慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「三角貿易」「清へアヘン流入」「清仏戦争」

2023年05月03日 | 地政学
🌸「広い海」が欲しい.中国の地政学2

イギリスの「三角貿易」のポイントとその結果
 ☆三角貿易とは 
 *A国の勝手な都合でC国を介在させる貿易
 *C国はA国の言いなりになる国(植民地)となる
 ☆イギリスで生産される綿製品など
 *植民地のインドヘと輸出されイギリスの対印貿易は黒字だった
 ☆イギリスは清から茶などを輸入していたが
 *清への輸出は伸びず、対清貿易は赤字が続いていた
 *このころの貿易通貨は銀であった
 *インドから大量の銀が清へ流れていた
 ☆イギリスは、インドでアヘンを製造させ
 *アヘンを清に支払う銀の代わりに清に持ち込んだ
 *清に流入したアヘンはまたたく間に清国内に広まる
 ☆清からインドヘ、アヘンの代金として銀が渡る
 *インドがイギリスから綿製品などを買うことによって
 *イギリスに銀が渡ることになった
 ☆イギリスは、清の人々をアヘン中毒にすることで
 *清に流出していた銀を、インドを介して「回収」しようとした
 *清にとり、この三角貿易こそが最大の問題だった

アヘン輸入により、国力低下した清
 ☆清国内は次第に混乱していく
 *アヘンによって大量の銀がインドヘイギリスヘと吸い取られた
 *清の経済は大きく傾いていく
 ☆経済的に困窮すれば、社会も荒んでくる
 *清の国力は確実に低下していった
 ☆元凶であるアヘンを厳重に取り締まるべく、清も動き出した
 *大量のアヘンを廃棄し、イギリスとの一般の通商も禁止した
 ☆イギリスは、武力で中国との貿易問題に突破口を開く
 *清に侵攻し、イギリスに清は屈する
 ☆敗戦した清はイギリスと南京条約を締結
 *5港の開港(従来広州1港)や香港の割譲を余儀なくされた
 *後々まで大きな影響を及ぼしたのが、香港の割譲
 ☆香港は東南アジアヘアクセスする上で、地理的条件を備えている
 *香港はアジア全域の貿易、金融の中心地となり
 *イギリスはアジアにおける地位を確実なものにした
 *イギリスによる香港の支配は、150年以上つづく
 ☆アヘン戦争後、清は貿易量が増えたことで急速に発展する
 *一方で、アメリカやフランスとも不平等条約を結ぶ
 ☆広大な領土を統治してきた清
 *列強の新たな脅威に直面し半植民地化という憂き目を見る
 ☆アヘン戦争とは、その歴史の幕開けとなった戦争だった

清仏戦争
 ☆清ベトナムを巡ってフランスと戦い敗れる
 ☆アヘン戦争でイギリスの計にはまり、大敗を喫した清
 *一気に国力を削がれてしまった
 ☆フランスは清の属国・ベトナムヘの野心をあらわにする
 *フランスは、カルナータカ戦争でイギリスに敗れ
 *フランス領インドから撤退した
 *領土欲をインドシナに向けた
 ☆フランスは、キリスト教徒を迫害したという理由で
 *ナポレオン3世がスペイン軍とともにベトナムヘ侵攻する
 *清仏戦争の前段となるコーチシナ戦争
 ☆第二次アヘン戦争とも呼ばれるアロー戦争が勃発
 *フランスはイギリスとともに清でも戦っていた
 ☆アロー戦争の終結
 *フランスはベトナムに兵力を集中させ、べトナム南部を制圧した
 ☆フランスとスペインはベトナムにサイゴン条約を認めさせた
 *両国への賠償金の支払い
 *キリスト教の布教、通商の自由を約束させるとともに
 *ベトナム南部をフランスに割譲させた
 *フランスによるベトナム植民地化の第一歩だった
 *その後も、フランスはベトナムを完全支配した
 ☆ベトナムに対する衆宗王権を主張する清はこれを認めなかった
 *清仏戦争が勃発し、戦況は膠着状態になる
 *李氏朝鮮で起こった甲申事変をめぐり
 *日本との緊張状態が高まった清
 *フランスとの戦いを続行出来ず、講和を急ぐ
 *フランスと清との間で天津条約が結ばれ、清仏戦争は終結する
 ☆天津条約の内容
 *フランスがベトナムを保護国としたことを認めるもの
 *フランスは、その後もインドシナ地域の植民地化を進めた
 *カンボジアを含むフランス領インドシナ連邦を完成させた
 ☆ユエ条約を認めずにフランスとの戦争に踏み切った清
 *べトナムの宗主権は手にてきす、朝貢国を一つ失う
 *清の地位は、この後の日清戦争でさらに落ちる
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
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⛳出典、『新地政学』




