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告別式。

2017-03-30 23:54:56 | 日常
告別式もつつがなく終わりました。

しかし僕の心はもやもやしたままです。

それは、ばあちゃんが亡くなった事、一人残されたじいちゃんが心配な事、そしてダメダメな叔父の事で一杯だからです。

本当に叔父がだめだめで、僕の家系の特性上、他人とあまりかかわらないというのがあるのですが、それでも叔父は酷い。
それは自分のことは自分でするそれでも無理なら他人に頼るというのとは違って、たぶん叔父は家族のつながりが希薄なんだと思います。

告別式と初七日も同時に行うので喪主の挨拶は計三回あるのですが、二回目の時に少し言葉を増やして好きなものを三つ言いましたが、
言っただけでばあちゃんとエピソードがあるわけではなく三回目には一行で済むのではという短さになってました。

それぞれの儀式の間も自分の家族で集まっているだけで周りの親族とかかわりを持つわけでもないし、
最後の品の手渡しも僕とじいちゃんでしました。

最初は叔父の手前でしゃばるのを控えていたのですが、初七日が終わるころには僕のなかで叔父はいないものとして色々と奔走してました。

孫の僕がでしゃばっているのを見て叔父が少しでイラっとしてくれればいいなと思っていてのですが結局そんな感じは見受けられず初七日は終わり、
さらに近い親族だけでお寺さんに行ってそのあと納骨をしにいき、実家に帰って祭壇を建てて一服をしました。

納骨が終わり実家に帰る途中にも僕の母にじいちゃんの世話をしないといけないから戻ってきたらと親族に言われていて、
やっぱりみんなも叔父にふがいなさを感じていたんだなと思いました。

頼りになると思っていたらそんな言葉が出るとは思えないので。

叔父さんがそんな感じだから奥さんも中々に周りと接点をつくらない人で、実家に帰った後女性たちでお茶の準備をするのですが、
喪主の奥さんが率先してするべきだと思うのですが動きませんでした。

本人たちの居ないところで、しかし奥さんも相変わらず動かないねという話になっていて、この後もお茶の入れに来るかしら、
あの人だから淹れるわけないわと皮肉を言われていましたが、その通りのなっていたので何とも言えません。

結局叔父は始終締まらない感じで、家で替える線香に長時間のが欲しいから買ってくるとじいちゃんが言うので僕が代わりに買ってくると申告して、
其のあとに明日役所に手続きに行かないといけないといったところでやっとじゃあいっしょに着いていくよと言いました。

叔父の仕事を率先してとりにとってやっと最後に自分から言ってきてさんざん煽ったかいがありました。

どちらにしろ僕は明日仕事でいけないのでちょうどいいです。

今まではじいちゃんたちの自主性を尊重してあまり関わってこないのかと思いましたが、
どうやら思い違いだったということが今回のことで判りました。

あの人には家族のつながりなんてものはなくて、
奥さんと子どもという無条件で向こうから接してくれる存在だけが家族なのだ。

そしてその家族も間違ったことを正すような素振りはなくむしろ抜けていると笑いにしている様子で、
普段はそれでもいいですが時と場合を計ったほうがいい。

今までは叔父が遺産を相続するのに疑問を持たずいずれ僕はこの家から出ていこうと思っていたのですが、
あの叔父の態度を見ていると自分が生まれ育ったこの家と土地と資金面でも工面していもらっているじいちゃんに対して、
なんの恩義も感じず相続してもらったら守らず売りに出しそうで怖いです。

たぶん僕たちのほうがじいちゃんやこの場所を大切に思っていて維持していくことに前向きだと思いますし、
遺産を相続したらどうしようと思っているかは気になりますが。

たぶんそれを聞くことは兄弟の決別、最悪弁護士を挟んでの問題に発展するのでそれ相応の覚悟が必要です。

あの人にもっと誠意を感じれれればこんな心配事をせずに済んだのにと思います。
わからないならわからないなりに動きでカバーすれば誠意は伝わるということを長く会社員をしているに知らないのだろうか。

もうすぐこの家を出ていく算段もたちそうところにばあちゃんが亡くなり浮き彫りになる叔父の駄目さ。

これはこの場所を離れてはいけないという啓示なのだろうか、どういうことかはなってみないとわかりませんが、
とにかく僕は次のステップに進みここを離れる条件だけは満たしておきたいと思います。