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春秋・戦国・諸子百家時代(2)

2021年01月08日 | 歴史
🌸春秋・戦国・諸子百家時代(2)

 ☆君主たちは、諸子百家にアドバイスを求める
 ☆自分の国を強しようとした

“王のため"の建前で争った春秋時代
 ☆周の後半の時代「東周」といわれる
 *周の都、鏑京が異民族に攻め落とされて、周は洛邑に遷都した
 ☆遷都後、500年間、中国の長い戦乱時代
 *「春秋・戦国時代」が幕を開ける
 ☆春秋時代は、諸侯たちが「本家」の周王朝を尊重していた
 *「周王朝を異民族の侵略から守る」という名目で戦争した
 *周王朝を尊重し、異民族から守ることを「尊王攘夷」という
 ☆「覇者」の中でも有力だった諸侯は「春秋五覇」

中国のトップの座を争う戦いに変化
 ☆春秋時代から戦国時代への転換点で3つの変化が起きる
 *「下克上の雰囲気」(下の者が上のものを倒す)
 *「鉄製農具の使用」の開始で、農業の生産力が大きく向上
 *「青銅貨幣の誕生」以降、貨幣は富とし蓄積される
 ☆作物・貨幣等の奪い合いが激化して行く

バトルロイヤルを勝ち上がった秦
 ☆春秋時代は、周王朝が尊重されていた
 ☆戦国時代、周王朝抜きにしたナンバーワンの争いに変化した
 ☆「戦国の七雄」といわれる有力諸侯
 *韓・魏。趙。秦・楚・斉・燕の7国が有力
 *諸国は富国強兵に努め、天下統一を目指した
 ☆秦が、「戦国の七雄」の中で最強国として躍り出た
 *秦は戦国時代のバトルロイヤルの勝者へのぼりつめる

⛳覇王たちのアドバイザー・諸子百家の登場
 ☆春秋・戦国時代には、数多くの思想家(諸子百家)が出現
. ☆統治者たちの求めた内容
 *「戦争に勝つ方法」
 *「どうすれば、自分の指示を国中にゆきわたらせられるか?」
 *「どうすれば、家臣のチームワークがよくなるか?」
 ☆諸子百家の思想家たち
 *「チームづくりのコーチング」を統治者たちに行った人々

諸子百家①「上下関係」によって国をおさめる儒家
 ☆孔子を祖とする「儒教」が、諸子百家の代表
 *「上下関係」で、国をおさめると、国は安定すると説く
 *君主は「徳」を持って政治を行い、家臣は「礼」を行動で示す
 ☆儒家は、孟子と荀子という2人の思想家生む
 *孟子は人の本質は善であるという性善説を唱えた
 *荀子は、人の心は本質的に悪であるという性悪説を唱えた

諸子百家②法を守らせることが何より大事と説いた法家
 ☆荀子の考えを推し進めると、君子が善政・悪政をしようが
 ☆社会秩序を保つには「形式(法)」が必要
 *法を守らせることこそ必要との考えになる
 ☆商鞍や韓非、李斯は、「法家」といわれる
 *法の重要性をいた
 ☆秦に仕えた法家
 *秦を法治国家にすることで発展させた

⛳諸子百家③無差別の「愛」が、重要だと考えた墨家
 ☆墨子を中心とする墨家は、儒家を批判
 ☆無差別・平等の愛を説き、上下関係重視の儒教を批判した

⛳諸子百家④自然にまかせたほうがよいと説いた道家
 ☆老子や荘子は、無為自然こそよいと考えた
 *礼や道徳など、人の手でつくられた秩序を批判
 ☆道家は、後に、様々な思想と結びつく
 *道教という民間宗教のルーツになる
                    (敬称略)
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⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『世界史の教科書』




春秋・戦国・諸子百家時代(2)
『世界史の教科書』、ネットより画像引用)

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