kakki'sだらだら日記

エアロビクスの事、競技の事も含め日々の出来事をダラダラと書いていきます。

帰省

2012-08-19 23:08:15 | 家族

(o^∇^o)ノどもっす

今日はセントラル天神の3レッスン代行を出させて頂いて、
実家の方に両親の供養、そして同じ人吉で開催されている大会に出たトリオさんの、
演技を見に行く事が出来ました。

なかなか、お盆に休みを頂いて帰省する事が叶わない中で、
今回は、皆様にご迷惑をお掛けする形となりましたが、両親の供養が出来て良かったです。

人吉は午前中、気持ちの良い快晴でした。

福岡とは暑さの質がやっぱり違いましたね。

高い建物はないし、緑が多くて癒されました。

供養を済ませ、午後からはトリオさんが出たWJDCを見に行きました。
実家と会場を行ったり来たりで現実感が掴めず、なんだかおかしな感じでした。

人吉でaerobicの大会があるなんて初めてで、今まで考えもしなかったけど、
会場で子供を大会に出している中学時代の同級生に会えてビックリしました。

まぁ~~~~、大会のパンフレットに載ってるワタクシの苗字が変わってないんで、
向こうは会う事は分かってたわけで、ビックリしたのはワタクシだけでしたけど。

そして、もっと驚いたのは高校時代の部活の恩師であり、
今の仕事に就く礎を作った先生にお会い出来た事。

当時はtrainingやコンディショニングについて、全く無知だったワタクシが、
半月板損傷を受けた事をきっかけに、trainingの基本や試合までのプランニングの仕方などを
分かるまでみっちり教えて頂いた先生で、それをきっかけに「もっと勉強したい」と思い、今に至っています。

先生は教員を辞められましたが、バスケットに関わる大きなプロ化プロジェクトを
進めていらっしゃる最中のようで、そのプロジェクトが叶った暁には、是非ブログでもご紹介出来たらと思います。

今回は色んな意味で帰って良かったです。

そして、トリオさんの試合ですが、こちらも練習通りでした。
会場は冷房のない施設で、しかも午後からは雨が降り出し湿度も急上昇。
汗が止まりませんでしたが、至るところに扇風機を設置して頂いていて、冷房がない割に過ごしやすかったです。

演技後のトリオさん

主催者の山本先生ご夫妻や大村詠一君、智美さん、紗織さんとも久しぶりにお会いできて、
忙しい中で、貴重なアドバイスを頂けて、こちらも収穫がありました。

今日頂いたアドバイスを元に、これから演技の構成を練り直しての後半戦。

充電も出来たし、頑張るぞ!


ルーツ確認完了

2011-08-16 12:27:08 | 家族

どもでございます。

14日、レッスンをお休みさせて頂いて無事に父を送る事が出来ました。

香典・弔電・供花などお悔やみを戴き、
また連日メールなどでもお悔やみや励ましの有り難いお言葉を
たくさん頂戴致しまして、大変感謝致しております。

またソラリアスポーツの皆様におかれましては突然の代行となりました事、
改めてお詫び申し上げます。

本日16日より通常通りレッスンをさせて頂きますので、
皆さま今後ともよろしくお願い致します。

生前の父は大変豪快でユーモアに溢れ、仕事一筋の人間でした。

実は父は私よりひどい喘息にずっと悩まされてきましたし、
加えて私の母は私が物ごころつく前から、ある依存症を罹っておりまして、
私たち家族は色々と複雑な思いを抱えた時期が長く続きました。

そんなわけで私は幸か不幸か、
親の死を幼少の頃から常に迫りくる身近な恐怖として過ごしてきました。
ある意味、今回の悲しみや辛さは子供のころに経験し尽くしていると言っても良いかも知れません。

それを不幸として見る人達も周りには結構いたのですが、
(まぁ、子供が安心して育つ環境としては適さないとは思うから当然ですけど)

そんな周りの目は意に介さず父は常に色々と冗談を言っては笑わせてくれたり、
仕事で忙しい最中でも部活のサポートも熱心にしてくれて、
挙句に私の友人と長電話で話し込むようなホントに面白い人で、

母も普段は私達の為に一生懸命に尽くしてくれていましたので、

私は自分の育った環境を有り難いと思う事はあっても、
周りが思うほど不幸と思った事はありませんでした。

良く父は「苦しい時や辛い時は笑っとけば何とかなる」と言ったものです。

私の友人には色んな父の逸話を話しているので知っていると思うのですが、
ホントに有り得ないほど深刻な状況の時も面白がるような一面がありました。

そんな父の最期、
今回も父の棺の周りに集まって、思い出の笑い話に花が咲くような雰囲気でした。
父も自分の死をくだらないジョークにして一言言いたいだろうな…ウズウズしてるだろうなと。

