🌸南・東南アジア集団の多様性
⛳南アジア集団の成立
☆インドを中心とした南アジアは、現在では10億人以上の巨大な人口を抱える地域
☆現代人集団の遺伝的な多様性も大きい
*この地域の集団の成立が複雑なものであることを示している
☆それを反映して、この地域で話される言語も複雑
☆インドで使用されている言語は大きく4つの語族に分類できる
①ヒンディー語、インド・ヨーロツパ語族に属する言語(人口の約80%が話す)
➁ドラビダ語族の諸言語で、人口の約18%の人びとが使っている
③ヒマラヤ山麓の集団が話すシノ・チベット語族系の言語
④ビハールやベンガル湾東側に住む部族集団が話すオーストロアジア語族の言語
☆現代のインド人の核ゲノム解析の結果、インドの地域集団は
*北方のヨーロッパ人と祖先を共有するグループと
*インドにいた在来の南インド集団の混合によって形成された
*その混合の比率は、20~80%と幅があり、言語学が構成と一致している
☆インドは、過去3千年カースト制度が保持されていた
*地域間や社会階層をまたいだ婚姻が他の地域よりも制限されていたため
*地域集団による遺伝的な違いが長い間保持されていた
☆言語とゲノムの構成から、現代のインドの人たちのルーツ
*従来、北方集団は農耕をもたらした集団で
*南方集団は初期拡散でインドに定着した狩猟採集民集団だと考えられていた
☆古代ゲノム研究が進んだことで判明した
*在来の南方集団自体も、現在のアンダマン諸島集団につながる
*両者の混合が完成し、その後に北方集団との新たな混合が起こった
*3回にわたる移住の波が今日の南アジア集団の遺伝的な構成を決定した
⛳インダス文明
☆移住の「第三の波」が到達する以前4600~3900年前
*インドの北西地域に興ったのがインダス文明
*南部の狩猟採集民とイラン系初期農耕民が混合した集団
*インドを代表する古代文明を生み出した
☆インダス文明の形成に関与した初期農耕民
*イランの牧畜民や狩猟採集民の持つゲノムをあわせ持っており
*集団が分化する以前の祖先集団から派生した集団だと推察される
☆インダス文明では、北方集団の影響はなかった
☆「第三の波」をもたらした集団の正体
*彼らはヤムナヤ文化集団とは直接関係がない
*ボタイ遺跡の人びと、バイカル湖周辺の東シベリア狩猟採集民に連なる系統
*ヤムナヤ文化を生んだ西シベリアの遊牧民とは非常に古い時代に分岐した集団
*ステップの遊牧民は東西方向に徐々に変化している
*すべてが均質な集団であったわけではありません
☆南アジアに進出した集団とヤムナヤ集団のつながり
*見られなくとも不思議ではない
⛳東南アジア集団の成立
☆南アジアに到達したホモ・サピエンスはその後、東南アジアに展開する
☆化石の証拠から、5万年ほど前には、この地にホモ・サピエンスが到達していた
*東南アジアも南アジア同様、古人骨とそのDNAの保存に適した場所ではない
*基本的に現代人のゲノムデータを用いて考察が進められている
☆その中で、デニソフ人系統の人類との混血が認められる
*旧人類との複雑な交雑の状況が予想されている
☆アボリジニ人やパプアニューギニアの人・東南アジアの先住民
*ミトコンドリアDNAの系統の中に
*直接アフリカに結びつく分岐の古いものが存在する
☆東南アジアには、初期拡散で初めてこの地に到達したホモ・サピエンス
*ホモ・サピエンスが持っていたゲノムが間違いなく残っている
(敬称略)
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⛳出典、『人類の起源』
南・東南アジア集団の多様性1
(『人類の起源』記事・ネットより画像引用)
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