東京駅
東京の表玄関のターミナル駅で、プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上に10線と地下8線の合計18線、新幹線が10線、地下鉄は2線があり、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計し、1914年竣工、2003年に国の重要文化財に指定され「関東の駅百選」認定駅でもある。
1889年に国鉄東海道本線の新橋・神戸間が全通し、私鉄の日本鉄道が上野を始発駅として青森に向けて線路を建設していため新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが決められ、1914年12月に完成し、同時に「東京駅」と命名された。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋大火災を起こし、これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から1947年(昭和22年)にかけて修復工事を行なった。
1964年(昭和39年)10月に東海道新幹線が開業し、1972年(昭和47年)に総武地下ホーム、1990年(平成2年)3月に京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、1991年(平成3年)6月に東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。
長らく先延ばしされてきた建替え計画は、1999年(平成11年)から創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われた。復原工事自体は、2007年(平成19年)5月30日に起工され、2012年(平成24年)10月1日に完成した。
東京の表玄関のターミナル駅で、プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上に10線と地下8線の合計18線、新幹線が10線、地下鉄は2線があり、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計し、1914年竣工、2003年に国の重要文化財に指定され「関東の駅百選」認定駅でもある。
1889年に国鉄東海道本線の新橋・神戸間が全通し、私鉄の日本鉄道が上野を始発駅として青森に向けて線路を建設していため新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが決められ、1914年12月に完成し、同時に「東京駅」と命名された。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋大火災を起こし、これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から1947年(昭和22年)にかけて修復工事を行なった。
1964年(昭和39年)10月に東海道新幹線が開業し、1972年(昭和47年)に総武地下ホーム、1990年(平成2年)3月に京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、1991年(平成3年)6月に東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。
長らく先延ばしされてきた建替え計画は、1999年(平成11年)から創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われた。復原工事自体は、2007年(平成19年)5月30日に起工され、2012年(平成24年)10月1日に完成した。
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