本来であれば、父の死に際して今しばらく喪に服す時間が必要なのですが、
我が家も含め親戚筋も皆、建築関係や農家、畜産業…つまり自営なので
盆も正月も関係なし、「働かなければ食べられない」のが常識。

その常識がよそ様に通じるかどうか分かりませんけど、
「仕事があるんで帰ります」と言っても誰もおかしな顔する人などおらず、
むしろ「いつから仕事?間に合う?」と皆に聞かれる始末。
なんに間に合うかは分からないのですが、

とりあえず誰も私の仕事が何かを正確に言える人はいないっていう。
何回も教えたのに、皆、右から左に抜けていく人ばっかりなんだもん。

ま、これが私のルーツなのでしょう。

死は決して不幸だけを残すわけではないのかも知れません。
どんな家庭であったにしろ、その家に伝わるルーツを再確認し、
親から子に伝えられた事を確実に守っていく事がご先祖様への恩返しかなと思います。

葬儀の後で兄とも言いましたが、姉を亡くした事で子を見送った経験がある両親にとって、
子に見送られるのは決して当たり前の事じゃないわけで、
兄と私が元気で、こうしてちゃんと見送る事が出来るだけでも幸せな事よ、と。

最後になりますが皆様方には大変なご心配とご迷惑をお掛けしましたが、
これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

 


おしらせ

2011-08-13 14:00:00 | 家族

どもです。

お盆でございますね。

今朝8月13日午前3時、

長らく闘病生活を送っておりました父が永眠致しました。

父は長く糖尿を患っており、2002年に私の姉をガンで、2003年に(父方の)祖母を相次いで亡くした辺りから、
ほどなくして病状が悪化し視力を失い、2006年に母が急逝してからは、
意識もほとんどないような状態になりまして、兄と私はこれまで7年間の間に、
もう何度も医師に心の準備をさせられる局面に立ってきました。

その父の容体が急変し、逝去の連絡を受けたのは朝の4時過ぎでした。

今は辛さや寂しさより、これまでの7年間の方が父もきつかったと思うので、
ゆっくり休めるんだね…、ご苦労様でした。という気持ちです。

この時期で斎場等の手配も難しく、
急遽今夕通夜、明日8月14日14時より葬儀という事になりました。


つきましては明日のソラリアスポーツのレッスンは下記の通り代行となります。
13:55~エアロマニア 冨岡IR
15:30~FUNK     浅山IR

お盆特別スケジュールのみエアロマニアは13:55~となっておりますので、
お間違えないようお願い申し上げます。

 


思い出

2010-08-20 00:36:44 | 家族
(*^-^*) どもっす

いや~~、びっくりするくらい1週間が早いこと早いこと。

お盆がこの前だったとは思えぬ勢いよ。

ホント、これ気づいた時にはアッという間に暮れになってる気がする。
そしてまた新たな?誕生日がヒタヒタと近付いてくるわけだ。


そりゃ年も取るよね~~。


そうそう、お盆にねブドウと桃をダブルでごっそり戴いたんですよ。
なんか、盗んだみたいな書き方ですけども。
ちゃんと戴いたんです。

これがもう、超フルーティですよ!



当たり前ですけどね、フルーツですから。


私、気がつくと果物を食べない傾向にあったんです。
きっと、子供のころに一生分食べたからだと思ってるんですがね。


田舎育ちですから、四季折々の食べ物が当たり前のように
食卓というか、そこいら中に転がってたわけですね。

両親は建築業を営んでおりましたが、祖父母は農家でして、
母方の家は酪農家でございます。

そんな感じで隣近所や親戚は結構な割合で専業或いは兼業農家。


今の時期なら梨とメロンは親戚の家が作ってたので、
市場に出せないようなモノは、それこそ有り得ない量で
持って来て玄関先に置いて行ったり、


庭には無造作にメロンが転がってたり。


ぶどうは祖父が庭で趣味みたいにして作ってました。
冬になるといちごを祖母が庭で(以下略)。

秋なら栗・柿(干し柿含む)ですね。
これはうちの裏にある山に作ってましたので、
も~~~、飽きるほど食べました。

だから、果物や野菜、米は買うもんじゃなく「勝手にあるもの」として
特に有難味も感じずに育ってしまったのですね。

これは一人暮らしをしてみて、
初めてカルチャーショックを覚えた事でした。

子供の頃の食べ物と言えば夏休みは、そうめんです。

昼:そうめん


おやつ:スイカ或いは梨


夜:そうめん



夜食:スイカ或いは梨




腹、たぽたぽなるわいっ!

