

☆日本神話では活躍しない神々
*日本では古い時代から精霊信仰に基づく多くの神々が祀られてきた
*日本神話を整える際、精霊信仰の神々は、イザナギの尊、イザナミの尊の子供とされた
*それらの神々が日本神話のなかで活躍する場面はない
*国生みのあとに生まれた神々の系譜は、天照大神を頂点にするための存在
*太陽神天照大御神と自然神を兄弟関係にするためにつくられた神々

☆八幡神が武神になった理由
*皇室が天照大御神を祖先神として祀る
*貴族(豪族)は、天照大神の親戚や臣下とされ、おのおのの氏神をまつった
*神信仰には時代ごとに流行がある
(古代ー大国主命、中世ー八幡、天神、熊野の信仰、江戸ー稲荷の信仰)
*八幡神は、おもに中世の武士に信仰された神で、応神天皇をまつるもの
*八幡神は、武士の棟梁である源氏の守り神で、武士全体を助ける武神とされた
☆八幡信仰が大分県宇佐八幡宮から全国に広まった経緯
*天皇が病気になったとき、宇佐の巫女が大和に出向いて病気の回復を祈った
*天皇家は、宇佐八幡官を重んじるようになった
*宇佐神が「応神天皇である」とお告げを下し、さらにつながりは強まった
*宇佐の巫女が朝廷に「奈良の大仏造りを見守りたい」との八幡神の神託を伝えた
*東大寺のそばに”八幡宮”が建てられた
*京都男山に石清水八幡宮がつくられ、皇室は京都の守護神とした
*八幡宮の神道は、奈良で仏教と融合した
*東国の武家にも八幡信仰にとり入れられた

☆天神社を学問の神様と考えられているが、中世は商工民の神だった
☆道真は、左大臣の陰謀で大宰府に左遷されその後天災があいついだ
☆各地に天満宮、天神社がある理由
*政争で敗れた者の霊が怨霊となって祟るとする考えが広まっていた
*貴族たちは、天災をしずめようと道真の祭りを行なうようになった
*各地に天満宮、天神社がつくられるようになった
☆道真が、商工民の神になった理由
*平安時代末期に、八幡信仰が流行し、武士が天神に代わって八幡神をまっる
*それ以降、天神が商工民の神とされた
☆朱子学者の天神信仰で学問の神となる
*江戸時代に、稲荷・七福神信仰などが広まり、天神と商工民とのつながりは後退
*幕府の保護を受けた朱子学で、天神信仰がさかにになる
*道真が、優れた儒教学者として尊敬されていた
*明治時代以降に、天神を学問の神とする考えが広がる

☆熊野は、あの世に繋がる地
*大和朝廷の人々は、吉野から熊野の道を神聖な他界と考えていた
*熊野の海岸は、あの世につらなる地とされた
*熊野の土地を守る神をまつるため、熊野三社がつくられた
*熊野の修験者(山伏)の布教によって各地に熊野神社がつくられた
☆稲荷の神は、渡来系豪族の秦氏の守護神
*稲荷信仰は、京都の伏見稲荷大社から広まった
*稲荷社は、農耕神をまつり、各地の渡来系の豪族によって広められた
*江戸時代に、稲荷神は流行神の一つとなり、商売繁盛の神とされた
*全国に二万社近くの稲荷社があり、もっとも数の多い神社


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日本人の心の中に生きる”八百万の神”(『神道』記事より画像引用)