「三角貿易」「清へアヘン流入」「清仏戦争」
『新地政学』記事より画像引用)
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大動脈瘤と大動脈解離

2023年05月03日 | 医療
🌸大動脈瘤と大動脈解離

 ☆大動脈瘤と大動脈解離は命に係わる重大な病気です
 ☆技術の進歩により大きな手術の安全性は高まりました
 ☆患者さんの身体的負担の少ない術式も広まっている

⛳大動脈瘤とは
 ☆大動脈とは
 *心臓から送り出された血液が通る太い血管
 ☆大動脈は樹木のように細かく枝分かれしながら
 *体のすみずみまで血液を運んでいる、幹に当たる動脈
 *途中でもさまざまな重要な臓器へ枝分かれしている
 ☆大動脈瘤とは
 *大動脈に「こぶ」のように病的にふくらんだ状態を指す






「こぶ」ができる原因
 ☆その理由は完全に解明されていない
 *危険因子は、動脈硬化、高血圧、喫煙、ストレス等が要因
 ☆他にも外傷や感染・炎症などによる特殊な大動脈瘤がある

大動脈瘤の症状と手術
 ☆大動脈瘤は自覚症状がないまま大きくなる場合が多い
 ☆胸部や背部の痛み、血痰や息苦しさ等の症状が現れることもある
 ☆腹部大動脈瘤は、大きくふくらむと「こぶ」が目立つようになる
 ☆腹部大動脈瘤が、他の病気で腹部の超音波検査等受けた時に
 *偶然、発見されることがほとんど
 *腹部大動脈瘤の破裂が差し迫った場合
 *腹痛や腰痛が起こることがある
 ☆破裂して緊急手術となるような事態を避け
 *適切なタイミングで手術を受ければ
 *成功率のきわめて高い治療が受けられる

⛳大動脈解離の状態
 ☆大動脈は内膜、中膜、外膜の3層に分かれている
 *中膜がなんらかの原因で裂けて
 *大動脈の壁であった部分に血液が流れ込むこと
 ☆大動脈内に二つの通り道ができる状態が大動脈解離


大動脈解離の原因
 ☆動脈硬化、高血圧、喫煙、ストレス等の要因が関係する
 ☆大動脈解離の発症が多い年齢は男女とも70代とされている
 ☆大動脈解離の発症は冬場に多く、夏場に少ない傾向がある
 ☆時間的には活動時間帯である日中が多い

大動脈解離の症状と対策
 ☆大動脈解離、何の前触れもなく、突然、胸や背中の激痛が起こる
 *起こったばかりの時は、血管が裂けているため
 *血管の壁が薄くなり、破裂しやすい状態にある
 ☆上行大動脈に解離が及ぶA型
 *1時間に1%ずつ死亡率が上昇すると言われている
 ☆救急車を呼んで医療機関を受診し、治療を受ける必要がある




大動脈解離と大動脈瘤との違い
 ☆大動脈解離を起こして直ぐの時期(急性期)
 *救急疾患として取り扱われる
 ☆急性期を脱して比較的安定した状態(慢性期)
 *解離した大動脈がもろく弱くなっている
 ☆大動脈瘤に拡大していくことも珍しくない
 *定期的に専門医を受診して経過をみてもらう必要がある