でも、今こうして頂き物のぶどうや桃を食べると、
瞬時にして幼いころに見ていた実家の青々と広がった田畑の光景や
夏の光の強さ、盆地特有のむせかえるような湿度、
台所のひんやりとした空気に混じって漂ってくる色んな匂い。




匂いは主に





線香ですけど



今はもう実家を離れて随分経ちますし、
帰っても両親はおらず兄家族の家なので我が家のようにはいきません。

だからこそ、感じたのだろうけど大事な思い出というのは、
食べモノひとつでリアルに蘇ってくるものだなぁと、
しみじみ感じるのでございます。

そりゃ年も取るよね~~~。


というわけで…Eさん、ありがとうございました!


おしまいケル。

盆だし

2010-08-12 00:05:26 | 家族
( ´∀`)どもっす

台風、福岡はそこまでなくて酷くなかったけど、
他の所はどうだったでしょうか。

東日本の方はこれからなのかな?
お盆の混雑と台風が一緒になると困りますね。

そうだ、お盆…。

そろそろ、お盆休みに入られた方もいらっしゃるのかしら?

お正月と違って暦通りという職種の方も、結構多いですよね。
ま、それでも今回は土日が入りますから、どこも混雑するでしょうね。


ワタクシは今回、13日の金曜日だけお休みを頂きました。
あとはスクール内、多数決で15日のスクールがお休みになりました。

レッスンはあるのにスクールがないのは不思議な感じですが、
この機会に少しでもリフレッシュに努めて後半戦に備えたいなと思います。



お盆と言えば、
今日、8月11日が姉の命日でして。
姉は36歳で1ヶ月後に誕生日を迎える前に乳がんで逝ったのですが、
今生きていれば42歳です。


その当時私はまだ20代だったので、あまり実感は湧きませんでしたが、
36歳というのは、あまりに早すぎますね。
両親にしてみれば、我が子が先に逝ってしまうのは、
どれだけの痛みを感じた事か…。

その時に、残された兄と私と二人で
これからは団結して生きて行こうと話し合った事を思い出します。

確か、母を亡くした時もそんな話をした記憶が…。


さすがに何度も誓い合うだけあって

全く団結してないわけですが(笑)。


少しは力になれるように、頑張らないとね。
妹って言っても、結構な年なんだし。


さ、今日も英語ゲームに挑むぞ~~!←すでに頑張る気配なし。


帰省

2007-08-13 23:10:23 | 家族
(・Ω・)ノ お盆でやんす。

全ての方々がお休みとは限りませんが…
お盆、いかがお過ごしでしょうか?

ワタクシは今日の分の振付を土曜に振り替えて、
実家に母の初盆で帰省してきました。

通常お盆の時期もクラブは営業している所が多いので
このラッシュ真っ只中に実家に帰るのは実に久しぶり。
サービスエリアのトイレはディズニーランド並みに並んでいて、
まずそれにビックリ!

そして高速バスを下りてタクシーに乗って、またビックリ!


タクシー初乗り320円


ちなみに福岡市内は590円。

同じ日本?的衝撃。

ただ…実家まで遠いから例え初乗りが安かろうとも結局は
結構な出費でした。
あ、ちなみになぜそんな出費してまでタクシーかっていうと

路線バス1時間に1本。


そして路線バスの


バス停→実家徒歩で30分


も、


ホント



どんだけ~~~

使ってみた。

若者若者…

で、このような緑しかない場所に着く。


実家の縁側から撮ってみました。
雨が降っていたので緑も鮮やかでキレイでした。

お盆の供養も滞りなく済み、私の分はないのに
勝手にお客さんに混じって仕出しのお膳を平らげたと
兄に怒られ、得意の「バカな振り」でひたすら逃げ切ったワタクシ。

ななこ、龍之介、ややこ、虎之助の姪&甥も元気に
夏休みの子供って感じで真っ黒でした。
そういや福岡の子は黒くないなぁ…。

私は主に8歳のややこと6歳の虎之助と一緒にいたのですが
もう、おっそろしいくらい子供パワー炸裂。
走ったり、叫んだり、くぅちゃん(犬)を叩いたり…。

やがて夕方近くになると遊び疲れた虎は静かになって
気がつくと寝息を立てていました。

それから私が帰るまでの短い時間、
「トモネエ(私)の絵を描く!」と言うやや子のそばで
雑誌を読んだりしてだらだらと過ごしていましたら

やや子が唐突に


「いや~、しかし」


と切り出した。


その言い方、間の取り方はまるで
あまりしゃべった事のない部下と二人きりになった時に
話題を探している上司のような感じ。


そして上司(やや子)は続けた。


「いや~、しかし



トモネエは



足が太いねぇ



・・・


ぶ、部長!―( ̄Д ̄;)→


言っても分からないと分かっていながら
言わずにはいられなかった。


「セクハラで訴えますよ」



帰り際に見た、やや子が書いた私の絵には胴体よりも太い足らしきものが
2本くっ付いていた。

残念な帰省だった。

バタバタ帰省

2007-06-12 23:38:11 | 家族
(⌒ー⌒)どもっす

昨日は昼から時間が作れたので実家に行って来ました。

が、滞在時間はわずか3時間。
片道に掛かる時間の方が長いっていう…。

ひとつめの目的

くぅちゃんに会う。

くぅちゃんよりも暑苦しい素材の布団に
目が行くと思いますが、そこはスルーで。

くぅちゃんはミニチュアダックスの女の子で、
まだまだ赤ちゃんに毛が生えた程度のやんちゃざかり。

後姿は強烈な短足O脚の間抜けさ。

玄関に入っただけで

だれだ!おまえだれだ!

