kakki'sだらだら日記

エアロビクスの事、競技の事も含め日々の出来事をダラダラと書いていきます。

ありがとう

2006-12-06 21:32:37 | 家族
もうご存知の方もいらっしゃると思いますが、
12月3日、日曜の夜に私の母が倒れ、意識不明ほぼ心肺停止状態で
病院に運ばれました。親族との最後の別れをするまで人工呼吸器を付けて
いたのですが、生憎遠方に住む私は最期に立ち会う事が叶わぬまま
翌4日のお昼前に逝去いたしました。

ご弔電、ご供花、並びにお悔やみや励ましのメールなど
戴いた方々に、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

今日は少し長くなりますので、携帯の方ご了承下さいね。

身内を亡くされた方はお分かりかと思いますが、
通夜、葬儀と泣いている暇はないほど忙しいものですね。
式の段取りやら来客の対応、その他の雑事が次から次へと
出てきて目が回るほどの忙しさ。

葬儀慣れしてる人はいないと思うけど、やっぱりそういう
経験や知識はお年寄りの方が豊富ですね。

実際、母に聞かないと分からない事がたくさんあったんだけど
肝心の母がいないので、まずそこで母の存在の大きさに
気付かされました。

「分からない」「出来ない」とは言ってられない現実ですね。


このブログにも何度か書きましたが
私の父親は糖尿を患い、加えてここ2年ほどは精神的に不安定な
状態に陥った為、入退院を繰り返しましたが、自立支援法の改正で
入院もままならず、母はずっと不眠不休の介護を自宅でたった一人
続けてきました。

兄夫婦も近くに住んではいますが、父と母と二人で暮らしている以上
母の負担は想像を絶するものだったと思います。

我が家は田舎だからか昔ながらの封建主義。
私が育った我が家は祖父母に両親、6つ上の兄と5つ上の姉、そして私。
現代では大家族と言っていいと思います。

しかし祖父は私が高3の時に、姉が4年前の夏に、祖母は昨年のお正月に
亡くなりまして、残ったのは父と母と兄と私だけです。

長男である父は、それこそ大事に大事にわがまま放題に育てられ
母は父と祖父母に仕えるような存在でした。

子供心に感じた母の不憫さ、その風景は頭から離れません。

特に糖尿の影響で失明状態になり、思うようにいかない事で
自暴自棄になり、痴呆症の傾向も出て来た父の面倒を見るのは、
たまにしか帰れない私ですらキツイものでしたから、
それを毎日一人でやっていたと思うと絶句してしまいます。

倒れた日、母がうちの中にいない事に気付いた兄が探し回った所、
家の裏で倒れて冷たくなった母を見つけたそうです。

どのくらい倒れていたのか、なぜそんなところにいたのか
今となっては分かりませんが、恐らく父から、そして我が家から
逃げたい一心だったのだろうと思います。

死因は脳梗塞との事ですが、それは最終的な原因に過ぎず
これまでの事が蓄積されての結果だったのだろうと。

葬儀会場から棺に入れる母の私物を取りに帰った兄が
探して持ってきたものは、汚れた靴と粗末な服とバックだけでした。

母の物は、たったそれだけしかなかった。

63年生きてきて、たったそれだけ。
自分の事はさて置き、父や祖父母、そして私達子供に尽くし続けた人生。

そんな人生って…そう思うと兄も私も涙が止まりませんでした。

でも、違うんじゃないかと今は思います。
母には兄と私、そして孫がいた。

だから、兄と私で母を精一杯送り出してやろうと
葬儀の前に二人で誓いました。

父は母が亡くなった事を理解しているのかどうか分かりません。
ただ、夜中だろうが昼間だろうが、ずっと母の名を呼び続けています。

寂しさよりも、どちらかと言えばずっと手足のように使い続けてきた
母が呼んでも来ないので延々と呼んでる感じです。

本当に人間の業の深さを感じずにはいられません。

こうなる前の父はとても楽しい人で
「辛い事も笑いが救う」と身を持って私に教えてくれた人。
今の父も現実だけど、私達を育ててくれた父も同じ父。

その辺のジレンマが兄にも私にもあって難しいところです。

母が亡くなった事だけではなく、父の介護という現実が直ぐに
迫ってきていますが、それをいつまでも悲嘆していても
始まりませんから、母が介護に手一杯だったので、
今日は荒れ放題だった家の中を大掃除しました。

たくさん捨てました。
色んなものを捨てました。

そして年明けには私が育った、この家を取り壊し
兄家族が引き継ぎます。

余談ですが、建築家である兄曰く、
我が家の作りは陰(いん)があり、家運が悪くなる作りだそうで、
道路から玄関までが一直線なので良い運気も悪い運気も引き寄せてしまう。
そして、その家の中心に両親の部屋があるんですよ。

今の家に越してきたのは、私が物心つく頃なので、私は今の家の
記憶しかないけれども、昔の家の記憶がある兄から
今の家に越してきてからうちにはトラブルが耐えなくなったと
聞いて、ちょっと背筋が寒くなってしまいました。

私は姓名判断とかそういうのは、全く信じないタイプなのですが
「自分の家なのにトイレに行くのが怖い。」
「祖父母の部屋も陰気があって怖い。」
と兄が言うのを聞いて、私も全く同じ事をずっと感じていたので
驚きました。

そんなワケで私の家はなくなりますが、過去にこだるよりも
兄夫婦の将来、とりわけ兄の子供達の将来の為に
こだわって欲しいので取り壊しに賛成しました。

家を継ぐという事は、子供達に残すという事。
兄には奈那子、龍之介、やや子、虎之助と4人の子供がいます。

今の私には子供がいませんが、私は女なのでこの家から
出て行く存在ですし。

負の遺産ではなく、子供達が豊かにすこやかに育つような
環境にしてあげて欲しい。

今も、うちにいると最後に会った時の優しい笑顔で
母がひょっこり出てきそうで亡くなったという実感が湧きません。

でも、最後に見た母の優しい笑顔と父から教えられた
「辛い時も笑いが救う」を心の支えにして
残された私達は生きていかなきゃと思っています。

南無阿弥陀仏…この3日間何度もこの念仏を唱えましたが
南無阿弥陀仏とは「ありがとう」という意味だと
お坊さんが言ってました。

最後に母に南無阿弥陀仏