今日も暑かったですね~。
1日中ずっと半袖&サンダルでした。
ちょうど私が毎年、年末辺りに行っているハワイと
気温や空気感が似ている気がします。暑すぎず寒すぎず、
湿度もカラッとしていてとてもイイ気持ち。
この二日間でひとつ演技の振付が終りました。
スタート地点に立った状態です。これから大会までに
ひと山、ふた山しんどい時が来るでしょうが、しんどい
時こそ上手くなってる時なので、乗り越えて大きくなって
行って欲しいと思います。
明日は別の演技指導がふたつあります。頑張らねば!
私が初めて自分に合わせた演技を作って貰ったのは競技を
始めて2年目。それが岩田先生とのお付き合いの始まりです。
岩田先生との出会いから今までを振り返る作業というのは
今の私にとっては未熟な過去の自分をさらけ出す恥ずかしい
行為ですけど、これも女一代記を始めたツケです。
堂々と書きましょう。
演技を依頼する以前、失礼な話ですが私は岩田先生が
どんな人か殆ど知りませんでした。
ただ、凄い先生らしいと風の噂で聞いていましたが。
岩田先生は何度か(アバウト)全国大会に出たキャリアが
あるのですが、私が見た先生の現役時代は最後の年だけ。
その現役最後の年の全国大会、私は既出の陽子ちゃんの
サポートとして東京まで見に行きまして、その打ち上げの席で
初めて岩田先生の実物を見たような感じです。
別にそこで特別親しくなったとかでもないのに、その半年後には
先生に振付を依頼していました。今でも、なぜ自分がそんな大胆な
行動に出たのか謎です。でも、一歩踏み出す時って自分では
分からない流れのようなモノに押される時がありますよね。
多分、そんな感じ。
岩田先生との練習は今でも思い出してうなされるくらいに
ハードでした。演技に耐えられるだけの身体が出来ていません
でしたから、そのトレーニングが相当ハードだった事は今も
覚えています。そして一緒に競争しながらやってたんですから
先生も若かったな…(遠い目)。
辛い事も痛い事もキツイ事も、というより、やってる間は
そういうのが殆ど。当時はアイシングとかケアの事に関しての
知識や意識も低かったので身体はボロボロ、怒られたりしたら
心もボロボロ。
怒られる…。私、スキル的な事で怒られた事は一度もありません。
出来ないからとか試合で結果が悪かったからって怒られた事はない。
先生が怒るのは、あいさつとか礼儀とか人として当然の
コミュニケーションを疎かにした時。これは私、人見知りと
めんどくさがりの性格も手伝って、人との繋がりをおざなりに
してしまう時が結構あるんですが、そういう時は結構厳しく注意
を受けました。
選手としてどんなに頑張っても応援してくれる人がいない選手には
なって欲しくないと常々言われてましたね。
あと、一番厳しかったのは、甘え。
当時の私には注意された内容ではなく「怒られた」っていう事に
ショックを受けるプライドの高さや、「私落ち込んでますよ~」
「私痛い所ありますよ~」とアピールするような子供じみた所が
ありました。最悪、恥ずかしいっす。
理解しにくいかも知れませんが自分ではしっかりしている
つもりでも、教えられる立場になると子供になるって言うのはある
話です。社会的な立場を忘れて子供になれるから居心地イイって
感じる人もいるくらいですからね。
それに加えて当時の私は23か24くらいの若造です。
そりゃもう甘さ大爆発ですよ。
今の私が先生の立場なら間違いなく蹴飛ばして、絶縁です。
本来なら、競技の指導と振り付けだけやったら仕事は完了!なはず。
怒ったり注意したりするのは、する方もかなりエネルギーを使います。
時には恨まれたりするしね。
でも、大人になると個人的な感情や損得感情抜きで本気で怒って注意
してくれる人の存在というのは有難いものです。
でも、そんな事も分からない若さとバカさ全開なワタクシ。
当然だと思ってました。私が悩んだら聞いてくれる、困ったら