みたいな感じで猛烈に吼えまくってた割りに
私が座ると、アッという間に膝に乗り上げ
私の口元から漂うチーズのお菓子の残り香を
必死でナメナメ。

ここ!ここからにおう!

とばかりに、手も使えたら私の口もこじ開けそうな勢い。

玄関先にはくぅちゃんに噛み千切られたと
思われるサンダルがワンサカ転がっていました。

もれなく私の腕や足も散々噛まれまくり(泣)。
もう少し甘噛み憶えるまで我慢だな。

くぅちゃんとひとしきり遊んだ後は
人吉でも有名なうなぎ屋さんへ。

松田鰻屋さん

ホントは鰻の画像を撮ろうと思って
携帯までセットして、鰻が来るのを待ってたんですが

案の定

ふんふん♪言いながら我を忘れ、画像を撮るのも忘れ

食べてしまいました。

しかも半分以上食べた所で携帯に気付いて
一旦は携帯を握ってはみましたが
明らかに

食べ散らかし感の漂うお重を見て止めました。

鰻そのものは前評判以上の旨さ。
肉厚でタレも極上。
食べてる最中から血行が良くなったのか?汗がダラダラ流れて
うなぎの凄さを知った次第でございます。

人吉に行かれた際には是非。

そして、うなぎで満腹になった所で
最後は父の入院する病院へお見舞いへ。

父は、こちらが話しかけない限り
ぼ~~~っとしている状態ではありましたが
日時と場所の認識もあったし私の事も理解出来たので一安心。

話しかけない限りぼ~~~っとしてる父の横で、
ほどよく満腹になった私。


当然…いつの間にか…ワタクシ


寝てた

多分10分くらい舟漕ぎ漕ぎした挙句
慌てて飛び起き、夏に母の初盆での再会を約束して
病院を後にしました。

短い滞在時間でバタバタでしたが、
目的を全部果たせて良かったわ。














憎いあんちくしょー

2007-01-24 02:55:27 | 家族
(⌒▽⌒)どもども

土曜は無事に早起きも難なくこなして、四十九日を済ませました。

通夜、葬儀は葬儀社で行ったのですが、今回の法要は実家で
行いました。実家で…と聞いてショックで寝込みそうでした。

なぜなら、あれがあるから。


あれをせねばならないから。


今まで避けて通ってきたのに、今更出来ないわ。


だって現代っ子だもの…。


いやよ、いやよ


正座なんて。

と、言うわけでね
仕方なく高校卒業して以来3年ぶり♪の正座という事実を
全身で受け止めつつ、目は隣のばあさんの


正座いすを狙う私。

隙あらば横取りしたい衝動と戦う。

しかし、敢え無く坊さんが現れ読経へ導かれ

あ~~だ~~~こ~~だ~~のリズムに合わせて

10分経過


20分経過


30分経過しようとした時に読経が終わり坊さんが振り向いて
説法をされました。

この坊さん振り向いたらやけに
顔が青白い
若干チアノーゼ出てる。

兄によると、私は仕事で出られなかったが、
うちの祖母の初盆の時も着てくれた坊さんらしく

その時は、うちの玄関先を舞台に

脱水症状で倒れたというお人。

もれなく今回も顔色悪し。

しかも顔色が悪いだけじゃない。

話が長く、意味が分からない。

読経の30分で既に足は、しこたま痺れてんのに
長く、意味不明の説法を聞かされる

地獄の生き地獄

地獄の黙示録にかけてみました…ってギャグの説明ほど
切ないものはない。

10分は必ず何かしゃべらないといけないとかって
決まりでもあるのか?ってくらいに意味の分からない
話を「え~~」「あ~~」など行間たっぷりに哀愁なども含め10分間。

