活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

旅・まち・発見 京都(下) 光悦寺と源光庵

2009-07-17 01:47:38 | 活字の海(新聞記事編)
2009年7月13日(月) 毎日新聞夕刊 7面 夕刊ワイド欄より
筆者:三角真理(毎日新聞記者)
サブタイトル:静の時 四角い心 丸くする

※ この記事の原文は、こちらで読めます


気持のいい、文章に出会った。

「普段、情報としての音ばかり聞き、
      風景としての音を聞くことが少なくなりましたね」


記者が、京都は光悦寺の境内のベンチに腰掛けていたときに。

同行している、というよりは、今回の旅のナビゲーター役を務める
ものがたり観光行動学会の高田公理(まさとし)さんが、発した
ものだ。

静かな境内。

常日頃は、音の洪水の中に包まれ、しかもその中から常に有意な
何かを求めることに慣らされてしまっている僕達にとって、
その静けさは独特の感覚をもたらすものとなる。

そして、その独特の感覚の底からは、本来其処に有る音が
くっきりと浮き上がってくるのだ。

そうした情景にあって、発せられた言葉として。
実に、きれいな表現ではないか、と思う。


そう。
僕達が、普段の生活を営む中で、知らず知らずのうちにフィルターに
かけ、心まで届かせていない音の数々。

人は、聞きたいものを聞き、見たいものを見る、という。

それは、言い得て妙である。

すべからく全ての音を、映像を受け入れられる程に、人の受容量は
大きくない。
勢い、両手で掬える範囲でのみ、見聞きするようになることは、
一種の自己防衛でも有る。

ただ。
そうやって、振り捨ててきた音や映像の中に、どれほどに貴重な
ものがあったのか。

そう思うとき。
神ならぬ身の狭量さと、それを求むる傲慢さを知ることになる。


それでも…。
そういった、否定的な感情の支配に身を任せるのではなく、
もう少し自由に物事を感じることが出来たら。

きっと、普段聞くことが出来ない音は、映像は。
人に、世界をこれまでとは一変させるような力をも持っている
かもしれないのだ。

記者は、静に満ちた境内にて、次第にそこに充ちているものが
静けさではなく、今まで自分がふるい落としてきた音達である
ことに気がつく。

それは、水の音、ウグイスの鳴き声、その他様々な、今まで
意識の端に浮かびすらしなかった音たちだ。

その音に包まれた時に、人は、静寂の意味を初めて知ることに
なるのかもしれない…。



今回のコラムでは、もう一つ。
源光庵も紹介されていた。

こちらも同じく、日常とは異なる音に溢れた静寂の世界。

面白いのは、このお寺に設けられた窓。

一つは、「悟りの窓」と言われる丸い窓。
そして。
もう一つが、「迷いの窓」と言われる四角い窓である。

○は、世界の完成と調和を意味する。
□は、断ち切られた世界=不完全さを意味する。

といったところだろうか?

写真を通してではあるが、丸い窓を見ていると。
まるで、月輪観を実践しているようだ。

その前に座り、心に出来た欠落を埋めていくか。

あるいは、敢えて四角の窓の前に座り、不完全をこそ愛でる
器量を発揮するか。

窓を持つ部屋は、そうしたどちらの思いをも受け入れるだろう。

その選択は、その人だけのものだ。
そして、その人の今を現すものでもある。

あなたなら、どうする?



(左が「悟りの窓」。右が「迷いの窓」。 ※写真はWikiより。

 なおWikiによれば、窓のすぐ脇には。
 「天井板は伏見桃山城から移築したもので、1600年に徳川家家臣
  鳥居元忠らが石田三成に破れ自刃したときの跡が残り、血天井と
  なっている。」
 とのことである。

 何とも、凄まじい情景である。)



ここまで書いて、最近こうした静寂の中に身を置いたことが
あったことを思い出した。

4月に、東寺を訪れた時のこと。
東寺の脇にある観智院。そこにある五大の庭に面した部屋で、
しばらく座って庭を見ていた僕を包んでくれたのが、そうした
静寂だった、と。

平日ということもあり、他に殆ど観光客もおらず、僕の他には
まだ若い女性が一人、やはり庭を見つめて座っていた。

どれくらい、そうしていただろうか。

ふと、梢がそよいだと思ったその時。
その女性はつと立ち上がり、軽く会釈をして去っていった。

こんな刹那の出会いも、また由。である。


ああ、また京都に行きたくなってきた。


(この稿、了)


(付記)
しかし、このコラム。
サブタイトルに笑ってしまった。
何せ、四角い心を丸くすると書いているのは三角さんなのである。
狙ったのは間違いないが、まんまとニヤリとさせられてしまった。



枯山水。
この美しさに触れる人は、幸せである。
なぜならば、その水は絶えることなく。その緑は枯れることがないから。
一種、桃源郷が、そこに在る。
枯山水 (NHK美の壺)

日本放送出版協会

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悟りといえば、つい思い出してしまうのがこの漫画。
花岡ちゃんがうたかたの泡の中に発見した悟りとは、何だったのだ
ろうなあ。

花岡ちゃんの夏休み (ハヤカワコミック文庫 (JA840))
清原 なつの
早川書房

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