助けてくれる。おなかが空いたらごはん食べさせてくれる
って、それは無かったけど。とにかく私のちょっとした事にも
耳を傾けてくれる先生がそばにいるのが当たり前に感じてました。
「いつ帰って来るか分からない」
先生から渡米する決意を聞いたのは渡米する1年前。
少し焦りました。まだ準備も出来てないよ…とね。
いや別にスーツケース引っ張り出して一緒に行こうとした
わけじゃないですよ。
大人になる準備、自立する準備、そしてイントラとして
後を任せて貰えるだけの準備。
そうこうしているうちに、アッと言う間に先生はアメリカへ
行ってしまいました。大半のレッスンを受け継いだ私は
先生のメンバーさんに受け入れて貰う事の難しさを感じつつ
相談する人のいない環境に慣れるまでに時間がかかりました。
先生がいなくなってから自分のスクールを立ち上げ、自分の
教え子を持ちました。人を育て、見守り、指導をするって
こんなに大変なのかと本当に驚きました。
親になって初めて親の有り難味を知るのと似てるかも。
自分の教え子が悔しいと私も悔しいし、悲しいと私も悲しい。
嬉しいと私も本当に嬉しい。悩んでたら私がどうにかしてあげたい
と思う。
自分本位のワタクシが思うこれらの感情を先生も私に持っていて
くれて、その上で厳しく暖かく育ててくれたと思うと本当に感謝の
ひとことです。
今はワタクシも偉くなって先生に意見したり、ごはん作らせたり
お茶煎れさせたりする身分になりましたが、いつも感謝してます。
信用される人間になるには、それだけの事をしなきゃならない。
岩田先生に教えられた事で一番私の中にある事です。
「良い事は砂に書かれ、悪い事は岩に書かれる」
これ、ワタクシの座右の銘。っていうか戒めの座右の銘。
思うにコレも先生から教わった事のひとつ。
長くなっちゃったけど、教えられた事はココには書ききれない
くらい沢山ありすぎるのでそういう人間になる事で表していければ
と思います。
1日中ずっと半袖&サンダルでした。
ちょうど私が毎年、年末辺りに行っているハワイと
気温や空気感が似ている気がします。暑すぎず寒すぎず、
湿度もカラッとしていてとてもイイ気持ち。
この二日間でひとつ演技の振付が終りました。
スタート地点に立った状態です。これから大会までに
ひと山、ふた山しんどい時が来るでしょうが、しんどい
時こそ上手くなってる時なので、乗り越えて大きくなって
行って欲しいと思います。
明日は別の演技指導がふたつあります。頑張らねば!
私が初めて自分に合わせた演技を作って貰ったのは競技を
始めて2年目。それが岩田先生とのお付き合いの始まりです。
岩田先生との出会いから今までを振り返る作業というのは
今の私にとっては未熟な過去の自分をさらけ出す恥ずかしい
行為ですけど、これも女一代記を始めたツケです。
堂々と書きましょう。
演技を依頼する以前、失礼な話ですが私は岩田先生が
どんな人か殆ど知りませんでした。
ただ、凄い先生らしいと風の噂で聞いていましたが。
岩田先生は何度か(アバウト)全国大会に出たキャリアが
あるのですが、私が見た先生の現役時代は最後の年だけ。
その現役最後の年の全国大会、私は既出の陽子ちゃんの
サポートとして東京まで見に行きまして、その打ち上げの席で
初めて岩田先生の実物を見たような感じです。
別にそこで特別親しくなったとかでもないのに、その半年後には
先生に振付を依頼していました。今でも、なぜ自分がそんな大胆な
行動に出たのか謎です。でも、一歩踏み出す時って自分では
分からない流れのようなモノに押される時がありますよね。
多分、そんな感じ。
岩田先生との練習は今でも思い出してうなされるくらいに
ハードでした。演技に耐えられるだけの身体が出来ていません
でしたから、そのトレーニングが相当ハードだった事は今も
覚えています。そして一緒に競争しながらやってたんですから
先生も若かったな…(遠い目)。