⛳ 大動脈の治療は?
 ☆大動脈瘤の破裂する危険性が高くなると
 *大動脈瘤を人工血管に置き換える手術や
 *カテーテル治療、ステントグラフト内挿術を行う
 ☆上行大動脈に解離があれば(A型)
 *緊急手術を開胸して行うことがほとんど
 ☆上行大動脈に解離が無ければ(B型)
 *血圧を下げたり、痛みを和らげたりして治療する
 ☆大動脈解離は手術や内科的な治療で急性期を脱しても
 *慢性期に大動脈瘤となった場合には
 *手術が必要になることがある


大動脈瘤と診断された場合の日常生活での注意
 ☆日常生活での高血圧、高脂血症、糖尿病、喫煙などの
 ☆危険因子を避けることが極めて重要
 ☆大動脈瘤と診断された場合
 *「こぶ」を完全に治すことは内科治療では難しい
 ☆破裂する危険性が高くなるまで大きくならないように
 *「こぶ」とうまくつきあっていくことが肝心


⛳最後に
 ☆大動脈瘤は、破裂すると即座に命に係わる状態になる
 ☆急性大動脈解離の発症を予測することはできない
 *破裂の可能性がある大きさの大動脈瘤が見つかれば
 *破裂する前に治療を受けるのが最も大切
 ☆症状がない時に「手術を受ける」と決断するのは
 *大変困難で勇気がいることです
 *手遅れにならないうちに専門医の説明をよく聞くのも必要
                    (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『国立循環器病センターHP』より
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浜離宮、築地市場、朝日新聞社屋

2023年05月03日 | 散歩
🌸築地地区散策

⛳浜離宮恩賜庭園(都立庭園)概略
 ☆東京湾から海水を取り入れ、潮の干満で景色の変化を楽しむ庭園
 ☆園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑やボタン園などがある
 ☆江戸時代に甲府藩下屋敷の庭園として造成された
 ☆徳川将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て
 ☆東京都に下賜され都立公園として開放された

浜離宮恩賜庭園歴史
 ☆家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府が開かれた
 *江戸の町の発展に備えるため埋立が始まった
 *家康、秀忠、家光の三代にわたり埋立てが行われた
 ☆現、浜離宮一帯では埋めてが行われた
 *当時この辺りは将軍家の鷹狩の場所
 *参勤交代の大大名を家康や秀忠が招いていた場所でもある
 ☆吉宗は、浜離宮を殖産の試験場と位置づけ
 *薬園、製糖所、鍛冶小屋、火術所、大砲場等を設置
 ☆幕末浜御殿内に幕府海軍の海軍所施設として石造建物が建設された
 *日本を訪問した前アメリカ大統領のグラント
 *延遼館に1か月滞在し、中島茶屋で明治天皇との謁見が行われた
 ☆浜離宮は、関東大震災と東京大空襲で被害を受けた
 ☆GHQの要求で、東京都に下賜され、都立庭園として開園した

築地市場
 ☆2018年まで83年間使用された公設の卸売市場
 *豊洲市場が開場し解体工事が始まった
 ☆東京都内に11か所ある東京都中央卸売市場の一つだった
 ☆ 築地市場は、面積約23ヘクタール
 ☆築地市場で取り扱っていた品目は水産物(取扱量は日本最大)中心
 *青果、鳥卵、漬物、各種加工品も取り扱った

朝日新聞社築地本社、国有地払い下げ
 ☆朝日新聞東京本社ビル東京都中央区築地にあるビル
 *地下4階、地上16階、唐や2階建て高さは71m
 *建築と設備の総工費は約424億円
 ☆ビルには朝日新聞東京本社他、朝日新聞社の関連会社も入居している

