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日本列島集団の起源(琉球列島集団)3

2022年10月04日 | 歴史

🌸琉球列島集団

琉球列島集団の成立
 ☆琉球列島では旧石器時代の人骨が出土している

 *本土日本の縄文時代~弥生~平安時代時期の人骨の出土例少ない
 ☆琉球列島の縄文時代本土の縄文人と異なっているという指摘もある

 *ミトコンドリアDNAの系統は九州の縄文人と共通している
 *琉球列島ではこの時代、沖縄本島と先島地方では文化が異なっていた
 *先島の文化はフィリピンや台湾との共通性が指摘されている

 ☆宮古島の遺跡から出土した縄文時代相当期の人骨の持つゲノム

 *本土の縄文人と類似するもの

 ☆ゲノムデータによる縄文時代以降の琉球列島での主なヒトの移動

 *本土日本、特に九州からの流入だったと考えられる
 ☆琉球列島では遺跡の数の調査結果

 *12世紀前後から始まるグスク時代に急激に人口が増加
 *琉球列島が狩猟採集社会から農耕社会へと転換する時期

 *沖縄本島と先島が同じグスク文化圏に入る

琉球列島集団のミトコンドリアDNA
 ☆縄文時代、琉球列島でもM7aとN9bの2種類のハプログループしか出現しない

 ☆弥生時代から平安時代に相当する貝塚後期

 *本土日本に由来すると考えられるハプログループが見つかる
 *本土日本の弥生時代以降の集団構成の変化が琉球列島にも影響をおよぼした

 ☆一方、琉球列島の現代人が持つゲノム

 *本土日本のものと明確に分離することが知られている

 *沖縄の集団が本土日本とは異なる形成史を持っていた証拠だ

琉球列島集団の纏め

 ☆縄文時代以降は日本列島からの集団の移住があり

 ☆7300年前の鬼界カルデラをつくった巨大火山爆発などの影響で

 *九州との連絡が絶たれたことで、独自の集団として成立した
 ☆琉球列島の縄文人は、沖縄本島だけではなく先島にも進出した

 *台湾やフィリピンとの交流はゲノム情報からは追求できていない
 ☆貝塚時代後期(弥生~平安並行期)

 *九州との交易が始まり、本土日本の遺伝的な影響を受けるようになる

 *グスク時代の開始期に南九州の農耕民の流入し現在に至る

 ☆現代の琉球列島集団のゲノムに縄文人に由来するものが30%程度残っている

 *琉球列島に到達する集団の影響が、本土日本のそれよりも小さかった
 ☆琉球列島に本格的な農耕が入るのは、北部九州への到達から2千年近く遅れた

 ☆同じ島の中でも宮古島などでは地域で異なる遺伝的な構成

 *各々の地域における過去の急激な人口減少などが原因になっている

                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『人類の起源』

日本列島集団の起源(琉球列島集団)3

(『人類の起源』、ネットより画像引用)


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