いや

10分聞くのに1時間かかった。
くらいの長さ。

「と、いうわけでございまして…」

と来たら、普通締めに入るものをわざわざ

「と、言いますのも…」

と引き返す。
前後につながりのない接続語を用いてまで引き返す。

兄も私も最前列で左右交互に体重を乗せ、痺れを散らしながら
我慢しているのを楽しむかの様に「すなわち仏様は…」。

多分、当の仏様である母ちゃんは
今頃あの世で口あけて寝てるはず。
あ~うらやましい。

結局50分近く正座を満喫し、立ち上がった瞬間に座るという
お約束の失態を数度繰り返し四十九日法要は終わった。

次は初盆か。














おばさんとは

2007-01-03 02:34:51 | 家族
(  ̄ー ̄)_旦~~~どーもど~も

年が明けましたねぇ。
今年もひとつ宜しくお願いします。

食っちゃ寝、食っちゃ寝のお正月、如何お過ごしですか?
どんだけ食うんだよ!?ってくらいに入るね。

ひとりで暮らしてると、自分が買わない限り家に
食べ物はないんだけど家族がいると
いつの間にか食べ物が家にある。

そしていつの間にかテーブルにある。

んで、またいつの間にか口に入ってる・・・。

びっくりするね。

そんなワケで今年は実家でお正月。
兄の子供4人のうち3人が大阪の親戚の家に行ってまして
会えませんでした。

ありゃま、寂しいなぁ…なんて思ってたら兄が

ややこ(姪9才)からの伝言を預かってました。


「ややのアラレちゃん読んでもイイけど、返してね」


へぇ・・・貸してくれるんだぁ・・・うれしいなぁ・・・( ̄Д ̄;)


何?アラレちゃんて・・・今、昭和?


あ、そうそう龍之介(13歳)の伝言も預かってました。


ガンダムで遊んでもイイけど、壊さないでね

泣いていいですか?

大事な物を貸してくれる割に心が広いのか狭いのか・・・

いや、待てよ。
その前に、あたしゃ同年代か?
読まねぇし、遊ばねぇよ。

虎之助(5才)は「冬にまた来い!」って言っときながら
伝言すらない。大阪行きでテンション上がって
どうでも良くなったらしい。

唯一いてくれたななこ(16歳)は
陸上の短距離をやってまして、特待生で熊本市内の
私立の高校に入ってます。親元を離れて今は寮住まい。

いや、びっくりしたのはなな子に懸ける親の熱意ね。

親って兄夫婦なんですが、
家にいる間中、やれ腹筋だ、やれ走って来いだ
メンタルが弱いだの、メディカルチェックを受けさせたいだの
やんややんやのコーチング。

勿論、私じゃなくなな子に言ってるんですがね。
(私じゃなくて良かった。)
当の本人はぼけ~~っとしてます。天然も多分に入ってる。

ま、当然?最終的には私に矛先が向いて
お前が家にいる間にトレーニングさせろと来たもんだ。

いやぁ~、随分大胆なオファーだな。

なな子としては帰ってきた叔母までもが、よりによって
そういう仕事をしているとは、イイ迷惑だろうなと。
洋服屋とかケーキ屋とかだったら良かったんだけどね~。

ま、一応餅食いながらちろ~~っと見て、
ちろ~~っと教えたりしましたけども。

叔母なら、カワイイ姪っ子の為にも普段自分がどんな事をしてるか
見せる為にもエエカッコしいで「ぃよっし!」なんてね
喜んで教えちゃったりするんだろうけど
どうも気乗りしなくてね・・・。

なんでだろうなぁ~~なんて考えてたんだけど
私は普段お金を払って自分の時間を割いて習いに来ている人を見てる。

一方高校生のなな子は親のお金で学び、
そのお金を元に学校が与えた環境と教えてくれる先生が必ずいる。
それが当然と思っている。

でもそれは子供の権利だし、自覚がないのも当然よね。
それが子供ってモンだし。

だから親が必死にならなくても、必ず本人が必死になる時が来るさ。
そん時は幾らでも力になるけど、今は私の出る幕はない・・・
そう兄夫婦に伝えました。

そうでも言わなきゃ仕事に着いて来そうな勢いでしたし。
それだけは勘弁して欲しいわ。
ソックリだからね。

ま、思いがけず休みなわりに仕事を思い出す出来事でした。














帰福

2006-12-08 02:19:21 | 家族
(⌒ー⌒) ども

福岡に帰ってきましたよ。
高速バスの中では爆睡でした。

田舎にずっといたせいか福岡は都会の匂いがしますね。
実家の生活は福岡でのこれまでを忘れさせる威力があるくらいに
強烈でしたわ。

レッスンのやり方覚えてっかな…ちょい不安だったりして。

まぁ、この数日色んな事がありましたが
私自身は元気ですのでね、大丈夫ですよ。

姉が亡くなった時は激ヤセしたのに、今回はそれもなく…
虚しい程に食欲旺盛でして…自分がうらめしい…

ずっと私にくっ付いてチーチクパーチク騒ぎ続け
かんちょ~を憶えた事で、文字通り私の後ろを付いて回った
甥っ子の虎之助(5歳)は私がいつ帰ってしまうのか
不安だったみたいで、何度も「いつ帰るの?」と
聞いてくるカワイイやつ。

そんな彼は、いざかんちょーする前に「ともネエ女?」と聞いてくる。
しかも毎回聞く。「今は?今は?」的な感じで。
ジェントルマン気取りか?
レディにはかんちょ~に若干の配慮があるのか?
それとも「え?また女?マジで(↑)?」的な何か不信な点が?