朝日新聞、敷地の入手経緯
 ☆元々築地の土地は国有地
 *朝日新聞社が大蔵省と土地交換
 *金銭売買により中央区築地の土地を入手した
 ☆朝日新聞が下高井戸に所有していたグラウンド「朝日農園」
 *大蔵省管轄の中央区築地面積4645㎡を土地交換
 *所有権が移転された
 *「等価交換」と推定され、購入単価を坪当たり56万円とすると
 *「朝日農園」の評価額は7億8800万円
 ☆大蔵省管轄の中央区築地面積1万35平方メートルを金銭により購入
 *売買代金は17億271万円(1坪56万円)
 ☆一説には当時朝日新聞社の社長広岡知男氏
 *時の総理大臣・田中角栄に払い下げを依頼したという
 ☆大蔵省は「朝日農園」跡地に公務員住宅を建てる予定だった
 *文化財調査の結果縄文時代の環状集落の跡
 *『塚山遺跡』の一部であることが判明
 *計画は中止されに地元杉並区に無償で貸し付けられた
 ☆朝日新聞本社の築地の土地は国有地の払い下げ
 *坪200万円の築地の国有地を坪56万円で購入している
 *89億の土地を約24億で手に入れた
 (一部交換した土地もあった「朝日農園」)
 *丸々では無いにしろ 64億も安く手に入れ朝日の築地の土地取得
 *モリ・カケどころじゃない忖度だ
                      (敬称略)
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⛳出典、『WIKIPEDIA』『YAHOO』他



日本人とアジア系外国人以外の外国人多いです
アジア系の人が多いです
築地市場の広い跡地
広大な朝日新聞敷地
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高齢者うつ、 辛い本人と見守る家族

2023年05月03日 | 医療
🌸高齢者うつは早期発見→薬で治療する

 ☆元気だったのにある日突然何もできなくなる
 ☆誰もが「二度となりたくない」と病気、うつ病


「うつ病」放っておくと命にかかわる
 ☆コロナ禍でうつ状態の人が世界的に増加した
 *若い世代や失業者等、経済的に不安定な人の間で深刻化している
  ☆高齢者の増加に伴い、高齢者うつも増えている
 ☆コロナ禍で増えているうつは、身体性または心理性うつだ
 ☆身体疾患によるうつ状態
 *内分泌疾患などからくる気分の落ち込みだ
 ☆高齢者うつ
 *精神科でもともと「うつ病」と呼んでいた病気だ
 *心理性うつと区別して「身体性うつ」と呼ぶ
 *脳の変調としかいいようがなく、自然に治ることもまずない
 *なかに自殺を図ろうとする患者もいる
 *高齢者うつは早期に発見し治療につなげることが重要だ
 *高齢者うつの特徴は、症状が急に現れることだ
 *ある時期から突然、気弱になり何もできなくなってしまう
 *1、2週間~約1か月の間にガタガタと崩れていく
 *これが典型的な高齢者うつです

80%は元通りの生活に戻れる
 ☆うつ病の原因はいまだ解明されていない
 ☆身体性うつは早いうちに治療を始めれば元通りになる
 *80%の人が元気な生活が送れるようになる
 *治療が順調に進めば3か月以内に良くなることも多い
 ☆高齢者うつの治療でいちばん重要なことは
 *早く正しい診断をつけてもらうこと
 ☆認知症等と間違われることもある
 *そうなると、適切な服薬治療が行われず
 *患者にはずっと辛い状態が続く
 ☆患者の中には、なぜか体がだるい、何もできなくなったのか
 *自分でもはっきりと訴えることができない方多い
 *周囲が、うつ病ではないかと気づいてあげてほしい

⛳うつは改善後も受診や服薬を
 ☆精神科などの専門医に診てもらうことだ
 *うつによって認知機能が低下することもあるが
 *認知症であれば、うつ病のように本人の辛い思いが続くことはない
 ☆うつが改善した高齢者は声をそろえるかのように
 *「あんなに辛い思いは二度としたくない」と言う
 *家族も「うつ病にだけは二度となってほしくない」という
 ☆一度うつ病にかかった人が再発する可能性は半々だ
 *一度再発すればその後の再々発のリスクはさらに高まる
 *高齢者うつになったら、完治ということはないと考え
 *定期的受診や服薬を欠かさないことが必要だ
                      (敬称略)
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⛳出典、『THEMIS4月号』


高齢者うつ、 辛い本人と見守る家族へ
『THEMIS4月号』記事より画像引用)
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