの下の山だったところにつながる。

4年前の写真(家の裏側のソバ畑越しに撮影)も載せた。

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ヌップの次は竜水方面へ行ってみよう。

2020年11月12日 | Weblog

さて鷹泊ダム、ヌップ方面から鷹泊橋まで戻った。

このダム方向への分岐点近くに表札も残っている家があるが、ずっと前から無人になっている。知人の家だったゆえ往時が思い出され、寂しさを感じる。

写真は分岐点で、ダム方向をふりかえって。

下図は竜水の市道

写真上は鷹泊橋から永井山へ向かう道で、ヌップ開拓支線との市道名がある。ヌップ開拓支線はC字形というか、コの字を裏返したような形でぐるっと竜水とヌップ地域を取り囲んでいる。

竜水会館があった場所(今は空き地)を通過して、まっすぐ進む。昭和30年代には永井山へスキーをしに何回も通った道である。

写真撮影をしているこの場所のすぐ右手の畑地に、今年7月27日クマが出たとの情報を入手した。昔は考えられなかったが、困ったものだ。

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「三等三角点 奴布」はヌップの目印地点なのかもしれない

2020年11月10日 | Weblog

国土地理院Webサイトを見ていて「三等三角点 奴布」が目に入った。

Google 航空地図では、下図の◯印のあたりだと思う。

一般的に三角点は、山頂とかの測量しやすい目立つ位置に設置される。   ヌップ川岸2号線分岐部から300mほどダム寄りの地点なので、下の写真での坂道を上った送電線の鉄塔があるあたりだと思われる。(三角点を示す標識があるのかもしれないが、坂道を上って確認には行かなかった。)まさにこのあたりがヌップの中心部ということかもしれない。

鷹泊関連では、「三等三角点奴布」の他に「四等三角点鷹泊岩」「四等三角点鷹泊」「四等三角点南鷹泊」「四等三角点旭団地」などがある。

その地方に住んでいない測量技師の方が三角点名をつけるのであるから、その苦労は大変と推し量られる。

しかし浅羽山の頂上に、「三等三角点南浅羽山」があるように、いまひとつしっくりこない三角点名もある。以下は勝手な感想その他。

図は鷹泊地区の三等三角点と四等三角点。地理院地図(電子国土Web)

三等三角点鷹泊:標高653.6mの峰の頂きなので、鷹泊山とかの山の名前が適切と思う。

四等三角点近布乙:アイヌ語の鷹泊を表すチカプオツから来た名前。チカプオツ川は二号沢のよう。

四等三角点深幌:標高444.2mの峰の頂き。深川と幌加内の境界ということかな。

四等三角点南鷹泊:三等三角点鷹泊の南の標高309.0mの峰の頂き。

四等三角点旭団地:旭団体が入植していた地域のはずだが、団地という表現にはやや違和感がある。

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ヌップという地名と鷹泊の三等三角点について

2020年11月08日 | Weblog

アイヌ語地名の研究4  山田秀三著作集によると、「鷹泊市街地から北の辺では、雨竜川の西岸に、この辺では目立つ広い大地がある。アイヌ語のヌプNup(野原)の名が伝えられてそのまま残ってしまったのだろうか。」とある。

国土地理院の閲覧サービスを利用して、鷹泊の三角点図を見たところ、ヌップはカタカナではなく「奴布」と表記している。

図は国土地理院の閲覧サービスによる鷹泊の三等三角点。

先月、浅羽山の記述のところでも書いたが、三角点名は地形測定に携わった技師が三角点の名前をつけるとのこと。

ヌップはアイヌ語由来なので、カタカナ表記でいいと思うが、三角点名はカタカナを使わないきまりがあるようだ。という読みの漢字は7個(野,埜,淳,奴,怒,孥,耨 )登録されているので、そのう中から奴を選択したと思われる。

しかし「奴布」という表記は今まで知らなかったし、ヌップのことを漢字で書く人はいないと思われる。

話がそれるが、図の右に三等三角点「鷹泊」が表されている。どうして標高634mの最高点であり、三等三角点「鷹泊山」でないのか疑問に思ったが、ほかにも疑問を持つ方はいるようです。

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ヌップと竜水の境界はどこなのか。

2020年11月06日 | Weblog

ヌップと竜水との区分けはどこなのだろうか。以前も考えたが結論が得られなかった。大ヌップ川あたりが境界でないかと思うと過去のブログに書いたがが、ヌップ川岸1号線あたりが境界かもしれないとも思えてきた。でもその区分だと竜水に該当するはずの永井山のふもとにある墓地はヌップ墓地といわれているし、判断が難しい。

人家が点在するだけの今の現状からは、どこが境界であるかはどうでもいい問題ではあるが、長年にわたる個人的な疑問は続いている。

昭和30年代のことを振り返ってみると、運動会の時の部落対抗リレーでは、竜水チームとヌップチームは別々であったし、夏休みに入る前日に、小学1年から中学3年まで学年に関係なく同じ地域の者ごとに決められた教室に集まる時間(班会議といっていたかな)があり、竜水の児童生徒とヌップの児童生徒は違った教室に集合したはずである。(その場で、夏休み中のその地域での花火大会とかの行事を話し合った。)

あの当時は、何となく竜水とヌップは違うくらいにしか感じていなかった。

昭和36年のデータで竜水は世帯数46戸、人口231人であり、ヌップは世帯数42戸、人口205人とある。

写真は大ヌップ川から見た浅羽山。

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 ヌップから竜水へと移動。

2020年11月04日 | Weblog

ヌップと竜水の区分はいまだよくわかっていないが、大ヌップ橋、小ヌップ橋を通過して、鷹泊橋まで戻ることにした。

途中、山側にダムへの道と平行する形でヌップ高台線がある。昭和30年頃にヌップ高台線の周辺にあたるあたりの原野を親類が造田していたので何回か通ったことがある道である。

 写真上の中央部に草木が茂っているが、その奥にヌップ高台線の道がある。

米の作つけを増やそうと、鷹泊の各所で原野や畑を水田に改造していた時代であった。Google航空地図で判断すると、今は水田ではなくなってしまったよう。ソバを作つけしているのか、草地なのかは航空地図ではわからない。

ヌップ砂防線の分岐部でストップ。入り口に富岡産業砂利プラントの立て札がある。

 

大ヌップ川に沿っての道であり、砂防ダムがあるあたりまで続いているようだ。

写真はヌップ砂防線入り口。

その道の左手奥は富岡産業が使用中で、砂利が積み上げられている。大ヌップ川の上流を見たい気持ちはあったが、その先は車では行けないように思われたので遠くから見るだけにした。

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