そんな感じでここ数日虎にピッタリマークされた私。

しかし実際、帰る間際は外でキックスケーターに夢中。
どうやら私の事は視界にない模様。
気配すら感じていない。

「じゃあね、虎」

そう言うと振り返り、ようやく私の事を思い出したように


「おう!冬にまた来い!!」


いや、君がキックスケーターに夢中になってる間に
もうすっかり冬やし。

しかもなんで、上から目線やねん。

しかも、「冬に…」辺りから目線と気持ちは完全にキックスケーターやし。

キックスケーター>ともネエ  完敗。

それとも高倉健並に、もしくは「北の国から」の田中邦衛並に
別れに対して不器用なタイプなのか?

まったく、幼児の考える事はわからん。

でも家族って良いモンですね!←うまくまとまった!

さて、夜な夜な父に起こされて睡眠不足ですし寝ますかな。
おやすみなさ~~い。



ありがとう

2006-12-06 21:32:37 | 家族
もうご存知の方もいらっしゃると思いますが、
12月3日、日曜の夜に私の母が倒れ、意識不明ほぼ心肺停止状態で
病院に運ばれました。親族との最後の別れをするまで人工呼吸器を付けて
いたのですが、生憎遠方に住む私は最期に立ち会う事が叶わぬまま
翌4日のお昼前に逝去いたしました。

ご弔電、ご供花、並びにお悔やみや励ましのメールなど
戴いた方々に、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

今日は少し長くなりますので、携帯の方ご了承下さいね。

身内を亡くされた方はお分かりかと思いますが、
通夜、葬儀と泣いている暇はないほど忙しいものですね。
式の段取りやら来客の対応、その他の雑事が次から次へと
出てきて目が回るほどの忙しさ。

葬儀慣れしてる人はいないと思うけど、やっぱりそういう
経験や知識はお年寄りの方が豊富ですね。

実際、母に聞かないと分からない事がたくさんあったんだけど
肝心の母がいないので、まずそこで母の存在の大きさに
気付かされました。

「分からない」「出来ない」とは言ってられない現実ですね。


このブログにも何度か書きましたが
私の父親は糖尿を患い、加えてここ2年ほどは精神的に不安定な
状態に陥った為、入退院を繰り返しましたが、自立支援法の改正で
入院もままならず、母はずっと不眠不休の介護を自宅でたった一人
続けてきました。

兄夫婦も近くに住んではいますが、父と母と二人で暮らしている以上
母の負担は想像を絶するものだったと思います。

我が家は田舎だからか昔ながらの封建主義。
私が育った我が家は祖父母に両親、6つ上の兄と5つ上の姉、そして私。
現代では大家族と言っていいと思います。

しかし祖父は私が高3の時に、姉が4年前の夏に、祖母は昨年のお正月に
亡くなりまして、残ったのは父と母と兄と私だけです。

長男である父は、それこそ大事に大事にわがまま放題に育てられ
母は父と祖父母に仕えるような存在でした。

子供心に感じた母の不憫さ、その風景は頭から離れません。

特に糖尿の影響で失明状態になり、思うようにいかない事で
自暴自棄になり、痴呆症の傾向も出て来た父の面倒を見るのは、
たまにしか帰れない私ですらキツイものでしたから、
それを毎日一人でやっていたと思うと絶句してしまいます。

