
☆戦後の日本のあいまいさを批判
☆”右翼のシンボル”の壮絶な最期
*野村秋介氏が、朝日新聞本社役員室で短銃自殺した

☆野村氏は長年にわたって激しく朝日批判をしてきた
☆朝日新聞のあり方に対する抗議だった
☆野村氏は、朝日新聞が容共親左翼的であるとかの表面的な批判をしてきたのでない
☆戦前戦中の記事までさかのぼって、その言論機関としての無責任さに抗議をしていた

☆野村秋介氏が右翼活動に目覚めたのは
*網走刑務所に入所していた時、五・一五事件の三上卓の門人と出会ってから
☆出所すると三上の門を叩き、野村氏は傑出した行動派として知られるようになる
*国政を腐敗させる元凶として河野一郎の屋敷を襲って火をつける
*「ヤルタ。ポツダム体制」の安住者として経団連を襲撃して立て籠もる
☆野村秋介氏の純粋さ
*朝日新間に代表されるような、言論の無責任を野村氏は許せなかった

☆戦前・戦中を貫く”右翼文将”としての重み
*葦津珍彦の戦前からの一貫した冷徹な理論
*右翼陣営のよりどころとされ、存在感は「文将」という言葉にふさわしい
☆神社本庁設立に尽力

☆GHQの指令のもとに日本の神道界は厳しい状況に置かれていた
☆神社信仰は、太平洋戦争を引き起こした諸悪の根源のように見なされた
☆天皇制とともに廃止抹殺の声があがった
☆政治体制だけでなく、日本の歴史や伝統までもが否定されようとしていた
☆葦津氏は、民間にあって神社本庁の設立に尽力した
☆葦津氏の信念
*祭祀を中心とする文化のなかにこそ日本が存在するという
*日本人の精神として「鎮魂」の重要性を説いた
*志というのは、逝った友を偲び、帰幽した人を追憶する心によって保持されるとした

☆右翼の系譜につながる二大巨人といわれる人物(西郷隆盛、頭山満)
☆葦津氏が戦前に私淑していた頭山満と、頭山が敬愛していた西郷隆盛
☆葦津氏は、西郷を”絶世の英雄”と讃えた


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右翼の人物と事件7(野村秋介氏・葦津珍彦氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)
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