辛い事も痛い事もキツイ事も、というより、やってる間は
そういうのが殆ど。当時はアイシングとかケアの事に関しての
知識や意識も低かったので身体はボロボロ、怒られたりしたら
心もボロボロ。
怒られる…。私、スキル的な事で怒られた事は一度もありません。
出来ないからとか試合で結果が悪かったからって怒られた事はない。
先生が怒るのは、あいさつとか礼儀とか人として当然の
コミュニケーションを疎かにした時。これは私、人見知りと
めんどくさがりの性格も手伝って、人との繋がりをおざなりに
してしまう時が結構あるんですが、そういう時は結構厳しく注意
を受けました。
選手としてどんなに頑張っても応援してくれる人がいない選手には
なって欲しくないと常々言われてましたね。
あと、一番厳しかったのは、甘え。
当時の私には注意された内容ではなく「怒られた」っていう事に
ショックを受けるプライドの高さや、「私落ち込んでますよ~」
「私痛い所ありますよ~」とアピールするような子供じみた所が
ありました。最悪、恥ずかしいっす。
理解しにくいかも知れませんが自分ではしっかりしている
つもりでも、教えられる立場になると子供になるって言うのはある
話です。社会的な立場を忘れて子供になれるから居心地イイって
感じる人もいるくらいですからね。
それに加えて当時の私は23か24くらいの若造です。
そりゃもう甘さ大爆発ですよ。
今の私が先生の立場なら間違いなく蹴飛ばして、絶縁です。
本来なら、競技の指導と振り付けだけやったら仕事は完了!なはず。
怒ったり注意したりするのは、する方もかなりエネルギーを使います。
時には恨まれたりするしね。
でも、大人になると個人的な感情や損得感情抜きで本気で怒って注意
してくれる人の存在というのは有難いものです。
でも、そんな事も分からない若さとバカさ全開なワタクシ。
当然だと思ってました。私が悩んだら聞いてくれる、困ったら
助けてくれる。おなかが空いたらごはん食べさせてくれる
って、それは無かったけど。とにかく私のちょっとした事にも
耳を傾けてくれる先生がそばにいるのが当たり前に感じてました。
「いつ帰って来るか分からない」
先生から渡米する決意を聞いたのは渡米する1年前。
少し焦りました。まだ準備も出来てないよ…とね。
いや別にスーツケース引っ張り出して一緒に行こうとした
わけじゃないですよ。
大人になる準備、自立する準備、そしてイントラとして
後を任せて貰えるだけの準備。
そうこうしているうちに、アッと言う間に先生はアメリカへ
行ってしまいました。大半のレッスンを受け継いだ私は
先生のメンバーさんに受け入れて貰う事の難しさを感じつつ
相談する人のいない環境に慣れるまでに時間がかかりました。
先生がいなくなってから自分のスクールを立ち上げ、自分の
教え子を持ちました。人を育て、見守り、指導をするって
こんなに大変なのかと本当に驚きました。
親になって初めて親の有り難味を知るのと似てるかも。
自分の教え子が悔しいと私も悔しいし、悲しいと私も悲しい。
嬉しいと私も本当に嬉しい。悩んでたら私がどうにかしてあげたい
と思う。
自分本位のワタクシが思うこれらの感情を先生も私に持っていて
くれて、その上で厳しく暖かく育ててくれたと思うと本当に感謝の
ひとことです。
今はワタクシも偉くなって先生に意見したり、ごはん作らせたり
お茶煎れさせたりする身分になりましたが、いつも感謝してます。
信用される人間になるには、それだけの事をしなきゃならない。
岩田先生に教えられた事で一番私の中にある事です。
「良い事は砂に書かれ、悪い事は岩に書かれる」
これ、ワタクシの座右の銘。っていうか戒めの座右の銘。
思うにコレも先生から教わった事のひとつ。
長くなっちゃったけど、教えられた事はココには書ききれない
くらい沢山ありすぎるのでそういう人間になる事で表していければ
と思います。