倒れた日、母がうちの中にいない事に気付いた兄が探し回った所、
家の裏で倒れて冷たくなった母を見つけたそうです。

どのくらい倒れていたのか、なぜそんなところにいたのか
今となっては分かりませんが、恐らく父から、そして我が家から
逃げたい一心だったのだろうと思います。

死因は脳梗塞との事ですが、それは最終的な原因に過ぎず
これまでの事が蓄積されての結果だったのだろうと。

葬儀会場から棺に入れる母の私物を取りに帰った兄が
探して持ってきたものは、汚れた靴と粗末な服とバックだけでした。

母の物は、たったそれだけしかなかった。

63年生きてきて、たったそれだけ。
自分の事はさて置き、父や祖父母、そして私達子供に尽くし続けた人生。

そんな人生って…そう思うと兄も私も涙が止まりませんでした。

でも、違うんじゃないかと今は思います。
母には兄と私、そして孫がいた。

だから、兄と私で母を精一杯送り出してやろうと
葬儀の前に二人で誓いました。

父は母が亡くなった事を理解しているのかどうか分かりません。
ただ、夜中だろうが昼間だろうが、ずっと母の名を呼び続けています。

寂しさよりも、どちらかと言えばずっと手足のように使い続けてきた
母が呼んでも来ないので延々と呼んでる感じです。

本当に人間の業の深さを感じずにはいられません。

こうなる前の父はとても楽しい人で
「辛い事も笑いが救う」と身を持って私に教えてくれた人。
今の父も現実だけど、私達を育ててくれた父も同じ父。

その辺のジレンマが兄にも私にもあって難しいところです。

母が亡くなった事だけではなく、父の介護という現実が直ぐに
迫ってきていますが、それをいつまでも悲嘆していても
始まりませんから、母が介護に手一杯だったので、
今日は荒れ放題だった家の中を大掃除しました。

たくさん捨てました。
色んなものを捨てました。

そして年明けには私が育った、この家を取り壊し
兄家族が引き継ぎます。

余談ですが、建築家である兄曰く、
我が家の作りは陰(いん)があり、家運が悪くなる作りだそうで、
道路から玄関までが一直線なので良い運気も悪い運気も引き寄せてしまう。
そして、その家の中心に両親の部屋があるんですよ。

今の家に越してきたのは、私が物心つく頃なので、私は今の家の
記憶しかないけれども、昔の家の記憶がある兄から
今の家に越してきてからうちにはトラブルが耐えなくなったと
聞いて、ちょっと背筋が寒くなってしまいました。

私は姓名判断とかそういうのは、全く信じないタイプなのですが
「自分の家なのにトイレに行くのが怖い。」
「祖父母の部屋も陰気があって怖い。」
と兄が言うのを聞いて、私も全く同じ事をずっと感じていたので
驚きました。

そんなワケで私の家はなくなりますが、過去にこだるよりも
兄夫婦の将来、とりわけ兄の子供達の将来の為に
こだわって欲しいので取り壊しに賛成しました。

家を継ぐという事は、子供達に残すという事。
兄には奈那子、龍之介、やや子、虎之助と4人の子供がいます。

今の私には子供がいませんが、私は女なのでこの家から
出て行く存在ですし。

負の遺産ではなく、子供達が豊かにすこやかに育つような
環境にしてあげて欲しい。

今も、うちにいると最後に会った時の優しい笑顔で
母がひょっこり出てきそうで亡くなったという実感が湧きません。

でも、最後に見た母の優しい笑顔と父から教えられた
「辛い時も笑いが救う」を心の支えにして
残された私達は生きていかなきゃと思っています。

南無阿弥陀仏…この3日間何度もこの念仏を唱えましたが
南無阿弥陀仏とは「ありがとう」という意味だと
お坊さんが言ってました。

最後に母に南無阿弥陀仏









宣伝

2006-11-05 00:59:13 | 家族
(。 ̄_ ̄。)ノどもども

ロクに更新もせずに1週間が経ってしまいました。
いや~深まりゆく秋を感じている間にもう1週間!?って感じです。
祝日とか、休館日とかあったモンだから今週はろくにレッスンしてない
そんな気もする今日この頃、皆さん如何お過ごしですか?

今夜はね、友達と会った帰りにぶらり「しろやまの湯」へ行って来ました。
無くなるんですってね、しろやまの湯。
軽くショックだわ。まぁショックって恩着せがましく言える程
ヘビーユーザーじゃないんだけど。
ヘビーかどうか以前に年に1~2回ってトコなんだけど。

薬院地区の発展のどうたらこうたら…って書いてあったけど
どうすんのかな?せっかく温泉掘って。何千万とか掛かっただろうに。
元取れたんかな…なんて、どうでもイイ事考えながら
マイナスイオンたっぷりの露天風呂にのんびり浸かって来ました。

今からの季節はやっぱり温泉に限るね。

私の実家がある熊本県人吉市は温泉地なんです。
至る所に温泉がたくさんあって、観光の目玉。
実家の前にもあります。温泉。


温泉?これ温泉?家じゃん。
ってくらいにこじんまり&生活感漂う作り。
入湯料は100円。無人の番台に置いてある箱に入れるだけ。

脱衣所は普通の家庭用の脱衣所程度の広さ。
なのでロッカーなんて立派なモンはありません。
脱衣カゴです。誰かのモモヒキでも垂れ下がってそうな脱衣カゴ。
ロッカーがなければ貴重品BOXなんて22世紀になっても
あるかどうか…。

でもね、お湯はイイ!!
ぬるぬるの質感でね。湯加減もちょうど良くて。
しかも、いつ行っても誰もいない。

貴重品とか盗まれる心配がない。
心温まる交流もない。
まさに、家の風呂と何ら変わりなし!

