

☆守護・地頭を設置した、本来の目的は弟の義経追討の為でした
☆一時的な措置である守護・地頭は義経の死後も続く

☆頼朝は、弟の義経が朝廷から判官に任官されたことを咎め義経追討に乗りだす


☆若くして家督を継いだため、幕府の実権は外成である北条氏に移る
☆頼朝の妻・政子執権し、政子の父・北条時政が政治をつかさどった
☆侍所・政所の執権は代々北条家が世襲して幕府の実質的な支配者となった

☆九条兼実や外祖父の死後、後鳥羽上皇は権力を自らの手に集中した
☆3代にわたり、子供と孫を天皇にして院政を実施した


☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します



☆本には、綺麗な絵画が記載されています




鎌倉幕府と朝廷との対立(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)



☆幕府を鎌倉に於くために京都での任官を辞退した



☆天皇を中心とする朝廷の方が権力は優勢でした

☆将軍は御家人の本領を安堵、または新たに本領を与える
☆御家人は幕府の軍役、番役や関東御公事(課役)に就いて奉公する











☆3代にわたり、子供と孫を天皇にして院政を実施した
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