こういうのがイイんですよ。
下手に観光地観光地しててね、黒川とか九重とかね。
すぐ十割そば屋ばっかり作るでしょ。

あとは豆腐屋ね。

ま、イイんだけどさ。

そんなワケで是非皆さんも人吉へお風呂入りに来て下さい。
ついでに、おうちのリフォーム・新築の際は人吉住建へ
福岡でも全然OK、普通に承るそうです。←棒読み。

長々と書いて、結局今日の目的は実家の「宣伝」でした。
失礼しました。






心配だわ

2006-07-22 19:40:28 | 家族
(/ ̄ー ̄)ども

今日は涼しくも穏やかな天気でございました。

が、

すげぇ、相当降ってる!
九州南部は尋常じゃないくらい降ってますね。

そこで一応心配になるのは熊本県人吉市の我が実家。

私の実家は球磨川沿いにあるので、ニュースを見てどうだろうか・・・
と心配しておりましたが、やはり危険水位を超えた為、ウチの周辺の地区に
避難勧告が出たらしく今朝早くに親類宅に避難したそうです。

これまでにも過去にココに書いた事がある水害が一番大きな水害で
避難勧告が出たのは初めてです。
近くの水俣市は市のすべての住民に避難指示が出ていました。
ここには友達も住んでいるので気がかりです。
水俣市のお隣、岩田先生のご実家も大丈夫かなぁ・・・。


我が家には現在、両親だけが住んでおり、心配になった兄と叔父が
朝の6時に救出に向かったとの事。
特に父は糖尿で目が見えなくなっているので怖かったろうと思います。

しかし、電話口の父は「そこまで水が来とったぞ」と、
さも見てきたかのような口ぶりでした。
ともかく無事でいてくれて、しかも元気そうでなにより。

早朝に出てきたので実家は今どうなってるか分からない。
明日もまだまだ降りそうですし心配です。






血は水よりも何とやら

2006-02-19 00:00:04 | 家族
わたくしの職業はたまに誤ったイメージを世間に持たれています。
その最もたる象徴が
エアロビ
という呼び方。エアロビと聞くと皆さんの頭の中には何が浮かびますか?
私はテニスのコーチが殺され松浦警部とその部下の城島茂(役名失念)が
聞き込みに行った先のスポーツクラブで支配人らしき人に事情を聞いている
その背後で行なわれているのが「エアロビ」というイメージ。分かりにくかったですかね。
そんなエアロビ事情はさておき(前置きかよ)、世の中にはこのように
はた迷惑な短縮言葉が溢れています。
今回は私が出会った少々不思議な短縮言葉についてレクチャーします。

時は遡って数年前のお盆。たまたまオフが重なり、久しぶりに実家に帰省した時のお話。
遠くは関西から九州近県まで親戚一同が会し賑やかな宴会の最中。
久しぶりに会うおじさんやおばさん達に挨拶して回っていると、私の仕事の話に
話題が及び、いつしかそれは「私が取組んでいる健康法」というテーマで各々が
語るというちょっとした集団カウンセリング状態になりました。
あるおばあさんは「私は畑仕事ばするとが健康の秘訣」と語り、
隣に座ったおじさんは「うちのはもうちっと痩せんと腹か胸か分からん!」と
健康法というテーマから大きく逸脱し、夜も健在という事をさりげなくアピール。
私にどうしろと言うのか・・。

そんな中、ついにうちの父親が発言権を得ました。
普段離れて暮らしている分、父親の健康への取組みは気になる所です。
「私は糖尿があるけん、炭酸類は一切飲まんようにしよるもんね。」
ほほぅ。大の炭酸好きが変われば変わるものよ、と皆に冷やかされ調子づく父。
「ばってん、どうもこうも飲みたくなったら・・・

リアルゴーば飲む」

リアルゴー・・?    ルド?

すると、すかさず叔父が割って入り
「あんなんアカンよ、信ちゃん(父の名)。オレも糖尿やけどジュースは

ポカリスしか飲まん」

ポカリス・・・?    ウェット?

父「ポカリスはオレも飲む」
別の叔父「せやけどポカリスは薄い方(ステビアの事らしい)のがエエんやろ?」
叔母「リアルゴー飲むより良かろう」
父「リアルゴーは小さかけん良かと」
またまた別の叔父「リアルゴーはやっぱりカロリー高かとやろ?ねぇ知ちゃん」

・・・知らんがな(泣)

そもそも糖尿でも飲めるジュースの種類について議論する辺りが既に間違って
いるわけだが、突っ込み所満載の会話がどんどん繰り広げられなす術なし・・。
しかし、そんな私をおいて話題はいつしか先日皆で食べた唐津のカニが
如何に美味かったか、に移っていた。

無念